『ヘンリー六世 第一部』

 シェイクスピア初期の戯曲。百年戦争のさなかのイングランドとフランスを舞台に、前王ヘンリー5世の死去から、ヘンリー6世が王妃マーガレットとの婚約を決めるまでを描く。当時のランカスター朝イングランドは現在フランスの国土となっている地域にも領土をもっており、取った取られたの争いが続いていた。戦況は一進一退、イングランドの名将、トールボット卿の勇猛な働きに対しフランスの皇太子シャルルはオルレアンの少女、ジャンヌ・ダルクの力を借りて巻き返しをはかる。そんなさなか、イングランド宮廷では権力争いが勃発。その結果名将トールボット卿とその息子ジョン・トールボットは悲劇に見舞われることになる・・・。

 この手の歴史モノを読むときはたいていそうなのだが、Wikipediaや地図で登場人物や場所について調べることが多い。戯曲を書く側も、お芝居を見る側も当然知っている「常識」のようなモノを我々は知らないのだから仕方がない。にわか仕込みの知識で追いつこうとするわけだ。そんなわけで、この作品を読みながらWikipediaを引いていて思った。あれ、この人ってこの時点ではもう死んでるんじゃなかったっけ・・・。

 シェイクスピアは史実をありのまま忠実に戯曲化するのではなく、史実を自由に組み合わせ、時にはフィクションさえもとりまぜながら劇としてのクオリティーを上げるいう手法をとっている。現代の日本人の感覚では史実をできるだけ尊重し逸脱を避ける事が好ましいと思ってしまうのだが、当時は違ったようだ。当時の観客は全部分かった上で一つのアレンジとして認めてくれる懐の深さがあったのか、それとも単に歴史の知識が乏しかったのかは分からない(中には「おかしいじゃないか」と青筋を立てた人がいたのかも)。いずれにせよ冒頭にも書いたとおり「ヘンリー6世」はシェイクスピア初期の作品。20代前半の若き作家シェイクスピア君にとって、歴史を忠実にトレースすることより、お客さんのハートをグイグイ引き付けて離さない事、それが至上命題であることは明らか。長すぎてもいけないし、短すぎてもダメ、そして明らかすぎる嘘はきっとばれる。このあたりは、小説を映画化する際の悩みと同じだろう。そして、若きシェイクスピアはそれに成功したのだ。

 それにしてもこの戯曲、もし舞台で観たのなら、前述のトールボット卿親子の最後の場面など涙なしでは観られないだろう。日本人の心にもグッとくるものがある。そして物語は薔薇戦争を描く別の戯曲、 ヘンリー六世第二部 第三部 へと続くのであった。楽しみたのしみ。