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元スパイ、ラスブリッジャーの死



パトリック・ラーデン・キーフ著『チャター』(Chatter: Dispatches from the Secret World of Global Eavesdropping by Patrick Radden Keefe)の第4章「黒い電話・灰色の電話」。機密保持と情報漏洩(の歴史)についてコンパクトにまとまっている。

チャター―全世界盗聴網が監視するテロと日常

チャター―全世界盗聴網が監視するテロと日常


例えば、アメリカのシギント機関 NSA国家安全保障局、National Security Agency)の職員用ハンドブック。そこには「膨大な量の情報が、日々我々の事務所から外に持ち出される。それはNSA職員の頭脳の中にあるのだ。そこに、この組織の脆弱性がある」と記されているのだという。続いて「セキュリティの第一歩は精神状態から」というセキュリティ・ディレクター、フィリップ・T・ピースの思想/訓戒。

セキュリティの第一歩は精神状態から。シギントに関与する者は、この経文を毎日呪文のように唱え続け、日々の生活に不可欠なものとして、それで自分の人生そのものを束縛しなくてはいけないというのだ。ハンドブックには、職員が機関での仕事に関して配偶者や家族に話さなくてはならないときには、職務の本質については一切漏らしてはならないとある。


実際問題、NSA職員は、自分が働いている週に四十時間強の時間について、真空密閉して生活の他の部分とは切り離されなくてはならないのであって、日記に記すことも許されないというのだ。
「自分のキャリアの上で知り得た機密情報に関しては、個人の日記や記録、回顧録などにおいて、直接的であろうと間接的であろうと、あるいは単なる示唆であろうと、一切、記述してはならない」この調子で紙の記録が残ることを恐れるなら、自分の記憶そのものも切り刻んでおかねばならないということになる。


このハンドブックの中で強調されている言い方には、こうした組織でなければ使わないような興味深いフレーズがあるが、これも同じ原則に則っている。それは「機密ゴミ」だ。NSAではゴミすら機密なのだ。NASでは毎日四万トンの機密書類を自ら処分している。そこではパルプとしてリサイクルする手法がとられ、最終的にはティッシュペーパーになるのだそうだ。この部門は結構な収益を上げているという報告もある。




パトリック・ラーデン・キーフ『チャター―全世界盗聴網が監視するテロと日常』(冷泉彰彦 訳、日本放送出版協会)p.137-138


他にもニュージーランドシギント機関「GCSB」(政府情報保安局、Government Communications Security Bureau)の緊急時マニュアルには「火災や地震の際には、職員が避難する前に、全ての機密文書を持ち去れなければならない」と規定されていることや、実際の出来事として米海軍のEP-3E偵察機が中国沿岸でジェット機と衝突し不時着した際、乗組員は家族にも連絡せずひたすら機密書類を手で破いたり(シュレッダーがなかったので)、機材を破壊していたというエピソードが紹介されている。

それだけ厳しい機密保持がある一方、それゆえにだろうか、同じくらい機密漏洩のエピソードも記されている。元GCHQ(英政府通信本部、Government Communications Headquarters)職員ジェフリー・プライムのソ連への情報漏洩、ガイ・バージェス、アンソニー・ブラントらの「頭脳ごと」敵方ソ連への寝返り=亡命。

ただ、ジェイムズ・ラスブリッジャー(James Rusbridger)の場合は、敵へ情報を流すような「裏切り」を行ったわけではない。彼はMI6の手先として「鉄のカーテン」の向こう側で「何かの仕事」に就いていたという。その経験、独特の嗅覚、根っからの策略好き、を生かしてラスブリッジャーは小説を書いた。『諜報ゲーム』(The Intelligence Game)と『真珠湾の裏切り -チャーチルはいかにしてルーズヴェルト第二次世界大戦に誘い込んだか』(Betrayal at Pearl Harbor)である。後者は文藝春秋から邦訳されている*1

The Intelligence Game: The Illusions and Delusions of International Espionage

The Intelligence Game: The Illusions and Delusions of International Espionage

Betrayal at Pearl Harbor: How Churchill Lured Roosevelt into World War II

Betrayal at Pearl Harbor: How Churchill Lured Roosevelt into World War II


パトリック・ラーデン・キーフは、「このラスブリッジャーという男の書いたものは、スパイやシギントに関わる人の秘密の生活における心理に迫っているようだ」と多大な興味を示す。

「国家の安全を守るためという言い訳で、やたらと機密事項を増やす機密マニアは少しずつ増えている」そうラスブリッジャーは書いている。「今日では、英国での生活のあらゆる側面について機密パラノイアがのさばり、守るべき対象であるはずの人々自身に損害を与えている」のだと。


(中略)


彼の書くものは、次から次へと政府を告発し陰謀を曝露するものとして一貫していた。




『チャター』p,145


キーフは、元スパイ作家ラスブリッジャーについて書かれた本を読み漁った。そして彼の最後も知る。

ラスブリッジャーは機密や機密とともに生きる人生の危険を記した年代作家だが、そのラスブリッジャー自身の運命を知ったとき覚えた戦慄は忘れられない。
様々な死亡記事によれば、ラスブリッジャーが死体で発見されたのは六十五歳のときで、自分の山荘で首と足首にロープを巻きつけ、そのロープを精巧な滑車仕掛けにしてぶら下がっていた。全裸の上に革ジャンを着て、第二次大戦時のガスマスクをかぶっていた。周囲には、無数のポルノグラフィーが散乱していた。




『チャター』 p.146-147

ラスブリッジャーの名前は、ウィキペディアの英語版「真珠湾攻撃の予備知識と議論」(「Pearl Harbor advance-knowledge debate」)にも確認することができる。

James Rusbridger and Eric Nave, Betrayal at Pearl Harbor: How Churchill Lured Roosevelt into WWII (Summit, 1991) which posits that while the Americans couldn't read the Japanese naval code (JN-25), the British could, and Churchill deliberately withheld warning because the UK needed US help. Sir Nave was an Australian cryptographer whose diaries were used in writing this book; he later distanced himself from its content. A check against them has made clear that some of the charges Rusbridger makes here are unsupported by Nave's diaries of the time.




Pearl Harbor advance-knowledge debate [Wikipedia EN]

また、市民運動系の独立メディア「IMC、Independent Media Center(インディメディア)」のワシントンDC地区は、ジェイムズ・ラスブリッジャーの死(1994年)について、諜報機関絡みの「変死」を匂わす記事を寄せている。


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