後白河院と寺社勢力(32)経済を支える悪僧・神人(2)訴訟介入1

 下図は東寺の供僧が肥後国飽田(あきた)郡鹿子木(かのこぎ)庄の支配権を巡る争いに介入して、自分が開発領主権の継承者であることを証明する根拠として訴状に添えられた鎌倉時代末期の永仁年間(1293〜98)に書かれたとされる権利主張の文書である。

 

(「東寺百合文書を読む〜よみがえる日本の中世」より)

 
これによると、平安末期、鹿子木庄の庄務権(※1)を継承していた藤原某が国司の圧力に対抗するために三人の子女に譲渡したことから、数世代にわたって庄務権を巡る争いが生じ、その子女の末裔から「争いに勝訴したら半分の権利を得る」という条件で東寺が訴訟に介入し、藤原某の末裔以来の預所職(※2)を寄進されたことから、墾田永年私財法(※3)に照らしても、土地所有の根拠は開発領主権に由来すべきで、だからこそ、自分がその継承者として正当であると主張している。


 ところで、この文書が書かれた100年前の建久2年(1191)に発布された「公家新制」17条の第3条では、「諸国人民が悪僧・神人及び武勇の輩に私領を寄与すること」を禁じ、かつ「証文の虚実を決して、偽書ならば毀破せよ」と規定している。


 この事は、院政期には荘園の濫立と土地訴訟が激発し、力の弱い荘園領主の間で、所有の根拠となる券約・証文を有力者に寄進して、その力で土地訴訟を自分に有利に運ぼうとする動きが広まり、これに乗じて寄進を請けた悪僧・神人が、訴訟の代理人ないしは権力行使の代行者として、力づくによる土地差し押さえなど目に余る行為を展開していた事を物語っている。

(※1)庄務権:庄は荘園に同じ。荘園の事務を管理する権利。
(※2)預所職:荘園で領家(領主)の代理となって荘務すなわち荘地・荘官・荘民・年貢などを管理する職。
(※3)墾田永年私財法:天平15年(743)に制定された土地法。条件付で開墾地の永久私有を認め、これによって大寺社、権門勢家による開墾が盛んになり、荘園制の成立に繋がった。


参考文献は以下の通り。

「東寺百合文書を読む〜よみがえる日本の中世」上島有他編 思文閣出版

  

「講座日本歴史3中世1」歴史学研究会・日本史研究会編 東京大学出版会