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2013-04-18 Thu
医療事故調再び
先日より厚労省の検討部会で議論していた医療事故調の案が一応まとまり,法案として提出されることになりそうです。
18日に開催された検討部会では、診療行為に関連した死亡事例はまず、医療機関が院内で原因究明し、遺族などがその調査結果に納得できない場合、院外に再調査を申請できる仕組みにすることを確認した。ただ、遺族などが医療機関に不信感を持ち、院内での調査を望まないケースでは直接、院外に調査を依頼できる仕組みも選択肢として残した。医療機関は、再発防止につなげるために、調査結果を第三者機関に届け出ることになる。
医療事故調関連法案、臨時国会に提出へ - キャリアブレイン
議論の流れとしては,第三者機関主体の厚労省大綱案に対して医療側の大反対があり,院内調査優先の民主党案が提案されたあとに民主党政権となりしばらく沙汰止みとなっていました(このあいだに議論が進まなかったのが悔やまれます)。その後民主党政権の末期になって再び厚労省内で議論が再開,今回の院内調査と第三者機関の二段構えという方針に至ります。
過去の記事を追うと,第三者機関の立ち位置については最後の最後まで揉めたようです。院内調査が優先するにせよ調査結果をすべて第三者機関に届けるという最終的な着地点は,妥協のようでいて実質的には厚労省大綱案を受け継いだ方針のように思えますが如何でしょうか。
検討部会に参加されていた中澤堅次先生は第三者機関に対して否定的な見解を表明されています。
第三者機関に寄せられる期待は、隠蔽・改竄、故意の犯罪などの摘発もありますが、最も大きな期待は、死に関連した医療行為の是非を専門家自身が判定する難しい作業を行うことです。事故の被害者は、悪い結果に医療の失敗を疑い、すべての事例に専門第三者による明確な判断を求めます。また医療側には事故に関するいわれのない訴追や、警察捜査を回避するため、同じ専門第三者にお墨付きを求めるという期待があります。
このように第三者機関設立に寄せる思いは、立場により異なり、求めるものも正反対ということになりますが、第三者に難しい専門的な結論を下してもらうところだけが一致し、大きな流れになってしまっています。しかし、死と医療との現実は変わるわけは無く、双方に不信感が大きくなればなるほど、第三者は深刻で分かりにくい判別を無理に下さなければならないジレンマを抱えることになります。
厚生労働省医療事故調査検討部会における二つの流れ - MRIC by 医療ガバナンス学会
多面的な「真実」に判断を下すことの困難さに加えて,そもそも現実に発生する事案に対して適正に審判を行うだけの人員と時間が圧倒的に不足するという実務的な問題も容易に想定されるわけで,患者側にとっても医療側にとっても期待に応えるものにはならないのでは,というのは個人的にはもっともな懸念だと思います。
そう考えると,本来の目的である再発の防止に寄与しないのでは,という大綱案で指摘された問題は本質的に変わっていません。なおかつ調査結果を責任追及に用いることが制限されないとすれば,当事者のあいだで事実を共有し現実と折り合いをつける過程が妨害され,紛争が助長される可能性は大きくなります。このままだと最良でも無用の長物,悪ければ医療現場の崩壊を後押しする法案になるような気がします。まあ法案提出までにまだ一波乱あるのかもしれませんが,それにしてもこんなにあっさり方針が決まってしまうとは,以前の厚労省大綱案に対するあの騒動は一体何だったんだろう…というのが実感です。
2013-04-14 Sun
「医療否定」は患者にとって幸せか
- 作者: 村田幸生
- 出版社/メーカー: 祥伝社
- 発売日: 2012/12/03
- メディア: 新書
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以前当ブログでも紹介(■スーパードクターの弊害)した『「スーパー名医」が医療を壊す』は目の付け所が面白くて語り口も軽妙で,なおかつ医療の実情をうまく伝えている本でした。本書は同著者による「平穏死」「尊厳死」ブームへの反論ということで早速買ってみました。
「神様のカルテ」などの小説・ドラマ・映画を題材にしながら,なぜエビデンスに反した「医療常識」が蔓延するのか,なぜ病院での最期は満足度が低いのか,説明と同意における食い違い,抗がん剤を使う意味といった医療者でもまだ整理がつかない話を整理がつかないなりに一般の読者に伝えようとする姿勢は『「スーパー名医」が医療を壊す』と同様です。
最終章では石飛氏の『「平穏死」のすすめ』を取りあげます。「高齢者や終末期医療の意味づけ」という壁にぶつかった医療者が「この人に治療を続けることに意味があるんだろうか」と自問する心情には共感しつつも,
老人ホームで,経管チューブの入った寝たきり高齢者を見て,
「お年寄りになんてことをするんだ!」
と思うのは,がん告知で
「お年寄りに何てことを言うんだ!」
と思うのと同じ。
「だって,もうこの人たちの人生に,大事な時間なんてないんでしょ」
と勝手に思い込んでいるだけではないだろうか?
そうだとすれば,無茶苦茶失礼な話だ。
第6章 高齢者の胃瘻は本当に意味がないのか? P206-207
と指摘します。最終的に『「平穏死」のすすめ』に対する評価は
それを老人医療の一般論として納得させるには,医学的にも,倫理的にも,人生論としても,はなはだ不十分ではないか
第6章 高齢者の胃瘻は本当に意味がないのか? P210
と結論づけています。
かなり厳しい評価ですが,当方としては一連の「尊厳死」「平穏死」「自然死」に関する書籍や記事を読んだり講演を聞いたりして感じてきた違和感というのがやはりそのあたりにあったということもあり,どちらかというと…というよりかなり著者の見解に共感を覚えます。
本人にとっても家族にとっても後悔の少ない最期を迎えるために,「尊厳死」「平穏死」「自然死」という考え方をうまく使うというならともかく,昨今のブームはむしろそれが目的化してしまっている印象があります。「尊厳死」「平穏死」「自然死」を提唱した方々がもともとそうした意図があったとは限らないのでしょうけど,やはりこのブームに対抗する言説がもう少し取りあげられてもいいように思います。
2013-03-11 Mon
二年目の春
以下は個人情報につき事実の一部を脚色しています。
昨年の初め頃,震災と津波により長年住んでいた家を失った高齢の女性が当院を受診されました。もともと独り暮らしでしたが,当地に嫁いだ娘さんが仮設住宅での生活を心配されて転居することになり,これまで近くの医療機関で受けていた診療を継続したいとのことでした。紹介状もなく手持ちの処方薬から診断を推測しながら診療を始めたのですが,診察室でのやりとりからは従来からある疾患よりもむしろ生活環境の急激な変化によるストレスが彼女にとっては大きな問題に思えました。背景として高齢に伴う心身の衰えもあるのでしょう。当方が医師としてできることはそれほど多くなく,安定剤が中心の処方を睡眠リズムが安定するよう整理することと,あとは彼女の訴えを拝聴するくらいです。
当初は口数も少なく故郷の話をしては涙を流していたのが,次第に笑顔も見せるようになり,震災後の状況を冷静に振り返るような言葉もありました。時間が経って次第に現実を受け入れ始めていたのかもしれません。そんなこんなで当方も安心し始めた半年後,娘さんが「やはり故郷に帰りたい」と彼女が希望していると相談にみえました。医師の立場からは冬期の独居はリスクが高いと思いますし,当然のように娘さんは相当引き留めたようですが,彼女も十分承知の上での決心だったようです。結局冬を迎える少し前に故郷に戻っていきました。
当方にとっては被災された方の不安や悲嘆,そして故郷に対する思いの一端を垣間見る機会となりました。幸いにして支えになる肉親に恵まれた彼女だけでなく,居場所を失った数多くの被災者が今なお仮設住宅での生活を送っていることを思うと言葉を失います。この冬の寒さは昨年にもまして厳しいことでしょう。先日みえた娘さんによると,彼女は現在のところ大事なく暮らしているとのことでホッとしました。いずれまたお会いできる日を待つことにします。
最後に改めて,震災で亡くなられた方々に哀悼の意を表し,被災地の生活が一刻も早く再建されることを祈念します。

