「権力に対抗しうるメディア」実現の条件

ウィキリークスが、「アメリカの情報機関が、日本政府、日銀や大手商社、それに、要人自宅の電話まで盗聴していた」とすっぱ抜いた件は、これからのメディアの形を考える上で、非常に示唆深い事件でした。

ご存じのように、今、日本の国会における最大の争点は、安全保障関連の議論です。その本質は、「日米同盟への、より積極的な日本の貢献を可能にするための法案整備」であり、一言でいえば「日米同盟の強化法案」と言えるでしょう。

これに反対する人やメディア、野党などは、デモの他、与党議員の失言を次々と追及していますが、

はっきりいってそんなことより、ウィキリークスが指摘したような事実のほうが、反対理由としてはよほどパワフルでしょう。


つまり、「“法的安定性なんてどうでもいい”発言は許せない。辞任しろ!」と詰め寄るのもいいけど、

「親密な同盟関係にあるはずのアメリカは、日本に対してこんなことしてるんですよ? 集団的自衛権の行使なんて可能にしたら、アメリカにいいように使われるだけでは?」とか、「信頼関係の築けない国と、集団的自衛権を行使するとか、ありえなくないすか?」 という反論のほうが、

(失言追及なんかより)よほどまともな反論になりうると思うんですよね。


そしてこの話のポイントは、そういうマトモな、かつ重要な政府批判の源となりうる情報を取ってこれるのは、もはや新聞社でもテレビ局でもなく、ウィキリークスのような組織だということなんです。


★★★


だってね。

官邸が用意してくれた記者クラブで雑談しながら待機し、「首相が出てきた!」といっては大急ぎで飛び出し、廊下で首相をとり囲んで一斉にマイクを突きつけて取材したり、

官僚が懇切丁寧にレクしてくれる統計発表や法案趣旨説明をそのまま記事にする、みたいなメディアには、今回、ウィキリークスが明らかにしたようなインパクトのある情報を収集することは、まず不可能でしょ?


今週末のツイッター読書会の課題図書である『 昭和史 1926-1945 』でも、メディアが如何に権力に弱いかということは、繰り返し書かれています。

戦争中、新聞やラジオは、視聴者数や部数を伸ばすため、競うように戦争を煽っていました。

日本が負け始めても 大本営発表を上回るヒドさで事実をひん曲げ

陛下が「降伏する」と決めた後でさえ、「原子爆弾なんて、対策さえ講じれば怖くない!」といった驚くほどトンデモな理由で、本土決戦→玉砕を勧めるかのような社説を書いていた、これが戦争中のメディアの現実です。


メディアだけではありません。大物と言われるような政治家だって同じです。

太平洋戦争の前も、アメリカとの戦争に反対してた人はたくさんいたけれど、5.15 事件や 2.26 事件などが起こり、右傾化した若手軍人に暗殺されるリスクが現実的なモノになると、みんな腰砕けになってしまう。


そんなの・・・当たり前だよね?


あたしだって世の中がきな臭くなり、“戦争反対!”って書いたブロガーが次々と夜道で襲われる、みたいな状況になったら、何も書かないです。てか、ブログ止めます。

ブロガーだろうが、ジャーナリストだろうが、政治家だろうが、大半の人は自分や家族の命の危険をおかしてまで、頑張ったりはしないんです。


もちろん、ごく少数、信念を貫き通す人もいます。

でもそういう人の数は少ないので、コトが起こればすぐに牢屋に放り込まれます。だから結局、抑止力にはなりません。

つまり、「暴走する権力を言論の力で止められる」なんていうのは、(それを理想として掲げることに反対はしませんが、)現実的には機能しないんです。


ちなみに、メディアが戦争を煽るのは、昔の日本だけの話でもありません。

2001年に 911テロが起きた後のアメリカのテレビも、全局一丸となってイラク戦争を煽っていました。当時、戦争に反対する人は、まるで非国民のような扱いを受けていたんです。

このようにメディアというのは、戦争を煽り、愛国心を刺激しまくって視聴率を上げる(もしくは部数を伸ばす)、そういう機関なのであって、「言論の自由で権力を監視」できるなんていうのは、せいぜい平和な時代だけなんです。


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なんだけど、ウィキリークスの今回の発表を見て、「もしかすると技術によって、それが可能になるのかも?」とも感じたんです。

今回の件は、「ウィキリークスが発表した」と伝えられてますが、主語である「ウィキリークス」って、匿名主体ですよね。

創始者であり広報担当ともいえるジュリアン・アサンジ氏や、米諜報機関の違法捜査を告発したエドワード・スノーデン氏など、一部の情報提供者の名前が明らかになることもあるけど、


今回の「アメリカ政府が日本の政府や企業を盗聴してる」という発表に関して、具体的に誰がそれらの情報を入手し、誰が分析や検証を担当したのかなどは、全く明らかにされていません。

だってそんなことを明らかにしたら、その人にはソッコーで(アメリカ政府から)逮捕状が出され、家族との平穏で自由な生活が一瞬にして失われるだけでなく、下手すると命の危険にさえ晒されます。

だから「誰が情報を提供し、誰が今回の発表の責任者なのか」といったことは、完全に(とは言わないけど、非常に高いレベルで)秘匿されるのです。


で、今回、私が感じたのは、「権力を監視するメディア」が理想像としてではなく、現実に存在する時代が来るとしたら、

それはウィキリークスのような「技術によって完全匿名性を確保できる機関」がメディア活動を始めた時なんだな、ということでした。(注:現時点のウィキリークスの活動は、内部告発サイトの運営であってメディアではありません)


前述したように、個人名が特定される既存型メディアでは、権力が推進する戦争を抑止するなんて不可能です。この形だと、逮捕されたり拘束されたり暗殺されたりを防げないのですから。

しかも今までは、「個人名が特定されない形で、かつ、世界に広く発信できる影響力を持つ」こともできなかった。だから「権力に対抗するメディア」なんて、絵に描いた餅だったわけです。

ところが、技術によってそれが可能になってきました。


もちろん、アメリカの諜報機関がその英知を結集しても、情報提供者の居場所や活動内容を隠し通せるだけの技術レベルを持つことが必須ではありますが、

今はそれが、「もしかしたら、可能になるのかも?」と思える状況でもあるわけです。


しかももっと技術が進めば、自分で学習する強い人工知能が、人間に変わってアメリカの政府情報を盗み出し、世界に公表するような時代がくるかもしれません。

アメリカ政府が犯人を逮捕してみたら、なんとびっくり! そいつは(人間じゃなくて)人工知能でした! みたいになれば、まさに「決して権力に屈しないジャーナリスト」の誕生です。


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ちなみに、匿名性の確保が必要なのは、情報収集や分析・編集を担当する人だけではありません。

権力に支配されない形で、組織の活動資金が得られることも重要な条件です。


たとえば、ウィキリークスの活動資金が特定の企業や起業家から出ている場合、アメリカ政府はそれらのスポンサー企業や起業家を取り締まることで、間接的にウィキリークスの活動を抑制できます。

もし反米的な国が資金提供をしていると分かれば、それらの国に経済制裁をしたり、爆弾を落としたりすることもできるでしょう。

だから権力に完全に立ち向かえるメディアが成り立つためには、情報収集担当者だけでなく、そのスポンサーも、完全匿名を確保できる必要があるんです。


これは、支援者が不特定多数の個人の場合でも同じです。

たとえばウィキリークスの支援者が、ペイパルやクレジットカードを使って寄付をするなら、米政府はそれらの決済サービス企業に影響を及ぼすことで、資金の出し手へも影響を与えることができます。

なので、こういった組織が継続的に資金を集め続けるには、「どこの政府からも完全に独立した通貨や決済システム」が必要になるんですよね。


・・・で、これも出てきそうな気配が?


★★★


つまりメディアが権力に弱いのは、「そこで働いてる人が腰抜けだから」じゃないってことです。

これまでの国家権力というのは、軍事力と警察力を独占し、個人を逮捕したり暗殺したりできる上に、金融から情報まで、すべての社会インフラを独占支配してきました。

そんな環境下で、「ペンの力で刀に立ち向かう」なんて言っても、そもそも現実的ではなかったんです。


それが最近は、ほんの少しだけではあるけれど、「政府だけが絶対的に高いレベルの技術を持ち、金融や情報などを含め、社会インフラを完全にコントロールできる時代」に、綻びが見えてきたようにも思えます。

<過去関連エントリ>
企業は国家を超えた存在となる
民主主義は死んでるけど、資本主義は超元気
“メディア 対 権力”というおかしな虚構


そしてもしも将来、(人間の電脳移植なども含め)“生身の個人”を国家から完全に防衛できる技術が成立したら・・・その時には史上初めて、“権力に対抗しうるメディア”が成立するのかもしれない。


なんてことを、考えたりした猛暑の午後。


そんじゃーね!


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