「けいおん」というアニメーションが持つ怖さ 〜part1〜

21世紀に入って約10年。「けいおん」というアニメーションが近年、非常にヒットしております。ヒットする作品というのは、いつの時代でも、その時々を生きている人の感情を反映させたものが常にヒットします。これは映画、アニメーション関わらず、ヒットする作品には必ず共通して持っている要素です。ちなみに、「けいおん」という作品を制作したのは、アニメファンでは有名となっている京都アニメーション

この京都アニメーションという会社は通常の制作会社と比較しても、かなり独立した組織であり、「涼宮ハルヒ」シリーズをヒットさせた事により、次作である「けいおん」は、作品制作の自由を大きく保証されて制作してのではなかろうか?と私個人は思っています。近年、京都アニメーションほど、映画、テレビドラマの世界でも自由な制作環境で作れるという事はスタジオジブリを除き、私が知る限りでは非常に稀有なのではないでしょうか。

この京都アニメーションは2006年に「涼宮ハルヒの憂鬱」という作品を生み出しました。そして次に世に送り出した「けいおん」。私はこの作品を非常に恐ろしい作品だと感じています。

話は少し戻り、90年代の代表的アニメである「新世紀エヴァンゲリオン」。この作品では「逃げちゃダメだ!」というテーマが根本に存在しました。90年代にティーンであった私も、この感覚は非常に共感出来得ます。バブル崩壊後に育った世代ですから、大人が常にため息をつき、下に俯いた表情を見て10代を過ごした世代です。

ちょうど90年代のバブル崩壊後、就職氷河期からフリーター世代が出現した時代でして、その時代を過ごした10〜30代の人達は、大人になる事へのアンチテーゼとして、「新世紀エヴァンゲリオン」は作品そのものが持つ力以上に共感を呼び込んだと私は思っています。

そして時代は21世紀。2006年に「涼宮ハルヒ」は生まれます。この作品では無気力な主人公・キョンと、超行動的な涼宮ハルヒのセットで物語が展開します。この時代は漫画家・松本大洋などによく見受けられるのですが、「性格が真反対で対立する2人が親友である」という設定を初めから置いた上で物語がスタートするストーリーがヒットする傾向にあったと思います(ピンポンにおけるスマイルとペコのような)。

基本的に無気力で行動力が皆無のキャラクターでストーリーが発展する事は難しいため、涼宮ハルヒのようなキャラクターを用いて、物語を展開させていく事はまぁ当たり前なんですが、それ以上にキョンというキャラクターが、21世紀の時代を如実に反映させたキャラクターであると同時に、若者が抱える根本的な意識が変化した事に、当時、私は興味を注がれました。

エヴァ」から「ハルヒ」への価値観の変化。
例えるならば、コップがここにあるとします。このコップの中に私が居る。存在する。そして、コップの外が社会であり、大人である。コップの外に出る事が成長であり、大人になる事である。

エヴァでは「逃げちゃダメだ!」というテーマでもって葛藤する主人公を描きました。この場合、コップの外に出るor出ないで葛藤する主人公です。

ですが、キョンというキャラクターはどこか諦めており、「時が来たらどうしようもない。だから適当に、今を楽しもう」と半ば無気力な状態の主人公として描かれます。一方、涼宮ハルヒも同じ心境を持ちながら、キョンとは正反対のアクションキャラクターとして、超行動的に描写されます。

コップの外にはいずれ出なければならない。諦める者ともがく者。はたまた、コップの中で時が来るのを忘れるために騒いでいるようにも思えます。ただ「エヴァ」と決定的に違うのはキョンハルヒも「いずれ外へ出る事は逃れようのない事実」と意識してしまっているキャラクターである。ここが非常に面白いのです。

キョンは理性的だが、無気力で非行動的。
ハルヒは感情的で、行動的。


私個人はこの2作品をその時代に生きる価値観が上手く表現出来ている作品であり、素晴らしいヒット作品だと思っています。
そして、その系譜のもと、京都アニメーションは「けいおん」をこの世に生み出します・・・(part2へ続く)。