見過しに出来ない事件

MLその他で知った出来事です。
支援要請の文を転載し、その後に感想を付け加えます。


(以下転載)

【支援要請/転送転載歓迎】


A君は無罪だ!生活保護申請に対する不当逮捕・起訴弾劾!!


関西非正規等労働組合ユニオンぼちぼち
2009.11.28


生活保護の申請をさせて下さい!」と泣く泣くカメラを手にしたA君を逮捕・起訴するなんてあんまりじゃないか!
A君の救援活動と無罪を勝ち取るための法廷闘争へのカンパをどうか宜しくお願いします!

【カンパ先】
郵便振替 00900-8-263985
加入者名 ユニオンぼちぼち
(通信欄に「A君」と記して下さい。)
この件に関する問い合わせやメッセージは hogohiwoageroアットyahoo.co.jp (アットを@に置き換えてお送り下さい)までメールをお願いします。


 10月27日朝、組合員であるA君は、いきなりやってきた大阪府警によって家宅捜索をされ、職務強要罪(※)で令状逮捕されました。
29日に送検、勾留延長もされ11月16日に起訴されてしまいました。
 A君は福祉事務所から生活保護を受給していました。結果的に受給は出来ていたものの申請にあたっては大変な困難が伴った末の保護決定でした。

 今年2月、ユニオンぼちぼちは世界的な金融危機以降悪化する雇用情勢の変化に伴い、生活保護の取得の仕方を学ぶための学習会を開催しました。
全国各地のユニオンの共通の課題として浮上してきた問題だと思いますが、
労働にまつわる相談の解決の前にまずは生活の安定が必要であり、そのための生活保護申請のノウハウを組合員間で学習しようという試みです。
 勤務先で散々社長に罵られた挙句に不当解雇に合い、組合に相談にやってきたことがA君と組合との出会いでした。
A君は労働法などを一生懸命勉強し、自分が争議の中心になって会社との交渉を行ってきました。
しかし生活面は安定したものと言える状態にはなく、生活保護を申請することになりました。

 ユニオンぼちぼちは、生活保護の申請時における「水際作戦」といわれる福祉事務所の対応が問題だと考えてきました。
水際作戦とは、福祉事務所へ相談に訪れた人々に対し、申請用紙を渡すまえに職員が理由をつけて追い返すことにより、保護の件数を予め抑制しようという手法です。なんとか申請をして保護を受給できたとしても福祉事務所からの執拗な「指導」により保護打ち切りに合い、保護基準以下の生活を再び強いられていく人が少なくありません。
北九州市においては生活保護を打ち切られた男性が「おにぎりが食べたい」と書き置きを残して餓死するなど、全国で痛ましい事件が続発しています。
日弁連によると、本来なら生活保護制度を利用できる経済状態にある人々に対しての実際の支給率はわずか9〜19・7%ということです。
その大きな要因として、福祉事務所による申請への違法な拒否行為が挙げられています。A君の保護申請は、こうした状況の中で行われたものでした。

 本来、困った人のために相談にのり、サポートするのが仕事であるはずの福祉事務所の対応はとても冷たいものでした。
そのことにA君は不安を募らせていきました。そして残念ながら、当初の保護申請は却下されてしまいました。
困ったA君は再度申請を行おうとしましたが、福祉事務所は素直に取り合ってはくれません。
やむにやまれず自分の部屋からビデオカメラを持ってきて、福祉事務所の職員に訴えました。
生活保護の申請をさせて下さい!」

 2ヵ月半後、この時の行為が職務強要罪の容疑にあたるとされ、A君は逮捕されました。

 しかし組合員が一緒に福祉事務所に話に行くと保護が支給されることが決まり、逮捕までの2ヵ月半の間A君は無事に保護生活を送っていました。
逮捕の2日後、ユニオンぼちぼちの大阪事務所が家宅捜索されました。
念のため付け加えておきますと、
生活保護を受給する資格がないのに恐喝して違法に受給をしたという容疑ではありません。
その証拠に現在も保護は廃止(取り消し)ではなく、逮捕・勾留による停止という状態になっています。
職員の冷酷な対応を受け、やむにやまれずカメラを回しながら訴えたことが容疑とされているのです。その後、その映像が公開さたことはありません。

 勉強熱心なA君は逮捕前、生活保護を抜け出すために国の新しく始めた職業訓練制度を使い訓練学校に通い始めていました。
入学のための選考試験は簡単なものではなく、時には落ち込むこともありました。しかし何度かの不合格を乗り越え、ようやく入学することが叶ったとき、私たちは手を取り合って喜んだものです。
資格取得を目指して学校に通うことはA君にとって生きる張り合いになっていました。身近で様子を見聞きしてきた私たちは、その生活がとても大切なものであるということを感じていました。
しかし、ようやく安定して学校生活に通えるようになった矢先に、突然逮捕されてしまったのです。
A君は無実です。逮捕・起訴・勾留によって学校生活もメチャクチャにされてしまいました。このままではA君は出席不足による退学処分になってしまいます。

 私たちはA君の即時釈放を求めています。
 そして裁判では必ずA君の無罪を勝ち取らなければなりません。
また、この事件で有罪の判例を出させてしまったら、労働運動や社会運動においてビデオカメラを使うこと自体が抑制される恐れがあり、到底容認できるものではありません。
 心を寄せてくださる皆様には、未曾有の失業の嵐のなか大変心苦しい限りではございますが、この闘いへのカンパを寄せて頂くようお願い致します。


※職務強要罪とは、公務員に対して、「ある処分をさせる目的」、「ある処分をさせない目的」や「公務員の職
を辞させる目的」のいずれかをもって、暴行または脅迫を加えるというもので、「3年以下の懲役若しくは禁錮又は50万円以下の罰金」という重い罪です。
私たちはA君の言動が犯罪にあたるという見解を容認できません。

(転載以上)






実際に最終的には生活保護申請は認められ、現在も(逮捕によって停止されてはいるものの)、その認定は生きているということから考えても、A君の生活が保護を必要とするほど逼迫していた(いる)ということは間違いない事実だろう。
にも関わらず、(そういうケースが大半なのだろうが)生活保護申請は当初は認められなかったのだ。それは、上の文中に次のように書かれている大枠の事情によるものだろう。

日弁連によると、本来なら生活保護制度を利用できる経済状態にある人々に対しての実際の支給率はわずか9〜19・7%ということです。
その大きな要因として、福祉事務所による申請への違法な拒否行為が挙げられています。A君の保護申請は、こうした状況の中で行われたものでした。


こうしたA君が置かれた状況を考えれば、よしんばその行動に「行き過ぎ」があったとしても、逮捕という決定的な暴力の行使は決して許されるものではない。
それが「決定的な暴力」だというのは、職もなく生活保護が必要なほど困窮している若者の現在と将来に、回復が困難と思えるほどのダメージを与える措置だからである。そのことは、次のような箇所を読めば切実に分かる。

勉強熱心なA君は逮捕前、生活保護を抜け出すために国の新しく始めた職業訓練制度を使い訓練学校に通い始めていました。
入学のための選考試験は簡単なものではなく、時には落ち込むこともありました。しかし何度かの不合格を乗り越え、ようやく入学することが叶ったとき、私たちは手を取り合って喜んだものです。
資格取得を目指して学校に通うことはA君にとって生きる張り合いになっていました。身近で様子を見聞きしてきた私たちは、その生活がとても大切なものであるということを感じていました。
しかし、ようやく安定して学校生活に通えるようになった矢先に、突然逮捕されてしまったのです。
A君は無実です。逮捕・起訴・勾留によって学校生活もメチャクチャにされてしまいました。このままではA君は出席不足による退学処分になってしまいます。


生活保護申請という、生きていく上に必要不可欠な行動、しかも社会や国が個人に対して当然行わなければならない措置を要請するのであるから、それ自体まったく社会的な行動をとった結果、そこにカメラを回すという「行き過ぎ」があったという理由で、逮捕という決定的な暴力の報復を、この困窮した立場にある人が受けたのだ。
仮に、こちら(A君)の行動が「行き過ぎ」であり、「暴力的」なものだったとしても、この行政・警察による報復的な暴力は、まったく度を越したものだということが分かるだろう。


そして、この行動は、「行き過ぎ」などでは全くないのである。
生きるために必要であり、しかも権利として当然受給されるべきものを、はじめにも書いたような冷淡で不当な対応によって拒絶された人が、行政との交渉の公平性、透明性を求めてとった措置ではないか。
当人の事情と心理の切迫を考えれば、こうした手段を行使することの主張は、当然認められるべきものだろう。いったい交渉の現場でカメラを回されることで、どんな不都合があるというのだ。
かりに福祉事務所の職員の側が、カメラを回されることによって何らかの圧迫を感じたとしても、A君自身が感じていた圧迫感の大きさ・切実さとは比較にならないだろう。
だが職員(行政)の受けた圧迫(?)は犯罪化され、受給を不当に拒まれていた個人の感じていた圧迫や不安の方は、ここでは考慮されないのだ。


この事件が意味しているのは、この逼迫した個人の現在と未来を、警察を含んだ行政の権力という、われわれの社会の機構が押しつぶそうとしているということだ。
この事件が、こうした事柄が黙認されるなら、われわれとわれわれの社会による、こうした諸個人への圧迫と暴力は、ますます止め処がなくなっていくだろう。


当人が組合の活動に関わっていて、申請にも組合の人が同行したことがある(それによってはじめて申請が認められた)こと、そして組合の事務所が家宅捜索されたことから、「たんなる個人の行動ではない」かのように考える人もいるだろう。
だが実際、A君のような人が誰の協力もえずに、正当な生活保護の申請を受け付けてもらうことが、どのようにすれば可能なのか。
上の事例は、その困難を端的に語っているではないか。
ここまで困窮した人が、今の社会のなかで生きていくうえに正当な権利を主張するには、この組合の人たちのような人々との協力が、ほとんど必要不可欠になっているというのが、このぼくたちの社会の現実ではないのか。


こうした不当な事件(社会と権力による暴力の行使)と、そこで押しつぶされそうになる個人の人生を見棄てるようなことは、決して許されないと思う。