そろそろゲハに対して真剣に向き合うべき時期に来ていると思う

 先週の土曜日に退院してから、一ヶ月半ほどの入院のブランクを埋めるべく、その間のゲーム情報をちょいちょい集めたりしてたのだけど、このゲーム情報の収集ってのがなかなかに厄介で、今このインターネットにおいてそれなりに情報が集まるところって言うのは、同時にゲハな話題も集まるところでもあるのだよな。見たくもないのに。

ゲームオタクの行く先は

 こういうこと考え出すともう精神的に、いわゆる老害な感じだな。と自分でも思うのだけど、ここ一年ほど思うのは、今のこのネットにおけるゲハ、これに小中学生の頃から触れて育ったオタクって言うのは、どういうゲーオタになるのかなぁ、と言う。
 ネット普及以前からゲハはあったわけだけども、どうだろう、俺はやっぱり今のネットによる悪意の増幅効果ってのは、結構侮れないレベルになっていると思うのだよね。プレイ動画や他人のコメントを見聞きしただけで知った風にケチつけてみたり、わざと不愉快な文章をあちこちに張って廻ったり。そういうのがあっちこっちにある。
 そういうものを小さい頃から見て育つと、どうなんだろう、やっぱり倫理的な部分で何か違うものが生まれる……のかなぁ。大多数はいいことと悪いことの区別がつく常識くらい持っていると思うけどね。別に、「このゆとり世代が」みたいに、十把一絡げに括ってどうこうって思っているわけじゃない。
 でも、ごく一部には、「ネットでゲームを語るって言うのは、そういうことでしょ?」ていう人が出るんじゃないかな。悪意の部分が薄れて、そういう行動をとることが普通という意識に近づいてしまっているような人。で、そういう人が、ゲハ活動をさらに活発化させ、拡大し、深化し、そしてまたそれに感化される人が増え、と流れをどんどん加速させていくってのは、ありえるじゃない。

既に危ないところに来てる

 若い世代がどうなるかはともかく、と言うか、別に今そこはメインで語りたいことではないので置いておくとして。
 将来を見るまでもなく、いま既に、崖っぷちだと思うのだよね。ネットを見ていると、「ゲームは、自分でプレイするよりも、ネットで叩いているほうが楽しい」て精神状態にまで行ってしまっている人が少なくないと、俺は感じる。そんなのほんの一部での些細な現象だろ、と思うかもしれないし、俺も思いたい。けど、事実として、ゲーム界隈じゃもう、まともなゲームサイトよりも、とにかくいつも何かを叩いて笑うばかりのゲハブログに人が集まり盛り上がる。そこに書かれた記事や画像が他のウェブサイトへコピーされ、そのコピーがさらにコピーされ、アップされたプレイ動画を見ただけで何でも分かったようなことを言い始め……と、一大勢力を築く時代になってしまっている。アマゾンのような、それほどオタクってんでない人も利用するようなウェブサイトでも、いまや当然のようにゲハ活動が行われる。挙句の果てには、当の業界内の人間までもが、一緒になって煽っていたりするところまで来てる。情けない。これはもう本当に、本気で、真剣に憂慮すべき段階なんだよ。

勝負をする舞台が既に間違っている

 そもそもが、ネットでゲハ活動にいそしむ人たちのほとんどは、業界内でソフトウェアやハードウェアを作ったり売ったりしているわけではない(はず)なのだから、自分が買っただけものが世間でも売れている商品だからと言って、それで勝った負けたという話になるものじゃない。何百万、何千万の不動産ならともかく、せいぜい数万円のゲーム機とゲームソフトくらいで、勝ちも負けもない。「所持するハードは1個まで」なんて制限があるわけでもないのだから。
 ところがそれを無理に勝ち負けに当てはめようとしたのが間違いの始まり。だってその本人は、製作にも販売にもタッチしていないのだから。例え思うところはいろいろあったとしても、それを実現するための努力ってやつをしようがない。他人が出してきたものを、意に沿わないものだとしても手札にして勝負するしかない。その結果、勝つために自分の陣営を応援するのではなく、負かすために対立する陣営を攻撃することにばかり腐心する状況になってしまう。揚げ足取り、デマの流布、ネタバレ。相手を貶すプロパガンダに終始する。

あまりに不毛な潰しあい

 ここに、Aと言うゲーム機と、その専用ソフトであるXというゲームがあるとする。一方、Bと言うゲーム機と、その専用ソフトであるYというゲームがあるとする。両方の信者(ユーザーと言う呼び方はしないでおく。本来の意味でのまっとうなユーザーではないので)は、お互いに叩き合うわけだ。お前のほうのそのソフトはクソだ、ハードはゴミだ、と。
 分かりやすくA側に焦点を当ててみます。A信者が言う。「うちの『X』は神ゲー。60fps超絶グラだし、販売本数もすごい。おまえの『Y』なんて、売てれないし1fpsショボグラだしクソゲーすぎる」。ゲハでは普通にある光景ですよね。とにかく、自分と対立するもの、気に入らないものの印象を悪くする。よくないものだと喧伝して、売れないようにする。普通すぎて、何が問題なのか分からない? ここで、さっきの「ゲームは、自分でプレイするよりも、ネットで叩いているほうが楽しい」てのを思い出して、改めてA信者の言うことがどういう意味になるのか考えてみましょうか。


 つまりこのA信者さん、一見するとゲーム機AとゲームソフトXを持ち上げてはいるのだけど、もう自分自身ではゲームソフトXには大して興味を示してないんですね。最初のうちはきっと、A信者さんは本当にゲームで遊ぶのが好きで、そのゲーム機A(とそのメーカー)も大好きだったんでしょう。でも今の彼にとっては、その素晴らしいゲーム機Aも良作ゲームソフトXも、ゲーム機BとゲームソフトYを叩いてB信者をあざ笑うための材料でしかなくなってしまった。ゲームは遊ぶものではなく、叩くものになってしまった。陣営を勝たせることよりも、自分が気持ちよくなることが目的になってしまった。とにかく何かを見下して叩いて「俺は勝ち組だ」と言っていないと、気が済まなくなってしまった。
 彼が普通のゲーム好きのままでいれば買ったであろうゲームソフトXは、彼がゲハに染まったためにその分1本売れなくなったってことでもある。ついに、自分が付いている陣営のゲームソフトにまでマイナスの影響を及ぼし始める。もちろん、それとは別に、A信者に攻撃されたB信者の方からも、ゲームソフトXに対するネガティブ・キャンペーンが行われる。


 これって、一体誰が得をするの? A信者さんが勝ち組気分を味わうだけで、対立するB信者とゲーム機BとゲームソフトYどころか、彼が与しているはずのゲーム機AとゲームソフトXにとっても、いいことがない。こんな具合でゲハ活動が活発化してA信者が増えるほど、ゲームソフトXはB信者への攻撃材料としてばかり使われるようになり、ゲームとして遊ばれなくなっていく。

俺は勝ち組だ俺は勝ち組だ俺は勝ち組だ俺は勝ち組だ俺は勝ち組だ俺は勝ち組だ

 もう止まらない。とにかく叩けるものがありさえすれば、何でもよくなる。「ボクは最初からこっちの陣営を応援していましたよ。ほんと、あっちの陣営は負け組のくせに調子に乗ってるよね」という顔をしながら、そのときそのときで掌を返しては有利な方へと付いて、不利な方を叩く。たまに「このゲームを遊んだよ」と言うようなことも書いて、自分はただ叩くだけの奴と違ってちゃんと遊ぶゲーマーなんだというアピールも忘れない。そんなウェブサイト、3,4年くらい前からネットでいろいろなゲームサイトをチェックしている人なんかだと、脳裏に浮かぶのが幾つもあるんじゃないですかね。俺はある。言わないけど。そこまではしない。言ってやりたいけど。

立ち止まってください

 本来なら自分に関わりのない(関わりようのない)ところに無理矢理に勝敗を持ち込んだことで生まれた「勝つための努力より負かすための攻撃」という歪み。それが「陣営が勝つことより自分が気持ちよくなること」に変わる要因が何なのかは、分からない。他の陣営を攻撃し続けることで徐々に性格が悪くなっていくのか、元々そういう性格だったのが表に出ただけなのか。いずれにしろ、そうなるとあと叩いている本人と、そいつと同じくらい腐った奴らがキャッキャキャッキャ喜ぶだけでしかなくなる。自分が褒めてみせてるゲームソフトすら、実際には買いもしなけりゃやりもしないのだから、ゲームを遊ぶ人間にとってはもうどこにも身内として捉える要素がない。叩かれるゲーム、買われないゲーム、遊ばれないゲーム。全てのゲームにとって害悪にしかならない。百害あって一利なし。


 そんなことはない、少しくらいは利があるよ。と思った奴は、何としてもそこで立ち止まっていただきたい。ここまでの文章を読んで、反射的に「俺はそういうのと違う、ちゃんと悪いものを批判してるだけ。ゲーマーとして正しい行為」とか思う部分があった人は、しばらくゲハ界隈から離れるか、それが難しそうならいっそネットごと絶つかした方がいい。そのまま最後の一歩を踏み出して手遅れになる前に。暇ならゲームをやっていればよい。そうでない人も、もし何か心当たりがあったら、もういい加減にそういうことは止めようと、強く思って欲しい。

必要なのは、一人一人の自覚と自省と自制

 多分、ここまで読んでもまだあまり自覚がない人はいると思う。ゲーム市場の構想における勝ち負けは、基本的に数の大小で決まるので、周りの人もみんな自分と同じ多数派だという状況になると、それだけで少数派のことが目に入らなくなる。軽んじるようになる。彼らが叩かれていたところで、ちょっとした不幸な事故くらいにしか捉えない。「どうせ彼らも悪いことやったんでしょ、自業自得なんじゃない」と決めてかかって、そのまま通り過ぎることすらあるかもしれない。所詮は社会の片隅で起きている些細なことで、全体の秩序には何も影響などないのだから、面倒事にかかずらうことない。そう思ってるとしたら、間違いだと言いたい。
 その態度の果てに出来てしまったのが、今のゲハだ。「ゲームは、自分でプレイするよりも、ネットで叩いているほうが楽しい」。これが正常だと思うか? 秩序の保たれた状態だと思うか? 分からないなら、例えば実際にニコニコ動画なり何なり、人の多いところに行ってみればよい。昼夜を問わずに、「あれはクソゲーだ」みたいなことばっかり言っている奴らがいる。他の人が「○○は面白そうだ」ていう話をしていると、しゃしゃり出てきて「××の劣化だろ、どうせ完全版が出る乙」「ゴミハードのショボグラゲー」などと文句をつけてくる。そして、そういうものが、ブログのコンテンツとしてまで公開されて人気が出る。ウェブサイトの管理人はネットを巡ってせっせせっせと叩きネタを集めては「涙目涙目」と煽りたて、「そうだそうだ、げはははは」と集まった同じような人間同士で一緒に何かを見下してはせせら笑い、そしてまた他所へと赴き、それはクソゲーだ何だと喚き散らす。その繰り返し。
 それでいいと思うか? そういうのがどんどん広がって行って、でも大丈夫だと思うか? 俺はそうは思わない。そんなの真っ平だ。もう、たくさん。何かゲームが出るたび呼んでもないのにやって来ては「クソゲークソゲー!」「売れてないwww」「完全版乙」だの言う気色悪いのがウジャウジャたかって来る状況なんて、異常でなかったら何なんだ。反応した奴が負け、釣られた釣られた、とかそういう段階も、もうとっくに過ぎたよ。ふざけんな。


 いまが、手を打てる最後のギリギリの段階だと思う。手遅れだとは思いたくない。と言って、ゲハな人間をネットからすべて締め出すなんてことは現実として出来ない。出来ないことをしようとは思わない。だけど、出来ることはしていこうと思う。何があっても、ゲハには反応しない。自分も、そういうようなことをしない。俺一人それをやって何かが変わるとは思わないけど、何もしないでいて、数年後に「ああ、こんなんなっちゃった」と残念がってみせるようなことはしたくない。ダメだったけど、自分ではやるだけのことはやってきた。そう自負できるくらいは、しておきたい。最悪周りが腐り果てても自分は、って。そのくらいのプライドは俺にもある。と思う。それをこれからやっていこうと思う。やってみます。