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Close to the Wall

2009-07-06

[]SF乱学講座 岡和田晃 - 「「ナラトロジー」×「ルドロジー」――新たな角度からSFを考える」

ご本人による記事にあるとおり、
SF乱学講座、お疲れさまでした。 - Flying to Wake Island 岡和田晃公式サイト
岡和田晃さんが講師を務めるSF乱学講座に行ってきました。

今回の演題は「ナラトロジーとルドロジー」ということで、つまりは文学とゲームを二本柱に、文学では青木淳悟作品を、ゲームでは岡和田さんの初の単著であるガンドッグゼロというTRPGリプレイ「アゲインスト・ジェノサイド」をテキストに、その両者をどのように位置付け、どのような繋がりを持っているのかを語ってくれました。

正直いってこれが素晴らしく面白い。これはホントに行って良かったと思いました。

聴いていて、自分のこれまでに考えてもいたことが、より深く捉え直され、また違った文脈へ接続され、より大きなパースペクティヴのもとに配置されるのに感動し、そしてそこからまたまったく違うと思われていたジャンルとの関連性が指摘され、文学からゲームを横断してみせるパワフルかつ異端的な語りは非常に刺激的でした。

以下、要約として正確かどうかは自信がないので、参考程度に読んでください。

たとえば前半ではSFから話を始めるわけですが、テクノロジーと人間の関係を描くSFというジャンルの作家として、J・G・バラードを挙げ、その近作がテーマとする現代の高度化した監視社会が取り上げられます。そこでは人間の存在はデータ、情報の束として把握されるわけですが、その視点を突き詰めていくと、内面性といった人間的側面が解体されていくことになる。そこで、グーグルストリートビューによる視点を活用した青木淳悟の「TOKYO SMART DRIVER」が出てくるわけです。青木淳悟の特に「このあいだ東京でね」では人間の内面性に迫るというやり方は採られず、小説的にはあまり不可欠とは思われないような多様な地味かつ実用的な情報が多量に用いられ、事態が鳥瞰的な視点によって捉えられるということが指摘できます。

このあいだ東京でね

このあいだ東京でね

これを監視・管理社会、あるいは高度情報化社会における「身体の消失(デイヴィッド・ライアン「監視社会」)」という「人間」の意味を捉えた小説として、あるいはフーコーのいう「人間の消滅」した小説として青木淳悟の小説を位置付ける。

監視社会

監視社会

私も青木淳悟作品を「知識が主人公」と言うふうに書いたのですけれど、岡和田さんに当日私の青木評が紹介されて、「厳密には情報が主人公といえるのでは」と指摘を受け、それはまさにその通りで、そこからバラード、監視社会フーコーにつながっていくのには唸らされました。たぶんそこに伊藤計劃の「ハーモニー」もつながるはずで、参考文献に挙げられていながら触れられなかったことについて岡和田さんに訊こうと思っていたらすっかり忘れてしまっていたのでここに書きます。

で、青木の「このあいだ東京でね」の表題作の書き方を、デイヴィッド・ライアンが監視社会シミュレーションゲームシムシティになぞらえていることとつなげます。そこに、監視社会というのが相互監視という双方向性が重要な要素となっていること、シミュレーションには情報が相互に影響し合う輻輳性があるということを指摘します。この相互性、インタラクティビティはゲームに必須の要素であるということから、TRPGにおけるゲームマスターとプレイヤーによるその場で相互的に生成されていくプロセスの話がつながってきます。

監視社会情報化社会における相互性とゲームにおける相互性を糸口に、横断していくわけですが、ここら辺は議論がやや難しいものだったので、そのうちアップされるであろう岡和田さん自身のレポートを是非とも参照してもらいたいと思います。

後半のゲーム論も非常に面白いのですが、要約は措くとして、岡和田さんの「アゲインスト・ジェノサイド」についてちょっと書きます。

この本、読めば普通に楽しめるものなんですけれど、読んでいてなんと難解な本なのだろう、という感想を持ちました。どういうことかというと、ここにはまずゲームとしてのルールがあり、そこで小説的に読めるシナリオが展開され、さらに各キャラクターを演じるプレイヤーサイドとゲームマスターとのやりとりのフィクション外の現実のレベルがあり、さらにそのすべてが相互的に関係して、ゲーム、シナリオの展開が刻一刻として変化し続けるというプロセスがあります。小説読者として読むと、やたら高度で複雑なメタフィクションみたいなものに見えるわけです。まあ、普通はリプレイはこういう風には書かれないらしいのですが。

今回の講演では輻輳性が重要なキーワードになっていて、リプレイのこの複層的な書き方は明確に意図されたものとして、そして文学との関連においても意味あるものとして採られた手法ということがよくわかり、非常に興味深いものでした。


会場では25人定員の集会室に20人近くの参加者を得て、立ち見の人がでるくらいの盛況で、乱学講座では例外的に人の多い回だったようです。これなかった人はブログなどにアップされるであろうレポートを期待してお待ちください。

当日思ったこととしては、この現代の監視社会論からたとえば安部公房の「箱男」「密会」を読むとどうなるのかというのがあります。前者は見返されない一方的に見る視点を、後者では監視社会化した病院を舞台にしていて、両作ともエロティシズムが非常に重要なモチーフになっています。安部公房は日本でもっとも先端テクノロジーに鋭敏な作家(というか発明家でしたし)でした。

あと、TRPGプレイヤーからみて、オンラインRPGはどう捉えられるのかを聞き損ねました。

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