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I have dreams - 夢は野山を駆け巡る このページをアンテナに追加 RSSフィード Twitter

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2015-08-15

[]「戦後70年に想う かまいしの昭和20年 - 艦砲射撃を生き延びて」 「戦後70年に想う かまいしの昭和20年 - 艦砲射撃を生き延びて」を含むブックマーク 「戦後70年に想う かまいしの昭和20年 - 艦砲射撃を生き延びて」のブックマークコメント

父が「戦後70年に想う かまいしの昭和20年 - 艦砲射撃を生き延びて」と題した小さな冊子を8/6に刊行しました。

f:id:IWAKIRI:20150815104908j:image:w360:left

長崎原爆が落ちたその日に、釜石では2回目の艦砲射撃が落ちました。当時、戦争も終盤でもうすでに空路海路は塞がれていました。外から補給がない状態で戦争を続けるためには、釜石は鉄が採れ、製鉄所がありましたから、徹底的に狙われたのだと思います。艦砲射撃を受けた時に、父は釜石国民学校5年生だったそうです。昨年、岩手県ユネスコ協会連盟から岩手県でも繊細に遭遇した町があること、特に釜石が艦砲射撃により大きな被害を受けたことを、県内の皆さんに広く知ってもらいたい」という講演依頼があり、話をしたことをきっかけに、かまいしの岩手県沿岸広域振興局での2回目の講演が行われ、それを元に冊子を作ることになったそうです。

内容を読むと、講演の書き起こしということもあり、隣で話しかけられるような生々しさがありました。釜石日本の海図1号だったほど、釜石の鉄に明治政府が期待していたこと、採れた鉄鉱石を運ぶために、日本で3番目に鉄道が引かれた街だったこと。世界3大漁場の中に釜石があることなど、日本最初西洋式高炉の出来た成り立ちなと、釜石豆知識掲載された後に続く、釜石被災の状況。8/9に、第1回目の艦砲射撃被災した製鉄所が、再稼働する日だったこと。外人捕虜市民の方も亡くなられたこと。淡々とした記載写真が、逆に生々しく、見ているだけで涙が出てきました。「鉄」が採れたことで、日本特別に豊かな田舎だった我が釜石近代化黒歴史は、だいたい釜石にも起こっています韓国中国の方の強制労働外国人捕虜戦後公害などなど)その現実を思い出すとともに、自然災害は、減災は出来ても今のところ人の力で起きないようにすることが出来ませんけれども、戦争をするかしないかは人間が決めることですから戦争という言葉辞書の中にだけにあるように、私一人の力では何も出来ませんが、心をしっかり持って生きたいものだと思いました。(個人的には、経済活動それ自体ある意味戦争みたいなものなので、戦争はその中だけでいう思いもあります

釜石のこと、三陸のこと、魚とのこと、紐の結び方(父は漁の網の専門家でもあります)などなど、こんなに釜石のことを愛し、海を愛し、何でも教えてくれる父が、大事に思っていることを、何でもいいから残して欲しいとずっと思っていました。父の知見が誰かの役に立つような状態になるといいと思っていたのです。本来であれば、出版社に務めている身としては、口だけではなく手を動かす方面で参加すべきだったのですが何も出来ないままでした。自分でも残念でしたが、下手に口を挟まなかったことで、ちゃんと8/6に出来上がったとも言えるかもしれないので、父には申し訳ないですが、そう自分には言い聞かせてます願わくば、私はこの冊子を無料電子書籍などで配れるようにすることが、私に残された役割といったところでしょうか?

無事に、戦後70回目の艦砲射撃の日に間に合ったことに、関係者の方々のお力添えに感謝しつつ。

参考:釜石の艦砲射撃Wikipedia)

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%87%9C%E7%9F%B3%E8%89%A6%E7%A0%B2%E5%B0%84%E6%92%83

[]「黒い屍体と赤い屍体」〜立花隆画家香月泰男 12:18 「黒い屍体と赤い屍体」〜立花隆と画家・香月泰男を含むブックマーク 「黒い屍体と赤い屍体」〜立花隆と画家・香月泰男のブックマークコメント

凍りの掌KANO 1931海の向こうの甲子園戦争が遺したものシベリア鎮魂歌 香月泰男の世界

昨日、何の気なしにテレビを見ていたら、NHK EテレETV特集立花隆 次世代へのメッセージ〜わが原点の広島長崎から〜」(2015/02/14放送再放送)をやっていました。動画。ぐぐったところ、エムズの片割れさんによる完璧なまとめがありましたので、引用させていただきます

この番組の中で、香月泰男作品「一九四五」について、ナレーターはこう言う。

「・・・描かれているのは、中国からシベリヤへ向かう鉄道線路脇にうち捨てられていた日 本人の屍体です。生皮を剥がれ、筋肉を示す赤いスジが全身に走った赤い屍体。教科書の解剖図の人体、そのままの姿だった。憎悪に駆られた中国人に殺されたに違いないと、香月は述べています。」

そして立花隆は言う。

日本人は、すごく悪い加害者的な行為中国人に対してしてきたので、戦争が終わった途端に(中国人が)手近な日本人をつかまえて生皮を剥いだりしたという、歴史的事実があった。香月さんは車窓から見たその屍体を「赤い屍体」と名付けて、日本人加害者だったということをみんなが忘れてしまっていることが、香月さんの絵をずっと描かせ続けたひとつ動機ではないか」

香月泰男立花隆)著「私のシベリヤ」より

日本に帰ってきてから広島原爆で真黒焦げになって転がっている屍体の写真を見た。黒い屍体によって日本人戦争被害者意識を持つことができた。みんなが口をそろえて、ノーモアヒロシマを叫んだ。まるで原爆以外の戦争はなかったみたいだと私は思った。私には、まだどうもよくわからない。あの赤い屍体についてどう語ればいいのだろう。赤い屍体の責任は誰がどうとればよいのか。再び赤い屍体を生み出さないためにはどうすればよいのか。

だが少なくともこれだけのことはいえる。戦争本質への深い洞察も、真の反戦運動も、黒い屍体からではなく、赤い屍体からまれ出なければならない。」

そして立花隆は、

「この問題提起というのは、どうも日本人というのはあの戦争が終わった後、あの戦争の話というと、日本中に黒い屍体が転がっている話ばかりして、ノーモアヒロシマノーモアナガサキというスローガンをただどなっていれば平和がくる、という感じでいるが、それはちょっと違うのではないか」

と指摘している。

実は、私は自分歴史観に自信がなく、日本軍戦争をした地帯にはほとんど旅行に行っていないチキンな奴です。それでも、恩義のある方に乞われて、パールハーバーにどうしても連れて行ってほしいと頼まれ同行したことはありますし、沖縄の友人の結婚式に出席するため初めて沖縄に行った時には、新郎から是非見てほしいと言われ、沖縄戦地跡を訪れました。でも、まだ、原爆ドームを見たこともありませんし、長崎の爆心地も訪れたことがありません。もちろん、中国本土に自分気持ち中途半端のままいくのも違う気がして、出張で訪れた上海以外行ったことがないチキンっぷりです。

このテレビを見て、侵略した国が被害者側の報道をずっと見続けている国の矛盾差し出された面持ちでしたまさに、私がチキンである理由は、ここにあるわけです。もちろん、日本の中で起こったことを正しく理解し、後世に伝える責任国民としてあると同時に、自国がやったこと史実を知ることすら、政治感情論の中に埋没し、なかなか今の日本自分なりの歴史観を作ることが難しい状況にあると思っています。この番組は、その矛盾ストレートに賽を投げるものでした。

香月さんが語り、立花さんが筆記したという『シベリア鎮魂歌 香月泰男の世界』絶版アマゾンUSDで6800円でした。「黒い死体と赤い死体」の文章が読みたいです。願わくは、買いたい時に買えるように電書も出して欲しい。在庫絶版心配をしないですむようにしてほしい。ちなみに、このテレビを見た後、鶴見 俊輔『戦争が遺したもの』を読みたくてアマゾンを見たら、在庫切れ。電書なし。電書化するのは権利の調整が大変だとは想うのですが、戦後70年に、出版業界大事なことを伝える努力をしているのか?と少し悲しくなりました。余談の続きですが、『凍りの手 シベリア抑留記』Kindleで3巻まで無料自分戦時中台湾高校甲子園で2位になった歴史野球漫画『KANO 1931 海の向こうの甲子園』を沢山の人に目に触れる努力もっと読んでもらえるようになぜしなかったのか、悔いました。次は後悔しないようにする。絶対する!

6月に訪れたドイツは、自分たちのやった過ちを忘れない工夫が街の中にデザインされていました。ぜひ、立花隆さんには、もう一仕事!我々に「赤い死体と黒い死体」の意味を考え続けさせる仕事をしていただきたいです。そして、それを読みながら、右でも左でもない、新たな歴史観日本に醸成され、我々のUIが変わることで、他国との関係も変わっていくことを願ってやみません

2015-08-14

[]仕事を続ける意味 仕事を続ける意味を含むブックマーク 仕事を続ける意味のブックマークコメント

私にとって仕事は、合唱と並んで唯二人生で続いている社会活動です。何度も自分立場を変えたいと思ったことか。でも、26歳で入った3社目の会社でずっと仕事を続けています。で、最近若い人に「何故仕事を続けているのか?」「何故今の会社で働いているのか?」と聞かれるので考えてみました。

まずは「自分のため」

親の脛をかじる子ども時代から自分で働いて手にしたお金で物を買える喜びを得て、自分が開放された気がしたことを昨日のことのように覚えています自分が自立して生きていくためには、生活を維持するお金を稼がなければなりません。その上で、自分生活費を稼ぐために何をしてもいいわけではなく、自分の力が過不足なく社会の中で消化され、その対価としてお金を頂戴出来たらと思っています。働かないで生きてくとしたら、働くのと同じぐらいのエネルギーをかけて節約する生活になると想像しています人生は長過ぎます。先日「女性は100歳まで生きると思って自己管理をしてください」とお医者様に言われました。凡人のくせに何を言うと言われるかもしれないですし、自己満足と言われればそれまでですが、願わくば、できれば、ちょっとでも人様の役に立つ、または、世の中が良くなるための一助になる仕事をしたいと、50にならんとする今でも思っています

「何故今の会社で働いているのか?」

何度も独立したらと言われました。転職しようとしたこともありましたが、結果的に今の会社にいる理由は、私は今の会社に恩義を感じているからです。大学を出て、東京に出てきた私には、知り合いは殆どおらず、妹しか頼る人間がいませんでした。今の会社に入り、仕事を任せてもらったおかげで、沢山の人達出会いました。有名無名にかかわらず、会う方会う方良い方々ばかりでした。そうそう、東京で働き始めた時に、まさか10年間3000人の人が行き来するイベントをやることになるとは全く思ってもないことでした。

また、震災の後、そんな時にも一歩でも歩を進めるのだと、精神的にビンタしてくれたのも、会社仕事で出来た御縁(Hack For Japan)でした。そんなわけで、人間のきれいなところをたくさん見せていただくきっかけは、全て今の会社のご縁から生まれたことでした。だから、この御縁を作ってくれた会社に対して、私のできることで貢献したいと思っています。正直、自分の力不足や現実の壁を目の前にヘコタレルことも多いですが、基本、この気持で働いています

会社をやめたらどうするか?」

会社をやめるときは、自分がやることがない時、追い出される時でしょうか?立場はどうでもいいので、今の会社でも他のところでも、年をとっても自分なりに貢献できることを探して働きたいと思っています。両親も、人に乞われて70過ぎても働いていまいます。そういう人生を目指したいです。

働く中で、世の中の本音と建前、嘘、巨悪を自分なりにウオッチしながら、国の行く末を感じて生きていきたいと思っています

曲がりなりにも女性にもチャンスをもらえる世の中を作ってくれた先達に感謝しながら。70回目の終戦記念日の前の日に。

2015-08-13

[]奥日光ハイキングの旅 15:26 奥日光ハイキングの旅を含むブックマーク 奥日光ハイキングの旅のブックマークコメント

一昨年、両家の両親と7月連休に奥日光湯元(湯ノ湖畔)に行った時、とても涼しかったことを感激とともに覚えていました。それから夏が来ると、奥日光で暮らせたらと毎日思いながら会社に通ってました。そんなわけで、隊長に無理を言って避暑に出かけました。日光標高600m、中禅寺湖が1200m、湯ノ湖が1450m。この標高差が涼を呼ぶわけなんですね

貯めていた楽天ポイントで宿を予約し、 隊長に運転してもらうのも申し訳なかったので、 往復「湯けむり号」という、池袋から提携ホテルまで運んでくれるバスでの旅にしました。バスは苦手なのですが、安く上げる&乗り換えを少なくするという意味では、次回、行くのであれば「湯けむり号」で行ってみたいとずっと思っていました。車をもっていない年配層がメインターゲットであるらしく、我々でも歳が一番若い方でした。日本で一番人数が多いであろう年代で、かつ、安く旅行に行きたい、普段あまり接することがないクラスタの人たち。世間を知る勉強を兼ねた移動時間になりました。

バスは、8:30 池袋集合 9:00 出発。途中、佐野サービスエリアトイレ休憩。湯けむり号の親会社がやっている日光の「表参道」というドライブインで昼食。味は微妙だったw

バスを乗り換え、いよいよ奥日光エリアへ。どんどん、標高が上がり、空気が美味しくなっていくのがわかります。終点のおおるり山荘で解散し、我々は隣の奥日光湯元釜屋の別館のガーデンハウスへ。宿としてのUI微妙なんですが、お料理は値段の割にそれなりに美味しく、お湯もよく、ホスピタリティもそれなりに感じられて、今まで泊まった日光界隈の宿の中では良かったと思います。お風呂は3箇所あり、たまたま人のいない時間帯だったのでしょうか、大きなお風呂に一人でゆっくり入る贅沢を味わいました。できるだけ、安くていい宿を追求したい私としては、今回はまた行きたい思えるところでした。

1日目はお昼寝して、湯ノ湖を一回り。一周約3キロだそうです。前回ここの湖に一目惚れしてしまったので、お散歩できてとても嬉しかった!あまり人のいない時間だったこともあり、隊長ゆっくり水辺を感じながら深い森の中を一周しました

2日目は、湯ノ湖片側→湯滝→戦場ヶ原→竜頭の滝のコース。湯ノ湖から湯滝までの階段を下がるのが、本当に怖くて怖くて。膝が途中でダメになったらどうしようか、途中で歩けなくなったらどうしようと思っているうちに着いてホッとしました。せっかくの滝を味わう気持ちになる間もなかったことが少し残念。戦場ヶ原は、相変わらず、広くて緑の中を突き進んいくところがたまらなく気持ちよかったです。ハイキングは、ジョギングと違って、みんな様ざなな格好でやっているのも面白くて、人間界自然界ともに退屈する隙がないのもいいw。竜頭の滝の茶屋で、ビールを買って移動し、滝を見ながらホテルで作ってもらったおにぎりをもぐもぐ。ささやかではあるがおかず付のおにぎり弁当ほっこりした。その後、バスホテルに帰り、風呂→寝る。パスモは使えないと思ってわざわざおいてきてしまったら、使えて隊長の勝ち!

3日目は、いよいよお江戸に戻る日。朝5時に出発し、湯ノ湖をまた1周してみました。鹿たちが朝ごはん中。でも、我々が近づいたら、逃げて行きました。肝心の朝日は見えず。湯元に戻ってきたら、ワラワラ人が出てきて混雑してきたので、早い時間散歩は正解でした。

9:30におおるり山荘に集合し、バス東京へ。と思いきや、「半月山での中禅寺湖を見る」「華厳の滝を見る」があり、観光コースつきでしたw。しらけてしまって、バスで一人ふて寝。その後、東京からバスが遅れ、45分遅れで出発。羽生インタートイレ休憩し、池袋についたのが、16:15ぐらいだったでしょうか?それから自宅まで私は荷物を運び、隊長は、実家まで犬を引き取りに。犬達は、まだ、実家合宿をしていたかったようですが、これで我々の夏の冒険の旅は終わったのでした。

今回の宿:湯元釜屋

http://www.yumorikamaya.com/

戦場ヶ原ハイキングコース

http://tabi.tobu.co.jp/playing/hiking/shizen/senjogahara/map.pdf

[] 08:47 を含むブックマーク のブックマークコメント

この間いろいろありました。デブサミもメインから外れ、仕事の内容も大きく変わりました。ふりかえるにはまた早いので、過去をさかのぼって書くのではなく、書きたいと思うとき、時間が出来た時、気が向いたらぼちぼち書いていく感じで、自分の覚書としてゆるく再開したいと思います。そんなわけで、トップの画像がしなもんですが、とりあえずそのままで行ってみようと思います

2013-02-06

[]デベロッパーの皆さんのポッセになりたくて 13:29 デベロッパーの皆さんのポッセになりたくてを含むブックマーク デベロッパーの皆さんのポッセになりたくてのブックマークコメント

来週、2/14-15にデブサミ2013を開催させていただくことになりました

なんども引き合いに出して恐縮ですが、私自身はデブサミ10回で終わりにするつもりで始めました。志がある人が共に集まる場を10年やり続けると、時代が変わるお手伝いができるのではないかという仮説を立てていたからです。また、2011.3.11自分故郷を含めて広範囲に大規模な被害があり、フクシマの状況などを見ると、デブサミをやっている場合ではなく、会社をやめて復旧・復興自分のできることをやるべきではないか、という思いがありました。正直、とりあえず、2012のデブサミが終わったら、社長と身の置き方を相談したいと思っていました。

生まれ故郷釜石は、津波はまた来ると言われて、それに対して十分に対策をしてきたように思います。それでもなおかつ、湾口防波堤を乗り越えてきた津波によって、あれだけの被害が出ることにも絶句しました。フクシマ原発は、、、、壮大なデスマを全世界晒すことになったその事自体に、空虚な気持ちを持つ続ける自分がいました。数字は嘘をつきませんし、へつらいませんが、それを判断する人間の手によって、どうなるかを毎日つきつけられている気分でした。そして、それを3.11までリスク認識せず、黙認してきたといっても過言ではない自分を恥じる気持ちでおりました。

デブサミ2012の最後セッションで、社長デブサミをひき続きやると宣言してから、いろいろな人からデブサミ2013をやるべきやらぬべきという声を頂戴しました。言われること自体が面倒で、正直、上記の状況から自分の中のモチベーションを保つのが難しい状況でもありました。でも、結果的にやることを自分で決めた理由は「デベロッパーの皆さんのポッセになりたい」という気持ちからのように思います。長年やっていると、毎年1回ここで会い、みなさんが何かを感じて帰ってくださることを感じます。そして、デブサミきっかけに業界の中で役割を果たす人になっていったり、サービスを立ち上げる人が出てきたり、本を書く人が出たり、転職したり、大事な任せられる人になっていったり、あのセッションのあの言葉で開発がスムーズになったよ、、、なんていう、その一つ一つがデブサミがなにかしかのお役に立てているようで、自己満足かもしれませんが、単純に嬉しいのです。廊下をすれ違うときやAsk the Speakerで「久しぶり!」とか「初めてなんですけど、一回お話してみたかったんで声をお掛けしてもいいですか?」なんていう光景を見るだけでも、ほんと嬉しいわけなんです。イベント準備自体は、利益ってなんですかっていう感じで、まったくもって大変なんですが、その一言を聞きたくて、私もそうですが多分、翔泳社デブサミ中の人チームもなんとか続けてきたと思うんです。

組織を超えて、性別を超えて、文化を超えて、国境を超えて、IT業界未来をつくるために「行動」するための人達のポッセになりたい!その場があることが、技術の負の部分こそも越えて行ってくれるのではないか?と思い直しました。規模は違えど、今までの10年でそういう事例を沢山見てきました。デブサミが無くなってもそれが他に変わるだけかもしれませんが、ごった煮感満載のデブサミが果たせる役割がまだあるんじゃないかと思い直したわけなんです。

3.11のことで言えば、悔しいし悲しいけど、へこたれていても、ものは変わらない。どんに絶望していても、生きている限りは、未来希望を持って生きて行きたい。そして、私は「社会を単的に変えるのは、デザイナーデベロッパー政治家だ」と言い続けてきて、その中で、デベロッパーを応援する人生を選んできたわけで、どんな規模でもいいから続けていくべきなのではないかと思った次第です。

共感と対話と行動から未来が作られる」と信じて、デブサミ2013、来週開幕します。みなさん、今日の18時が申し込みの締切です。まだお席に余裕のあるセッションがありますので、よろしければお越しください!

そして、愛のある批判的な感想も含め、デブサミ後の皆さんのAction!をワクワクしながら待ってます!どうぞよろしくお願いします!

デブサミ2013

http://event.shoeisha.jp/detail/1/

2012-10-29

[]デブサミ2013セッション公募ます19:07 デブサミ2013セッションを公募します!を含むブックマーク デブサミ2013セッションを公募します!のブックマークコメント

2003年よりデベロッパーの知をシェアすることで、世界ブーストする場を目指してデブサミを開催してまいりました。10回開催して終演するつもりの始めたプロジェクトでしたが、たくさんの方から継続希望コメントを頂戴し、デブサミを2013からリスタートさせていただくことになりました。温かい声援、ありがとうございます

さて、これから社会を見回して、デブサミが今後お役に立てるとしたらなんだろうか、と考えたときに浮かんできたコンセプトは「Action !」でした。共感できるテクノロジーコミュニティを探す場としての祭が、今までのデブサミ10年間だとしたら、「共感から生み出す「行動」を宣言する祭として、デブサミ2013から第2章として位置づけ、取り組みたいと思っています

リーマン・ショックジャスミン革命3.11、、、とこの10年の間に、我々の社会基盤を大きく揺るがす出来事が起きてきました。その中で、人や社会の営みをつなげてきたのはIT、つまり、開発者の皆さんの活動の成果が、現在社会基盤になっていますあなたの開発したソフトウェアエコスマート未来を創っていくために、デベロッパーとして何に「共感」し「Action !」していきますか?

あなたアクションをぜひセッションで聞かせて下さい!公募お待ちしてます

Developers Summit 2013 公募セッション応募ページ

https://www.facebook.com/DevelopersSummit2013Action