『毒草を食べてみた』


 タイトルに惹かれた。毒草すなわち毒をもった植物を食べるというのだから尋常ではない。作者の植松黎は1948年生まれのエッセイスト。86年にカリフォルニア大に招かれた頃から毒草に親しんできたというから、キャリアは長い、筋金入りだ。豊富な経験と知識とを武器に、世の中でタブーとされている事をやってのけるのは痛快だ。以前読んだ『ビールを飲んで痛風を治す!』の気持ち良さと似ている。あれもダメこれもダメという過保護な世の中に風穴をあける、こういうノリが基本的に好きだ。

 本書に紹介されている毒草は全部で44。トリカブトや麻やケシ、ソクラテスのドクニンジンなどの有名どころは当然載っている。初めて名前を聞いたのはバイケイソウ、キナ、ミトラガイナ、ペヨーテ。え、それって毒草なの?と驚かされたのは夾竹桃福寿草スイートピーや鈴蘭や水仙、クリスマスを彩るポインセチアにも毒があるそうな。知らなかった。本書ではそれぞれの植物にどんな毒が含まれ、それを食べるとどんな症状になるかが書かれている。そしてタイトルにあるように、その内のいくつかを作者自ら食べている。趣味が高じての勇み足なのか、怖い物知らずなのか・・・あきれながらもその探求心に感服してしまう。断っておくが、作者の植松黎は生きている。そんな作者とは正反対に、知らずに毒草を食べてしまう事故も起こっているようで、本書でもいくつかの事例が紹介されている。中華料理に使われる八角と毒草のシキミを間違えた事例、ワサビと間違えてドクゼリを食べた事例、ドクウツギの赤い実を一年間漬け込んだ果実酒を飲んだAさんの話はとてもリアルで背筋が寒くなった。

 トライ&エラーの積み重ねは人類の知恵。先人の経験知をベースにその上に新たな経験や発見を重ねることで人類は進歩してきた。どの植物に毒があり、どの植物が美味しいかなんて事は、その地方に生きる上で必須の知識だったはず。今でも山村の子供は親や祖父母から「この草は絶対に食べちゃダメだよ」と教わっているのだろう。しかし現代の我々の行動半径はとても広い。見ず知らずの土地へ行くことも多く、この手の伝承だけではおいつかない。かといって学校教育で日本中の毒草を教え込むというのもナンセンスだろう。危険な虫や動物についても恐らく同じような状況なのだろうが、毒草の場合はさらに困った要因がある。本書の「バイケイソウ」の所に書かれていることだ。

「生きるために野生植物に依存する必要のない文明社会では、私たちは恐ろしいほど無邪気に植物を信じてしまう。相手が人間ならそれなりの用心をするのに、植物となるや緑イコール「善」、あるいは「自然」という耳に快い代名詞でくくってしまう。植物があたかも人間のために存在し、食べられるのを待っている、と思うらしい」

 うーん、確かにその通り。諸外国と比べ日本人は自然を克服すべき敵としては考えない。善意をもった自然、暖かな自然、人間も自然の一部・・・。そんな日本人の自然観が好きなのだが、知らぬ間に自然を甘く見てしまっているのかも。自然の一部である動物や虫たちは、命がけで自然と格闘している。トライ&エラーでその危険性を伝えてくれたご先祖様が「だから言っただろうが」と、(毒)草葉の陰で嘆いているかも。

毒草を食べてみた (文春新書)
作者: 植松黎
メーカー/出版社: 文藝春秋
発売日: 2000/04
ジャンル: 和書