ベトナム一人旅

2011年12月26日〜30日、ベトナムハノイ旅行の記録。

  • 【写真】をクリックすると大きくなります。
  • 【動画】をクリックすると再生します。

きっかけ

 2011年夏に旅行予定が諸事情により中止。冬に旅行するとなって、以下を検討した。

  • 第一候補はロンドン。冬は寒いしクリスマス休暇が不安で×。
  • 第二候補はバンコク。洪水のダメージからの回復が不安で×。
  • 第三候補がベトナム。値段が手頃。初の非英語圏の旅で英語がどの程度通じるかを試す、大学の後輩が働いている、歴史的に興味がある、発展途上国に興味がある、など。特に問題もなかったのと、後輩がいるうちに、というのが後押しして決定。

2011年12月26日(月)

 6時9分のバスに乗り三宮へ。6時55分のリムジンバスで関空へ。8時着。9時にはチェックイン完了。手荷物検査を終えるとネットがただで使えるコーナーがあった。予定通り10時30分出発、14時5分ノイバイ空港着。ここからが苦難の始まり。

 ノイバイ空港はとにかく薄暗く、入国審査員も軍服風の服装で恐ろしい。英語はまったく通じず、身振り手振りのみ。入国手続きをすませて、ターンテーブルでスーツケースを待つが、30分待っても出てこない。仕方ないので係員に聞くと建物の反対側にもう1つターンテーブルが。表示もないし、わかるはずがない。関空なら便名表示があるのに。

 ようやく手荷物を受け取ったのが15時。同じJTBの送迎バスに乗る2人を30分以上待たせてしまっていた。あわてて2万円分の両替をしてバスに飛び乗った。バスの中でふといやな予感がしてお金を確認。やられた。2万円渡したのに1万円分しか両替されていない。あわてていた上に、10000円=2600000VDN(260万ベトナムドン)なんて書いてあるので、金額がピンとこなかったのが原因。

 だまされたとわかって、体中になんともいえないいやな気持ちがどろどろとうごめく感じ。さらにホテルまでの道中は、デコボコ道で体が跳ね上がる。ハノイ市内に入ると洪水のようなバイク、クラクションの嵐・・・来たことを後悔する気持ちがいやおうなく高まっていく。

 ホテルにチェックインしたのが16時半。ホテルはハノイのショッピング街の中心にあるHanoi Imperial Hotel

 荷物整理をして5時に勇気を振り絞って外へ。ホテルの前は薄暗く、いつ襲われてもおかしくないような雰囲気。100メートルほど先に見えている大通りまで足早に行く。そこは送迎バスから見えていた、クラクションの飛び交うバイクと車の流れ。信号らしきものはついているが、いつまで待っても通りを渡れない。当初の予定では、近くの名所をあれこれ散策するはずだったが、1時間ほどでホテルへ逃げ帰った。翌日の一人歩きはあきらめ、ホテルのツアーデスクであれこれ話しを聞いた後、ホアルー・タムコックへの英語ツアーを35ドルで申し込んだ。JTBのオプションツアーでは日本語だが90ドルする。近所に旅行店があちこちあってもっと安そうなのだが、ぼられるのが怖くて妥協した。

【動画】ハノイの雰囲気(1) Hanoi, Vietnam Travel Video Guide


【動画】ハノイの雰囲気(2) Hanoi: Lonely Planet Travel Video

 18時半に無事に大学の後輩と再会。ベトナムに来て1年になる後輩は、例の通りをためらわずにスタスタ歩いていく。その後ろをびくびくとついていくうちに食事場所到着。後輩との会話の内容:

  • ぼられるのは日常茶飯事。授業料と思ってあきらめるべき。
  • 空港はもっとも危ない。公共の場所として安心してはダメ(先に言ってほしかった・・・)。
  • ラクションは自分がいることを知らせているだけで警告しているのではない。
  • 通りを渡るときは自分から手をあげてゆっくり歩いていけば、バイクの方で止まってくれる。
  • 通りを渡るときに行けると思って走るのは危険。急に動くとバイクは対応できないので。

 23時ホテルへ。シャワーを浴びて就寝。

2011年12月27日(火)

 6時30分に8Fビュッフェへ。料理のほとんどが用意できていない。このあと3日間にわたり、時間通りに食事が用意できている日はなかった。ツアーも含め、ベトナムでは時間に超ルーズ。だいたい30分くらいの余裕をみておいたほうがいい感じ。食事も7時くらいにはだいたいそろっていた。食事内容は特に不満はなし。

 8時半、ホアルー・タムコック英語ツアーの送迎バスへ。同乗したのは、ロシア人5人、イギリス人とインドネシア人が結婚して子供が3人いるマレーシア人の家族5人、イタリア人2人と、日本人1人(自分)の合計13人。

 2時間ほどほどかけて、ベトナムの古都ホアルー(Hoa Lu - Wikipedia

【動画】Hoa Lu Ancient Capital of Vietnam

 ベトナムは歴史的に中国の影響が強く、国家として独立したのは西暦1000年ごろ。このホアルーはその時代の二人の王の墓。1600年に再建されたもの。そもそも、ベトナム=越南、ハノイ=河内、という漢字で表すことができ、発音的にも類似点を感じることができる。

【写真】ホアルーの景色

 近くのレストランでビュッフェ形式の昼食。基本的に食事はこのパターンばかり。特に問題なし。食事後、景勝地タムコック(Tam Coc - Wikipedia)へ移動。日本で言うと川下りのような場所。川は腰くらいまでの深さでほとんど流れていない。ベトナム人が操舵する小舟に乗って景色を楽しんだ。

【動画】Tam Coc, Vietnam


【写真】道中一緒になったマレーシア人の家族


【写真】タムコック水上土産物屋さんの品揃え


【写真】タムコックの風景(1)

 乗船中も乗船後も、すさまじいほどの土産物類の売り込み。写真を勝手に撮られて、後でそれを売りに来る。値段は1万ドン=40円くらいだからたいしたことないのだが、いかんせん、初日に詐欺にあっているので、すべて拒否。船を下りた後も、激しくチップを要求されるが、これも拒否。結局、この1日、ツアー代金以外は全くお金を使わなかった。

 小舟の後はサイクリング。近隣の景色を楽しむ。ここでとった写真が、この旅、一番の景色だったように思う。

【写真】タムコックの風景(2)

 帰りのバスの中ではロシア人と話をすることができた。行きのバスでも隣だったのだが、ぶっきらぼうな感じでほとんど会話にならなかったが、帰りに勇気をもって話しかけてみた。英語はネイティブ並みにできる人だった。以下は彼の語った内容:

  • 勤めているのはロシアのガス・石油会社。アジア歴訪の1カ国目としてベトナムを選び、20日間にわたってハノイからホーチミンまで主要都市を転々とする予定。
  • アジアの前はヨーロッパを制覇したとのことで、お気に入りの国を聞いてみたところ、セルビアポルトガル。逆に観光地化しているフランス・ドイツは興味がない。ここにきたらこれを見なさい、的に観光地化してその国のアイデンティティを失っているところは魅力がない。観光地化される前の、その国の人らしさが残っているところを訪れてみたい。だからこそベトナムを選んだ。その意味では申し訳ないが日本にも興味はない。日本らしさを失っているように思えるから。
  • 自分たちロシア人は、アメリカ人や西欧人とは違って取っつきにくいが、こんな風に本音でコミュニケーションをする。本音で語り合うには本当はウォッカがいる。飲んでいるうちに訳がわからなくなって本音で話しができる。
  • 自分はロシアの中では1%の人間。富裕層4%、自分たちは中間層1%。大半の95%が貧困層。この中間層の薄さがロシアの弱点。自分たちに何もしてくれない政府には期待はしていない。
  • 最大の脅威は中国。ロシアの東半分では安い中国製品が入ってきたせいで商業網が破壊されてしまった。たとえば3日で壊れる1本1ドルの傘が中国から入ってくると、3年使える10ドルの傘は売れなくなってしまう。こんな中国のやり方はよくないと思うが、大半の人は中国製を買ってしまうのが残念だ。

 20時ごろ、ハノイ着。この日のツアーの内容がよかったので、翌日もハーロン湾ツアーに参加することに決定。朝・昼と香辛料たっぷりの食事をとったせいか、食欲はなし。かといって夜の町を徘徊するのもまだ怖い感じ。ということでマッサージに行くことにした。地元ではわりと有名なVAN XUANという中国系のフットマッサージ屋さん。2時間で22万ドン=1100円。チップとして5000ドン=2円払うように言われた(これは5万ドンの間違いだったような気がする)。60分フットマッサージ、60分ボディマッサージを受けた。

 隣にはタイ人がいて、英語で話しをすることができた。以下は彼の語った内容:

 自分はゆっくりするためにハノイに来ている。どこにも出歩かずにホテルで静かに本を読んでいる。あくせく観光するつもりはない。バンコクハノイよりもいい町。もう洪水の影響もほとんどない。物価も安くハノイほど騒々しくも埃っぽくもない。料理もおいしい。

 23時ごろホテルへ戻り、0時ごろ就寝。

2011年12月28日(水)

 夜中3時ごろに頭の鈍痛で目が覚めた。6時再起床。頭痛、熱っぽさ、吐き気の三重苦。あわてて頭痛薬を飲もうとすると切らしていた。仕方なしに風邪薬と正露丸を飲んで、最悪の状態で朝食。8時まで様子を見たが、症状は治まらず。キャンセルをするか悩んだが、やらずに後悔するよりは・・・と思い、強行決定。

 8時すぎにツアーバスに乗車。英語ツアーのはずなのに乗っているのは全員アジア人。猛烈に揺れる車、鳴り響くクラクション。3時間半の間、しゃべることはもちろん、まぶたを開くことすらできなかった。12時、ようやく『世界遺産』ハーロン湾に到着。体調は少し回復したものの、まだしゃべる気分にはなれず。すぐに船に乗るのかと思えば、なんと、ここで切符をとるために1時間待ち。しかもトイレは4000ドン=16円とはいえ、有料。ガイドは携帯・タバコ・お友達のガイドとベトナム語でおしゃべりと、最悪の状況。自分の判断ミスをうじうじと呪った。

 13時。ようやく乗船。ほぼ無風の曇り空20度くらいのところで1時間くらいじっとしていたおかげか、このころにほぼ体調回復。ようやく、自分の周囲に誰がいるのかに関心が持てるようになった。中国人の若い夫婦2人、別の中国人5人、韓国人3人、別の韓国人3人、ベトナム人とオーストラリア人のカップル2人、日本人1人(自分)の合計16人が乗船。

【写真】同船した人たち

 まずは船の上で食事。盛られた皿をテーブルにいる6人でつつく食事。ビュッフェもどき。胃は落ち着いてきていたが念のため控えめに食べた。同席した韓国人3人と英語で話しをすることができた。以下、その内容:

 カナダに3年留学していて、今はハノイの大学でデザインを教えている。叔父夫婦を観光案内しているところ。ハノイの土産物でオススメなのは、水牛のツノで作ったスプーン。プラスチックとは違って自然のもので作っているので体に優しい。ハノイの市場で値切り交渉すれば2ドルで買える。土産物屋は高いので眺めるだけにしておいたほうがいい。水上人形劇や博物館などはたいしたことがないのであまりオススメはしない。民俗博物館はまずまず。ホーチミン廟を見ておくのもよいかも。

 昼食が終わった頃に鍾乳洞へ。日本の秋芳洞や龍河洞のような場所だが、内部がカラフルにライトアップされている。イメージは以下の動画に出ている感じ。

【動画】Halong Bay Vietnam


【写真】鍾乳洞の内部。下の方に移っている人間から大きさがわかる。

 その後、近くの漁村へ行って、5ドルでカヤックor小舟クルーズ。内容としては前日のタムコックと同じような洞窟散策のようだったので、他のメンバー5人とともにパス。漁村で待っている間、中国人夫婦と話をした。以下、その内容:

  • ハーロン湾よりも、中国・桂林の方がきれい。ちょうどここに来る前によってきたところ。
  • 妻とは結婚8年目。自分は経営コンサルタントになる前に国際企業で働いていたので英語ができるが、大半の中国人は英語ができない。
  • 日本にも行ってみたいが、英語表記がなくて観光客に親切でないので、まだ行っていない。

 見るからに裕福そうな感じの中国人だった。自分の持っていないものをすべて持っているようでうらやましかった。

【写真】ハーロン湾の景色と裕福な中国人


【写真】ハーロン湾の水上土産物屋さんの品揃え

 漁村を出て17時ごろまで湾内をクルーズ。景色の美しさは前日のタムコックでなれてしまっていて感動が薄かった。その代わりに、オーストラリア人とベトナム人カップルと話しをすることができた。以下、その内容:

  • ベトナム人の女の子はオーストラリアで3年留学していて、そのときのお礼にオーストラリアの男の子をベトナムに招いて案内している。ベトナムの英語教育は小学校3年から大学卒業まで必修。にもかかわらず、ほとんどのベトナム人は英語がちゃんとしゃべれないのは、先生が文法を中心にして、英会話を教えないから。

 この話を聞いて、日本の英語教育を鏡に映しているようで、ショックを受けた。

 再び、3時間ほどをかけてハノイへ。体調は回復していたものの、疲れていたのか、ほとんどうたた寝していた。20時半頃ハノイ着。土産物を買う予定のスーパーマーケットへ。物価水準は1/3〜1/4程度。インスタントラーメンが12円。カップ麺23円といった感じ。21000ドン=84円分のお菓子を晩ご飯代わりにかってホテルへ。0時就寝。

2011年12月29日(木)

 最終日。6時すぎ起床。体調完全回復。8時前にチェックアウト作業をすませて、タクシーでホーチミン廟へ。遙か彼方で多くの人が入場しているのに、あまりに広すぎて入り口がわからないのと、入ろうとすると兵隊に追い返されたため、1時間ほど悪戦苦闘して、入場を断念。言葉が通じないのはつらい。今考えれば、3日目のハーロン湾の代わりに、ハノイ1日観光ツアーを入れておくべきだったと後悔。

 気を取り直してタクシーで9時にベトナム民族博物館へ。ベトナム少数民族について学んだ。膨大な展示があり、3時間ほどをここで過ごした。

 12時にタクシーでホテルへ。ここまで3回タクシーに乗るたびにぼられないかドキドキしたが結果的に大丈夫だった。乗る前に会社名を見てメーターが回っているかしっかり確認していれば大丈夫らしい。

 ここからはホテルを拠点に市内散策に再チャレンジ。

 まずは、ホテルからスーパーマーケットへ。土産用の食料品を大量に買い込む。合計76万ドン=3000円程度。両手にずっしりと買い物袋を持って背中にはリュックサック、ポケットには財布とデジカメ。車とバイクとクラクションが飛び交う町の中を、ほんの10分ほど先にあるホテルに戻ろうとすると、道に迷った。立ち止まって、荷物を置いて、地図を確認すると、怪しげな男がにこにこと寄ってくる。靴を指さす。『ひったくりか!?』と警戒しながら、下を見ると、靴の修理をしてやろう、ということらしい。ノーサンキューで追い払う。さらに地図を見ていると、今度はTシャツを持ったおばちゃんが、さらに追い払うと、バイクにのったおじさんがバイクタクシー、さらに追い払うと、天秤かごにあげドーナツをいっぱいにいれたおばさんが・・・次々におそってくる売り込みを交わしつつ、スリやひったくりを警戒しつつ、時々地図を確かめながら、ホテルについたのは30分後。冷や汗と脂汗をいっぱいかいて精神的にも極度に疲労した。この後市内観光を続ける気力は完全にたたれた。買い込んだ荷物をスーツケースに詰め込んでホテルを再出発したのが15時すぎだった。

【写真】スーパーで売られていた『コアラのマーチ』もどき

 ホテルは幸い、ホワンキエム湖というショッピング街の中心にあったので、遠出せずに、この付近をゆっくり散策することにした。ガイドブックに載っているオススメの店を1軒ずつ入って、ウインドウショッピングを楽しんでいるうちに、ある土産物店にいきついた。店内には他に客もおらず、上品な雰囲気が気に入って、商品を手にとって眺めていると、1人で店番をしていた若いベトナム人の女の子が、なまりのある英語でしきりに商品の説明をしてくる。商品についてつっこんだ質問をしてみると、英語で答えてくれる。いつの間にか、1時間ほど話し込んでいた。以下はその内容:

  • 自分は大学3年生。英語は小学校からずっと勉強しているが、あまりできない。大学ではpublic relationsの勉強をしている。自分の友達は国費で日本に留学している。80%の費用を国が出してくれるが、それでも日本の物価が高いと驚いている。自分も将来、日本に行ってみたいと思っているが、そんなに賢くないので難しい。
  • ハノイはとても騒々しい街だけど、テト(旧正月)にはみんなが帰省してしまうので、街には誰もいなくなり、通りには交通がなくなって静かな街になる。自分もその時期には帰省する。Lucky Money(お年玉)ももらえるし、毎日、親戚周りをしてパーティなので、楽しみ。でも、仕事があるので3日で戻らないといけないのが残念。
  • ハノイは、2〜30年くらい前は、通りを走っているのは自転車ばかりで、鳥の鳴き声の聞こえる、とてもきれいな街だった。なのに今は交通量が増えて、埃っぽい、騒々しい街になってしまった。こんな街だけどハノイを好きでいてほしいと思っている。そんなハノイを歌った美しい歌があるので、メールアドレスを教えてくれたら、サイトを紹介する。

 メールを書き記したところ、1月1日、本当にメールが来た。以下がメール本文:

I'm Nguyen Dang Hue . I'm VietNamese lady. I hope you remember me.
I'm sorry , to day I can send mail to you,
I share link'song about Ha Noi
I hope . you will like

http://mp3.zing.vn/bai-hat/Co-Phai-Em-Mua-Thu-Ha-Noi-Khanh-Linh/ZWZA6DA0.html

Today is first day in New year, I hope you always lucky , happy with family , with your work and every thing !

Nguyen Dang Hue from Viet Nam

リンク先は重いので、YouTubeに掲載されていた同じ曲を以下に紹介。たしかに美しい歌だと思う。意味が知りたいが見つからない。残念。

【動画】Co Phai em mua thu Ha Noiベトナム語の歌詞

 余談だが、英語のなまりがかなりきつく、時々、筆談しなければいけないほどだった。テトという言葉も、テ ホリデーのように聞こえた。最初聞いたときはdead holidaysと聞こえてびっくりした。students like me are... というのも、発音としては、スチューデ ライ ミー、のようになる。前日にオーストラリア人も行っていたが、最終音節を子音ごと発音しないのが、ベトナムなまりらしい。さらに、上のメールでもわかるとおり、文法もかなりあやしい。

 1時間ほど、彼女と話したところで、店長から彼女の携帯へ電話が入り、楽しい会話終了。旧市街の一部にあたる仏具通りやおもちゃ通りを少し散策して、17時半ごろホテルへ。そこではツアーデスクのベトナム人と英語で会話。その内容:

  • 大学ではガイドの勉強をした。以前は旅行会社に勤めていたが、今はこのホテル専属で働いている。仕事はとてもきつい。日本には友達を訪ねて1度、行ったことがある。大阪や姫路城を見た。神戸は神戸ビーフのことをベトナム人なら誰でも知っている。

 18時半に大学の後輩と再合流。地元で有名なフォーの店に連れて行ってもらった。この旅行で食べたものの中ではこれが一番、おいしかった。しかも60円くらい。安い!

【写真】絶品のフォー。地元でも評判!

 その後、オペラハウスなど市内を少し散策した後、カフェで最後の会話を楽しんだ。初日も含めて、この後輩との会話の内容:

  • 自分は1年半前にタイ・バンコクへ、そこから去年のホーチミンハノイと勤務先を変えてきた。当初は海外で働くということに使命感のようなものを感じていたが、今となってはふつうのことになった。ハノイの騒々しさにもなれて、むしろ、東京が静かすぎるように感じる。ベトナムラオスカンボジアはこれから間違いなく発展するので、生徒には勧めてほしい。フランスやドイツのように、今、発展しているところは、それ以上、劇的に発展することはない。

 20時20分、ホテル発。21時00分、ノイバイ空港着。22時、手続き完了。ここから飛行機の搭乗手続きが始まる24時まで、2時間あるが、特にすることもないので、せまい空港の10もない免税店をゆっくり回る。手元に15万ドン=600円程度の残金があったので何か買おうかとも思ったが、いずれも市内の4倍近い値段に購買意欲も失せた。

【写真】市内で売られているOREO 12000ドン=約50円


【写真】空港内で売られているOREO 2ドル=約160円


【写真】空港の免税店で見かけたタバコ。誰が買うの?


2011年12月30日(金)

 次々と他の飛行機が飛び立っていき、その日、空港を出る最後の飛行機になる、自分ののる飛行機を待つだけになったとき、空港はかなり閑散としていた。放送が入り、どの客も待ちかねたようにゲートに向かおうとしていると、ensure operationするために午前2時まで出発延期のアナウンス。夜食が出たものの、もはや免税店すら閉まってしまった人気のないロビーでひたすら待つ。ここまで4時間待ち。

【写真】午前2時出発を示す表示

 そして約束の2時がきても、2時半がきても、3時がきても、飛行機が飛ぶことはなかった。3時が過ぎた頃、ようやく搭乗手続き開始。3時半過ぎ離陸。機内ではいきなり朝食。行きよりもよい機体でハリーポッターのラストを見ようとしたが、あまりに眠く、まどろんでいるうちに、着陸態勢に入っていた。到着は10時ごろ。自宅に帰ったのはちょうどお昼ごろだった。

 ロシア人、マレーシア人、中国人、韓国人、ベトナム人、オーストラリア人、タイ人と、様々な国の人々と英語でコミュニケーションをとれたのはよかったが、旅の趣旨である、一人旅にはほど遠かったと思う。こんなに敗北感がある一人旅は初めて。やはり英語を母語としない国を旅するには英語のオプションツアーを利用するしかないのかもしれない。とはいえ、日本語のオプションツアーを利用する場合の1/3程度で利用できるので、メリットはある。英語の通じない国でも英語ができることのメリットが確認できたのはせめてもの救い。

 帰国して以来、空の青さ、澄んだ空気、秩序ある道路、静寂な街に1つ1つ感動している。普段は騒々しい都会の雑踏としか感じていなかったのに。その意味では日本再発見の旅だったのかもしれない。

 いろんな意味で、一人旅をする年齢ではないことを痛感させられた旅となった。ロンドンやワシントンに行ってみたいとは思うが、次回はあるのだろうか。

【会計報告】合計使用金額・・・16万程度

  • JTB旅のアウトレット・ハノイ5・ベトナム航空または大韓航空:125500円
    • 旅行代金:12万1800円
    • 国内空港使用料:2650円
    • 海外空港諸税:1100円
  • ホアルー・タムコック:35ドル=2800円
  • ハーロン湾ツアー:39ドル:=3120円
  • ドン換金:2万円。うち1万円は空港で詐取された。
    • 1万円=260万ドンを4日間で使った。食事・土産・マッサージ代。
    • 15万8500ドン=634円分残った。