カウンセリング専用電話番号 042-311-3471 / 受付時間:13:00〜23:00まで
2005 | 01 | 02 | 03 | 04 | 05 | 06 | 07 | 08 | 09 | 10 | 11 | 12 |
2006 | 01 | 02 | 03 | 04 | 05 | 06 | 07 | 08 | 09 | 10 | 11 | 12 |
2007 | 01 | 05 | 06 | 07 | 08 | 09 | 10 | 11 |
2008 | 01 | 02 | 03 | 04 | 05 | 06 | 07 | 08 | 09 | 11 | 12 |
2009 | 01 | 02 | 03 | 04 | 05 | 06 | 07 | 09 | 10 | 11 | 12 |
2010 | 01 | 03 | 06 | 07 | 08 | 09 | 10 | 11 |
2011 | 01 | 02 | 03 | 04 | 05 | 09 | 11 | 12 |
2012 | 01 | 02 | 03 | 05 |
2012-05-09
■[SE Cafe]「アジャイル、テスト、ソフトウエアの未来」トークショーを開催します!

今年度から、翔泳社で本を書いて下さった方をお迎えして、仕事終わりにお酒やお茶を飲みながらお話を聞く会を不定期定期的に行うことになりました。名付けて「SE Cafe」。カフェに行くように、気軽にお越しいただきたいという思いを込めて命名しました。
第1回目は、id:kawaguti さんからお声がけ頂き「実践アジャイルテスト」の著者の一人であるジャネットさんの来日に合わせ、5/29にTISさんの会場をお借りし開催します。監訳者の榊原さん、平鍋さんという豪華な布陣のトークショーとなりました。会費1000円は、当日の飲食代として頂く予定です。「実践アジャイルテスト」のカバーを片手に(書籍本体でも可)ぜひお越しください!
弊社では、毎年社長以外の社員全員が、年賀状の書籍の販促携わるという一大行事が、毎年年末にあります。当初はぶーぶーいう人もいましたが(今もいるかも知れませんけれど(汗))直接書籍のビジネスに関係ない人も、他の業務を学ぶいい機会になっています。私も毎回行くまではめんどくさいなあと思いつつ、行くとそれなりに勉強になることが多くて、全く違う仕事をする醍醐味を毎回感じています。そんな中デブサミの時に、イベント運営も社員全員で取り組んだら、仕事のヒントになるのではないかという提案を複数の人からもらいました。たしかに、イベントは、現場力、企画力、調整力が試される場であるとともに、読者の方や著者の方と、いつもと違う面持ちでコミュニケーションが取れる場になります。イベント運営サイドとしては、他部署の人に受付や司会や本の販売を手伝ってもらったりすることで、人件費の削減というメリットはあるのですが、それ以上に、それぞれの持場に帰った時のお持ち帰りがないと、結局当初の思いとずれてしまい、結果やらないほうが良かったみたいなことになりかねないため、どういうふうに実現するのがいいか考えていました。そこで、普段はイベントの携わることがない翔泳社の書籍チームが、読者の生の声を聞く場としてイベントをコーディネートしていくのはどうだろうか?つまり、イベント部隊が企画するイベントを手伝うのではなく、自分たちが主催するイベントをやっていただく、翔泳社の本を買って下さった方に本を読んでもっと知りたくなったことを、直接著者にお話を聞く機会を作るという場所を持てたらと思いました。ジュンク堂さんのトークセミナーの自社実行版みたいなイメージです。
役員会に提案したところ、まずはやってみようと合意も得られ、コミュニティリレーションズという名の部隊もでき、可愛い女子の担当者もつけてもらえることになりました。せっかくなので、会社の中のコミュニティと、会社の外のコミュニティをジャムするような部隊になれるように、取り組んでみたいと思っております。
感謝!
そんなことをつらつら考えていたら、メアリーさんのトークショーの後、かわぐちさんと豆蔵の山田さんとハンバーグを食べている時に、せっかくなのでジャネットさんのトークショーをやりましょうと声をかけていただき、榊原さんがたまたま日本にいることがわかり出演いただけることになり、TISの関さんが会場を貸して下さり、平鍋さんがサプライズで出てくださることになりました。なんというか、わらしべ長者のようにどんどんすごい豪華な布陣に集まっていただいての船出となりました。
2012-03-17
■[本][音楽]「小澤征爾さんと、音楽について話をする」を読んで思ったこと

- 作者: 小澤征爾,村上春樹
- 出版社/メーカー: 新潮社
- 発売日: 2011/11/30
- メディア: 単行本
- 購入: 10人 クリック: 100回
- この商品を含むブログ (92件) を見る
小澤征爾が病に倒れた。今も、復活したり倒れたり。私たちは、彼が病気と闘っていること、その上で表現者として活動したいと日々戦っている様を報道を通じて感じながら生きている。まるで、吉本隆明のように、スティーブ・ジョブスのように、死への時間と向き合っている一方で、表現者として魂が燃えている様を、否応なしに我々は見続けなければならない状況に置かれているのだ。本人ももどかしいだろうか、見守る方も苦しい。ましてやファンであればなおさらである。
でも、この本は、その苦しさを持って余りある彼本人の持つ明るさに満ちていた。小澤征爾の音楽にかけるパッションや、その小澤征爾を小澤征爾ならしめてきた、様々な恩師や共演者との出会いを、村上春樹の筆によって読める幸福に浸った。
読み終わりたくない本だった。もっと続きが読みたいので、小澤征爾がもっともっと長生きしてくれることを望む。老いていくということはどういうことなのか、存在で教えてくれた吉本隆明のように、生きて生きてほしい。生き急がないでほしいと切に思った。
■[本][釜石]「さんてつ」を読んで初めて三陸鉄道の再開の意義を理解した。

さんてつ: 日本鉄道旅行地図帳 三陸鉄道 大震災の記録 (バンチコミックス)
- 作者: 吉本浩二
- 出版社/メーカー: 新潮社
- 発売日: 2012/03/09
- メディア: コミック
- クリック: 2回
- この商品を含むブログ (15件) を見る
私は岩手県釜石市の生まれなのですが、三鉄には2回しかたぶん乗ったことがありません。震災後、三鉄の復活に100億以上のお金が必要との報道に、地元の人間ながら、冷ややかな気持ちで沈黙していました。3/10に釜石に戻り、リスタートした桑畑書店で1冊何か本を買おうと思って、店長さんにすすめられ、この本を買いました。帰りの新幹線の中、涙が止りませんでした。震災直後の対応のきめ細やかさ。何よりも、震災後5日で一部運転再開し、1週間無料で地元の人に希望の光をともした三鉄の企業としての品格にしびれました。「バスで良い」と思いがちだけど、バスなだめな理由を語る大学教授の言葉で、やっと三鉄を復旧させる意味が分かりました。
北リアス線と南リアス線の間には、宮古から釜石間を走るJR山田線があります。ここはまだ、JR東日本から復旧計画が出ていません。というか、JR東日本的には、山田線どころではないのでしょう。この際、三鉄に入ってもらって三陸をカバーする鉄道になってほしいものだと、本を読み終えて思いました。未曾有の逆境の中でアイディアを出し、存続に向けてがんばっている三鉄ならば、全線開業しても赤字を出さない経営を目指せるのではないかと思った次第。がんばれ!三鉄!応援したいと思います!
2012-03-04
■[Hack4Iwate][復興支援]3.11を迎えるにあたり:Hack For Japanスタッフとして個人的なふりかえり

3.11から6月末までのことを思い出すことを避けてきました。津波の映像、出来るだけ見ないようにしてきました。震災後、何度も釜石のことを書いてくれと、いろいろな人に言われましたが、書けませんでした。そもそも、釜石に対して、三陸に対して、日本に対して自分の思いをまとめるのは難しい。複雑。でも、震災を経て何をこの1年やってきたのか、自分自身を棚卸しするために書いてみることにしました。
Hack For JapanのスタッフMLには、入れていただいたのは、2011/3/16。よしおかさん(id:hyoshiok)に推薦いただいたことに始まります。そのMLには、Googleの及川さん、山崎富美さんに始まって、セールスフォースのCTOの及川さん、マイクロソフトの砂金さん、アマゾンの玉川さん、はてなの近藤さん、sinsai.infoを立ち上げた関さんなどなど、もう業界の英知が続々と入ってきており、サイトを立ち上げ、3月にハッカソンをやろうと、及川さんやふみさんがダダダダダダダーと準備している状況でした。
ワタシはというと、面倒なことに巻き込まれたなあというのが当時の正直な気持ちでした。当時、親は生きていることがわかったものの、大きな余震が被災地を揺らしている中、電話は通じず、親戚を含めて地元の安否がまだわからない状況、とにかく、会社の中の震災対応、年度末対応をやりながら、岩手のため家族のためにできることを瞬時の時間で判断しやりやりやっつけていっている最中。デベロッパーで無いワタシが、Hack For Japanに携わって役に立つことがあるのか、震災間もない段階で被災地から遠く離れたところで行われようとしているこの活動が、一体何の役に立つのだろうという思いも正直ありました。当時の東京は「買い占め」が横行中で、3.11以降首都圏に住んでいる人の災害スキルの低さに、個人的に心底がっかりしていた時期でもあったため、これ以上自分の住んでいる地域の人たちにがっかりしたくないという思いもありました。そんなわけで、ハッカソンの三連休は、やっと通じるようになった電話を通じて両親から「今これがあったら嬉しい」と言われたものを探して購入して送ることを優先し、自分が出来うる最低限の協力のみとさせていただきました。結果的に、ハッカソンは、大盛り上がりで終了したことを知り、せっかく入れていただいたのだからまずは否定せずにこの状況に飛び込んでみて、私に出来ることがあるか考えてみようと思ったことからワタシのスタッフ人生がはじまりました。
話が逸れますが、私自身は18歳で大学に入るために故郷岩手県釜石市を出てから、釜石のためにワタシが出来ることは何も無いと絶望をして生きていました。つまり、釜石に帰ること、釜石のおいしいものを紹介して食べてもらうこと、そのぐらいしか釜石のために出来ることが無いとずっと思っておりました。でも、震災の時に、インターネットでワタシが知り得た情報(例えば、岩手県のサーバーが不安定とつぶやいたら、ミラーサーバーが瞬時に2台立ち上がったとか、小包は届かないけど普通郵便だったら送れるから小分けに分けて送れる地域があるとか、佐川急便がいち早く被災地にものを送れるようになったとか。Twitterをやっていると余震があったときに自分の安否をたくさんの人に伝えられるよ。アマゾンが被災地からの出店は2年間無料などなど)をTwitterに書くことや、リアルであった人たちに伝えている中で、自分が仕事で使っているインターネットで知り得たことを教えることで、故郷に役に立つことを体験したのです。2重の意味で救われました。
やっているうちに、岩手県全体のインターネット使いこなし度を上げると、セーフネット的な機能が自然に生まれていくのでは?という仮説が浮かんできました。そのためには、まず、自由に乗りこなしている人、その仕組みを使ってサービスを作っている人が岩手に来ていただける活動をしたいと思いました。がんがんやっている凄い人のそばに居るとそれだけで感化していくことは、デブサミを通じて体感済です。そんな活動を、Hack For Japanを通じて出来ればと思ったわけです。もしかして、Hack For Japanの本来の活動主旨とは異にしたかもしれません。アイディアソン、ハッカソンを通じて、その場で問題を捕まえて解決していくというハッカー的アプローチよりも、一種異業種交流的な場を通じてハレーションがおこることを期待するというアプローチ。それが芽になるかどうかわからないけれども、少なくとも3年間は続けたらどうだろうかと思い、1回目のスタッフミーティングでそうお話ししたことを覚えています。ここまでが4月上旬。
それから約1年。いろいろなことがありました。以下、五月雨式で個人的なHack For Japanの活動に対するKPTです。ネットで公開することに意味があるかどうかわかりません。自分の備忘録として、1年の活動の禊として公開いたします。なお、活動が被災地の役に立っているかということですが、まだまだ全然サービスが立ち上がっていないので全然だと思ってます。2周目、分をわきまえつつ自分の出来ることを続けていこうと思います。
-Keep
- Hack For Japanのスタッフの皆さんのプロジェクトの進め方、会議の進行の仕方、イベントのファシリテーションなどなど、とても勉強になりました。コミュニティに入ると、普段仕事でご一緒することが無い人たちとプロジェクトを共にするので、なんらかしかの学びがあるものですが、Hack For Japanのスタッフの処理能力の高さと、マインドのタフさはとてもしびれました
- 岩手県にコミュニティの足場が出来たこと。他のHack For Japanの支部のようにリアルHacker風味ではなく、Life Hack的な試みの積み重ねを作っていこう的コンセプトではありますが、同調してくださる岩手の人たちも何人か現れて、9ヶ月で4回のイベントが開催できそうなこと。
- Hack For Japanのスタッフの方々に岩手に来ていただけたこと。繰り返しになりますが、彼らのマインドの強さと処理能力の高さを目の当たりに出来るという経験を岩手で実施できたこと。
- Hack For Japanのスタッフが岩手入りするときには、単なる視察ではなく、被災地の暮らしを知るきっかけや、普通のボランティアに近い体験ができるように心がけた。それは、震災で忙しい中、地元の人が協力してくれたから。本当にありがたかった。
- 遠野まごころネット、@リアスNPOサポートセンター、IWDDの存在。活動をともに出来たこと
- 釜石の実家も旦那様も全面的に私の活動を応援してくれたこと。家族の絆が深まったこと。
- 活動をきっかけに、縁遠くなっていた釜石の旧友たちや、岩手でネットを使いこなしている人たちと出会い、連絡を取り合うようになったこと。故郷との再調印した気分。
- 7月遠野まごころネットでのハッカソン時に掲げた3つのプロジェクトの中「仮設ネットカフェ」「ICT教育のための学ぶ場所」が釜石に実現できた(できそうな)こと(私は口だけで実際に地元でプロデュースされたのは、@リアスNPOサポートセンターさんです)
- 他の支援活動を間近で感じられたこと。「ITで日本を元気に」佐々木さん、「助けあいジャパン」石川さん、小和田さん、「RCF復興支援チーム」藤沢烈さんなど、ヤフーの高橋さん、などなど、震災でも無かったらお会いすることすら無かった凄い人たち。
- 高校の修学旅行で訪れた会津若松の印象が悪く、二度と福島県に足を入れないつもりで生きてきたが、Hack For Fukushimaで会津若松の地域や人にぐっときたこと!
- 東北の人たちの飾らない笑顔。そこはかとない優しさに勇気づけられた。priceless!
-Problem
- 岩手県のミラーサーバーを立ち上げた経緯のレポートを2011年7月に書き始めたのだが、3.11当時のことを思い出すのがつらく、2012年3月に岩手県庁に提出したこと。実際にミラーサーバーを立ててくださった、さくらインターネットの田中社長、松本さん、JWAZUGの冨田さん、亀田さんの恩に報いるタイミングを逃してしまったかもしれない。しくしく。
- ボランティアと仕事との兼ね合いに悩んだ1年。どっちもやりきりたいと思いギアを変えると、体を壊してしまうという循環だったような(涙)
- 被災地向けの補助金の枠組みで、サービスを立ち上げるなど出来たらよかったのだが、如何せん私に国を相手にお金をもらった経験がなく、また実業のとの兼ね合いの中で、踏み込むことができなかった。やりたい人に投げればよかったか。
- 当然ながらお金を使いました。当初は月1回、今でも2ヶ月に1回は被災地入りしているので(苦笑。
-Try
2012-02-19
■[デブサミ]デブサミ2012御礼

Developers Summit2012(通称:デブサミ)に来場頂いた皆様、お話ししてくださった方々、スポンサードしてくださった方々、オフィシャルコミュニティの皆様、ありがとうございました。まずは事故なく無事に終わってほっとしています。至らぬこと、行き届かなかったことも多々あったかと思います。この場を借りてお詫びいたします。
事故なく今回が終わったということは、10回事故なく終わったということです。正直、10年こんな形でやれるとは思っておりませんでした。当初「10年続ける」というカラ手形しか差し出すものがありませんでした。もし、景気が悪くなり、どこもスポンサーが付かなくなった場合は、弊社の会議室などで最悪開催するつもりの「10回やります」でした。
原風景として、2000年前後にSIerの経営者インタビューに行く企画を担当しました。使ったことがないテクノロジーを延々と非難して悦に浸っている人達を何人も見ました。「エンジニア」が使っていないテクノロジーを否定するとは何事か!プロフェッショナルではない!この会社の部下たちはきっと、テクノロジーの潮流を味わうことができないのではないだろうか?と思ったことをまざまざと覚えています。*1
とにかく、そんなちっちゃい自分の世界で悦に浸っているおじさんたちを相手にするのではなく、未来を作ろうとしている人たちを一同に介す祭を、コミュニティの皆さんと共に作ることことで、「デベロッパーが世の中を変えるエンジンになれるのではないか?」「ベンダのエライ人がしゃべるのではなく、コミュニティの中にこそ開発の現場の本音のがあるのでは?」「その人しか言えない言葉を喋ってもらう」ことを心に刻み、節操無くとにかく力があるものを取り上げて「テクノロジーのデパ地下を作る」ことを、コンテンツ委員の皆さんと共に心がけて構成してきた10年だった気がします。
10周年ということで、一度一緒にお仕事してみたかったPublickeyの新野さんに無茶ぶり上等でパーティの司会をお願いしたところ快諾いただきました。尊敬している新野さんにこんな形で関わっていただいけたのも、とっても嬉しかったですし、コラボパーティではマイクロソフトの伊藤かつらさんはじめ、たくさんの懐かしい顔や、新しい方々にお会いできてとても嬉しかったです。
また、10周年ということで、DevLOVEのみなさんが呼びかけてつくって頂いたビデオメッセージや、スポンサーや受講者の方からお祝いやおみやげのお菓子を頂いたり、マイクロソフトさんからお祝いのお花を頂戴したり、さらに、漆原さんからは有志を代表して賞状と花束をいただきました。これだけでも、正直びっくり!心臓に悪いのに、スタッフの終礼で、受講者の方々から寄せられた10周年のメッセージと共に会社と運営会社の方々から花束とキティちゃんのぬいぐるみまで頂きました!過分なプレゼントを頂戴し、ホント恐縮です!
でも、クソ根性だけだった私に、知恵をつけてくれたのは、会社や運営会社の仲間であり、コンテンツ委員の皆さんであり、励ましてくださった方々です。本当に心から御礼を言いたいと思います。ありがとうございました。また、そもそも、デブサミも100人本もやろうといったのは私ではなく、ひらめいた人たちは別にいて、その人達がいなかったらデブサミも100人本もないということもあわせて言っておきたいと思います。
10年やってみて、震災もあり、思うことあり、デブサミは別の方にお願いし、自分なりの新しいミッションを再度架して生きていこうと思っておりましたが、10周年コラボパーティで、弊社社長から「岩切はデブサミを引退させない」と宣言がありましたので、当分はのれんを降ろさずやっていくことになりました。今はまだノープランですが「世界を変えるのは、政治家とデザイナーとデベロッパーだけだ!」の旗頭の元、リニューアルしながら、デブサミやっていくことになると思います。
是非また皆さんの力を借りながら作れればと思いますので、どうぞよろしくお願いします!とにかく、10年間ありがとうございました!
■[デブサミ]これからの10年何をテーマに生きていくか、10thコラボパーティで話しました

デブサミ10周年コラボパーティを、マイクロソフトさんにスポンサード頂き開催させて頂きました。実は、.netも10周年だったというご縁があり。本当にありがたい事です。簡単に翔泳社から挨拶をと言われて、デブサミ10回振り返ったあいさつをするつもりだった(つまり、スピーカー登壇者数とか、スポンサーの変遷とか)のですが、1日目の基調講演でお願いした及川さんが「過去を振り返った講演は意味が無い」的なことをお話されていたので、急遽やめて未来の話をしました。
「未来」というと、日本は高齢化と少子化が進み、2050年に今の人口1億1000万人から8000万人に減ることが予想されています。*2年金・医療・交通・教育など社会インフラが整備されたままこの国が体をなしているのか、今のままだと想像もつきません。そこで、岩手県の釜石市(私の生まれた街)ですが、1963年に人口が最高で、それから2011年に半分まで減りました。新日鉄の大リストラがあったため、関連企業含めて出ていったことに端を発しています。1070年代、私が子供の頃の釜石は、校内暴力や放火などで全国紙にも載るような町でした。
この釜石の急速な街の変化が、日本のこれからの問題を先取りしているということで、東京大学社会学研究所の希望プロジェクトの方々が、2006年1月より調査を始めました。
人はどのようにして希望を持ち、そして失うのか。希望は社会とどのような関わりを持つのか。希望学は、社会のなかでの希望の意味とありかについて、一人ひとりが探求するための科学的プロジェクトです。私たちは社会科学者として、事実の積み重ねを通じて、希望について考えていきます。
結果「釜石には希望がある。ただし、釜石の希望は点在していてつながっていない」とのこと。
希望を「点」⇒「線」⇒「面」これが、個人から社会へ希望が転換していく過程になります。
それでは、日本全体で考えてみたときに、どうかということなんですが、私は「希望を持ちエコでスマートな社会をITで生み出すこと」をこれからの10年考え行動してみたいと思っています。希望がなければ失望も出来ません。失望を乗り越えた希望こそが本物だと希望学のHPにも書いてありました。エコでスマートな社会はITが必須です。福島原発事故のあの騒ぎを見ると、本当に日本のテクノロジストと行政のうまくいっていなさにがっかりするばかりでしたが、がっかりばかりもしていられません。日本で生きていく子どものためにも、これからの10年私はこれを自分のテーマにして、生活者として生きていきたいと思いますし、デベロッパーの皆さんには、生活者として開発者として、一緒に考えていけたらと思っています。



















