「歴史主体」論争をふりかえって

鉄血勤皇隊については資料を読み込んでからまた改めて追記する予定だが、それとは別件で。
加藤典洋高橋哲哉の間で行なわれたいわゆる「歴史主体論争」を契機に戦争責任、戦争犯罪、戦後補償問題に関心をもった、というひとは少なくないように思う。私にとっても、いくつかあるきっかけの一つになっているわけだが、当時から漠然と予感していてこの2年ばかりつくづく実感させられているのは、「自国の300万の死者を弔い“われわれ”を立ち上げることによってこそ、アジアの2000万の死を悼むことができる」という議論に反駁することは比較的容易でも、「責任=応答可能性」がこの社会で広く受容されること、即ちこの社会のマジョリティが犠牲者からの呼びかけに応えること(応えるようはたらきかけること)は非常に困難である…ということだ。なにしろ、長い沈黙ののちにようやく語り始めた犠牲者を(なんらの具体的な根拠もなしに、頭ごなしに)嘘つきと決めつけてはばからない人間がいるのがこの社会なのだから。彼らに嘘つき呼ばわりをさせる機会を与えまいと思うと、被害者側の資料をブログで用いるのに二の足を踏んでしまうくらいである。


しかしこのことは、「われわれ立ち上げ派」の提案ならスムーズに実現するだろうということを意味するわけではない。「われわれ」をまずは立ち上げる、という発想のはらむ困難を露呈させたのがほかならぬ沖縄戦での「集団自決」をめぐる議論であろう。

「集団自決で軍命令なかった 歴史教育議連」
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会合には、元衆院議員の浜田幸一氏が乱入。中村粲獨協大名誉教授の講演後、「沖縄は27年間返還されなかった。その苦痛を受け止めてほしい」「お前らは日教組と戦ったのか」とまくし立てた上で退散した。出席議員からは「何だが分からないがホントに迷惑だ…」とぼやき声が漏れた。
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MSN産経ニュース 2007.12.19

私にはハマコーの言うことがちゃんと「分かる」。賛否は別だが。右派の発想としてはむしろ真っ当だろうと思う。つまり「われわれ」を(あるいは「国民の歴史」を)立ち上げようと目論む側にも「多少旧軍に泥を被せてでも*1沖縄を統合しよう」と考える勢力と、沖縄を排除してでも旧軍との一体性を護ろうとする勢力とがいる、ということだ。現在の福田内閣が(沖縄の人々にとっては十分とは言えないとしても)それなりに融和的な姿勢を当初からみせていたことと、官房長官時代の福田康夫が私的懇談会で靖国−−軍人以外の死者を基本的に排除しているという点で、実は「われわれ」の依り代には不適切な場である−−に代わる追悼施設の建設を検討させたことの間に、なんの関係もないとはとても思えない。この対立は、加藤典洋が右派からも批判された(例えば「300万の死」の意味付けをめぐって)ことを考えれば、当初から存在していたものだと言える。


右派・保守派内部のこうした亀裂は、実はかなり深いものなのではないだろうか。前者のタイプの人々に「応答」を呼びかけることは意味があっても、後者に対してはどうすればよいものやら、途方にくれてしまうというのが実情だ。

*1:これは私が最大公約数的な認識を推測して使っている表現であり、保守派の中にだって旧軍の責任を重視する人々はいるだろう。

『シリーズ・花岡事件の人たち』刊行開始

社会評論社から全4巻で野添憲治氏の『シリーズ・花岡事件の人たち』が刊行されることになり、第1集の『強制連行』が書店にならんでいる。(毎日新聞の報道出版社のHP
花岡事件では被害者(生存者)が鹿島建設に対して損害賠償を求める訴訟が起こされ、高裁で和解勧告が出されたが、和解受け入れ派と拒否派との分裂がおきるという事態になった。正式な謝罪をしようとしない鹿島と原告の高齢化…という事情は慰安婦問題の場合とよく似ている。アジア女性基金の実績を評価するうえで当然比較対象とならねばならない事例である(が、私の記憶にまちがいがなければ『「慰安婦」問題とは何だったのか』にこの問題への言及はない)。和解拒否の立場から書かれたルポについてはこちらを参照。
しかしこの価格で4冊というのはキツいなぁ…。