とりあえず

明日で無事1か月にわたるサマースクールが終わる。職場で経験した充実感とはまた全然違った、今までにない充実感を味わっている。

とくにこの1週間は大きな企画が2つあったので、それを無事終えることができて何よりだった。

1つ目は、なぜか自分で企画する羽目になってしまった自分の誕生日会。。もともとは単に、せっかくいろんな国のやつが集まってるんだからってので、仲いいやつ4人に声かけて「みんなのお国料理を作るなり買うなりして持ち寄って近所の公園でパーティーやろうぜ」と企画を始めたのだが、なぜか気づいたら自分の誕生日で調整がついてしまい、妙な状況に。でも、最終的に当日は超快晴で、33人もの参加者がそれぞれに工夫をこらしたおいしい料理をたくさん持って来てくれて、とても楽しい会になった。また(思いがけず、というのも何だか嘘くさいが)、みんなから誕生日ケーキをもらってお祝いしてもらえた。頑張ってこの国にやってきてほんと良かったとつくづく感謝したい。みんなありがとう。

2つ目は、1か月かけてグループで作り上げた政策提案のプレゼンテーションを今日無事終えることができたこと。全30分のスピーチのうち12分間を自分が担当するということで結構プレッシャーもあったが、みんなで何回も練習を重ねて、積極的なプレゼンをすることができたと思う。また、これまでの役所の実務や研修で培った経験もあってか、単なる原因分析の論文ではなく、具体的なソリューションを提案する形での理論構成にこだわったのは良かったと思う。それがゆえか、プレゼン後のディスカッションは他の班と比べてもかなり活発だった気がする。やはり何事も抽象的なレベルでとどめるのではなく、できるだけ具体的な形に持ち込まないと批判のしようもないし、前向きな議論ができない、という当たり前のことを改めて感じた。
一方で、このスピーチを聞いていた友人からの評価ペーパーを見ると、「言葉の合間合間に『あー(ar)』を入れるのはやめたほうがいい」という指摘があった。あとでビデオを見返してみると、なるほど以上に多いし、耳障りだ。自分が学生のころ、先生の「あー」とか「えー」とかが気持ちわりーなと思っていたのを自分でやっていたことにようやく気づいた。たぶん役所でやってきた数々のレク時の説明でもそういう妙な間投詞が含まれていたんだろう。大いに反省すべきである。

というわけで、明日はサマースクールの修了式。終わったあとはお昼にハーレムでソウルフードを食べに行って、午後はMPDあたりで買い物して、夕方はみんなで飲み会。

サマースクールなのになぜか明け方まで勉強する羽目になったことも何回かあって(今日もプレゼンのスピーチ原稿の推こうと練習で一睡もしていない。。)、自分の英語力のなさをつくづく痛感した1か月だったが、いろんな企画やクラス雑誌の編集委員など様々な活動に首を突っ込んでとにかく忙しく過ごすことができた。秋以降はひたすら勉強にのめりこまざるを得ないが、まぁ適当に楽しくやりたいと思う。



全盲の先生「授業すごい」、生徒に通じた生きる力

こういうニュースがある限り、世の中捨てたもんじゃないとつくづく思う。

8月15日2時29分配信 読売新聞


国語の授業をする新井さん。黒板の左端には板書用の定規がある=小間井藍子撮影

 埼玉県の長瀞(ながとろ)町立長瀞中学校に勤務する全盲の教諭、新井淑則(よしのり)さん(46)にこの夏休み、教え子たちの感想が吹き込まれた声の便りが届いた。「先生が努力してるから私も負けずにやりたい」。

 ハンデを克服して15年ぶりに普通中学校の教壇に復帰してから4か月。生徒たちは、新井さんから生きる力を学び取っていた。

 「目が見えないのに黒板に字が書けてすごい」「宮沢賢治の『オツベルと象』の授業で、象の鳴き声の読み方が情感がこもっていてすごかった」。国語の授業を受け持つ1年生82人がつづった1学期の感想文を、音訳ボランティアが吹き込んだICレコーダー。新井さんは手厳しい意見も覚悟していたが、感謝や驚きの声ばかり。文章の切れ目がわかりにくい点字の教科書を何百回も音読して授業に臨んだことを思い起こし、目頭が熱くなった。

 網膜剥離(はくり)で右目を失明し、1993年に養護学校へ移った。その後に左目の視力も悪化して休職。リハビリを重ね、養護学校や盲学校を経て今年4月、普通中学校への復職を果たした。

 生徒に名前と自己紹介をレコーダーに吹き込んでもらい、名前と声が一致するまで何回も聴いた。生徒の机の裏に点字テープの名前を張り付けた。板書では、字を書く位置を決めるために磁石のついた定規をけい線代わりに使う。

 1年の小沢優一君(12)は「りんごをむいてみせてくれたのには驚いた。障害者への意識が変わった」。野口静香さん(12)も「先生を助けたくて、より積極的に勉強するようになった」と言う。

 新井さんが副顧問を務める文化部は、夏休みに絵本の点訳に取り組む。高田忠一校長(55)は「子供たちが思いやりを持つようになった」と話す。

 新井さんは、生徒たちの表情が見えないもどかしさも感じている。それでも、「教えることは楽しい」と、生徒たちの元気な声を聞くのを心待ちにしている。