婚外子国籍訴訟最高裁判決について考える。

母親が外国人であり、両親が婚姻関係にある場合、父(日本人)の認知があるときは子は日本国籍を取得できる一方、婚姻関係のない場合に父(日本人)が認知しても子は日本国籍を取得できないという国籍法第3条1項の規定が憲法14条1項の「平等原則」に反するかが問題となったわけである。


こんな差別は当然に「平等原則」に反するだろうと思うかもしれないが、そう簡単にはいかないのが憲法訴訟である。
憲法訴訟というのは、ある立法行為または行政行為が人権を侵害しているときに、その行為の排除(またはその行為に拠る損害の補填)を求める裁判である。
立法行為とは言うまでもなく、法律をつくる行為である。
そして行政行為というものは法律を執行する行為である。
つまり、憲法訴訟とは司法に法律を否定させ、新たな法規範を定立させる訴訟でもあるのだ。
おわかりの通り、憲法訴訟において裁判所が違憲判決を下すことは、司法による立法(消極的立法)とも言えよう。
だから憲法訴訟において、裁判所は違憲判決に消極的である。
そんな前提において、最高裁が国籍法第3条1項について違憲判断をしたことはとても画期的な判決なのである。


私はこの判決を知ったとき、民法900条4号問題を連想した。
簡単に言うと嫡出子(婚姻関係のある男女から生まれた子)と非嫡出子(嫡出子の条件にあてはまらない子)が相続権を有しているとき、非嫡出子の相続分は嫡出子の1/2となる、という規定が憲法14条1項の「平等原則」に反するのではないかという問題である。


婚姻関係にあるかどうかによる差別という点で両者は共通している。
しかしこの民法900条4号の規定に対して、最高裁は「平等原則」に反しないとして合憲判断を下した。


両者の違いにはどこにあるのだろうか。
思うに、それは対立利益の違いにある。
つまり、国籍法の事例の場合、日本国籍付与の対立利益(立法趣旨)は日本と密接な結びつきを持った者にのみによって国を構成することが国民主権を全うできるため、日本との結びつきの薄い者に日本国籍を付与するべきではない、というものであろう。
よって、両親の婚姻関係の有無によって日本との結びつきを否定するような規定には合理性がないという結論が妥当する。


それに対し相続分の問題では、対立利益は嫡出子の財産権、法律婚の尊重にある。
非嫡出子が嫡出子と同じ相続分を有することはすなわち、嫡出子の相続分が減少することであり、また婚姻外の子を擁護することは法律婚の否定につながりかねない、というのである。
法律婚の尊重云々については、また別の視点(「相続」の意義、戸籍法からの観点、日本における貞操概念、等)からの問題が複雑に絡み合っているため置いておくとして(果たして置いておいたまま説得力のある対立利益を説明できるかは怪しいが)、嫡出子との直接的な利益の衝突がある相続分問題は、そう簡単に違憲判断できないということであろう。


しかし、今回の判決によって①親子法の基調である「血統主義」が必ずしも婚姻関係によって強化されるものではないこと、②両親の事情と分離して子の利益を考慮するべきこと、の2点を最高裁が採用したことは、少なからず非嫡出子の相続分問題にも影響を与えるだろう。


親が婚姻関係にあるかないかによって子の利益に多大な影響を与えるという不合理は早く改善されなければならないのである。