箱物行政とPFI事業の顛末

橋下大阪府知事はなかなか大言壮語ばかりで見ていて楽し…いや、ハラハラしますねw

大阪府知事に就任する橋下徹氏(38)は4日、府幹部との協議の中で、83の府立施設のうち、中之島図書館(大阪市北区)と中央図書館(東大阪市)の2施設以外は「不要」との考えを明らかにした。

http://www.yomiuri.co.jp/politics/news/20080205-OYT1T00081.htm

なかなか言えないことを簡単に言ってのけます。言うだけじゃダメってのはわかっているはずなんですけど…。で、不要と判断した施設は民営化なんでしょうか。よだれ垂らして待っている人たちがいるんでしょうかね。それともぶち壊すのか。
さて、僕の地元には最近(といっても20世紀)に出来たPFIという民間委託、官製施設の民間運営として計画されて、2006年に出来上がった、杉並公会堂という施設があります。古くはドリフの収録にも使われたという施設ですが、老朽化に伴い、運営は京王電鉄ってことで出来上がりました。昔はいわゆる「区の施設」だったので、区内で活躍している団体とか学校が使いやすかったんですが、そういう意味では最近ダメです。取るのが面倒だし、高くなった。区の登録団体でも安くならないんだもん。
そんな施設ですが、中身はすごく立派で、音響はとてもよい。初めて音を出したときにはビビリました。これはプロユース。ホールに負けそう。ただまあ、お客さんが入るとすごくいい感じになりました。
旧公会堂の時は、1億2000万くらいの赤字が出ていたみたいです。けれども、新公会堂は30年で250億円くらいかかるそうです。10倍くらい?
ところで、うちの高校のOB(著名人)による公演と、僕も入っているOB吹奏楽団の演奏がある毎年恒例のイベントで、危うく立ち見になりかけるくらい人が入るのですが、公会堂の人にちょっと聞いた話では、今までで一番お客さんが入ったイベントがそれだそうで…地域密着型の施設が生きる道ってのはきっと地域性にあるんだと思うんですけどね。
行政というのがきちんと文化を担えるものなのかどうか、そういった面も試されていると思いますよ、某府知事。

エロは隠すべき/あるいは他の欲望について

人々が豊かになるにつれ、生への欲求は当たり前のものとして薄まり、生きる目的としてのある種の欲望への上が人を動かし始める。
この50年来、技術の進歩とその伝播はエロとともにあった。しかし、あまりに大っぴらになりすぎて、もはやハードウェアの進歩には寄与しない。青少年の飽くなき探求によるスキルアップの対象にもならない。
一方で、普通では飽き足らなくなった人々はアブノーマルに走る。上流階級にその気の者が多いのは通常の刺激では満足できなくなっているからだろう。その行き着くところが戦争であるのは近代戦が男性の性行動のメタファーであることからも明らかだ。
さて、青少年にアクセス制限を設けるのは何も見せるな、と言うことではない。秘め事として扱うに足る、価値のあるモノであることを明らかにすると言うことだ。100円ショップで売られているような感覚で手にできるモノなどに若者たちは価値を感じるだろうか。
コンテンツ事業者が用意すべきなのは乗り越えるべき壁であり、その向こう側の日常である。何もかも見せてしまうから過剰が必要となり要求もされる。伝説の時は消え去り、暗黒の時代がやってきたかもしれない。しかし、それをコンテンツそのものの価値の再発見と捉えなければ、その先は見えないだろう。

ウェブ自由主義の敗北

既に、我々は敗北している。何に?現実の世界にだ。
急速なウェブの拡大は我々に何をもたらしたのか。限りない自由の世界への展望か?否、現実からの干渉である。あまりに急速な成功は、現実のビジネスとの融合を余儀なくされる結果を招いた。我々の回線使用料で整備されるはずのインフラは広告料や囲い込み戦略というビジネスによってとって替わられた。もはやそれなしにはインフラは成り立たない。そう、ビジネスに乗っ取られたのだ。
そして、我々の自由な発言は、ビジネスの波と共に押し寄せた一般人によって危機に晒されている。小人のなす…しかし数だけは多い…不善により、匿名は悪のレッテルを貼られ、撲滅されかかっている。小人どもは自らのなしたことが自由への攻撃であることも認識していないであろう。ビジネスに飼い慣らされた消費者は自由への敵であり、しかし、味方でもある。これは我々の戦術的敗北である。
一つの手段としてのウェブは終わりを告げようとしている。結局、Googleのみがウェブから世界を変える権利を得た。これも最終的にはビジネスの世界に過ぎない。現実からの干渉はGoogleといっても例外にはならない。最終的にビジネスにならないことを期待できるわけがない。
現実の浸食度が高まれば高まるほど、規制も、また利権も現実に近づいていく。ウェブが自由だった何かからは結局逃れられないのだ。ウェブが表舞台に出た時が既にウェブ自由主義の敗北であった。Web2.0とはそのことを象徴する言葉であったのだ。ウェブ商業主義によって世界は変わるか。否。ロングテールとは不買運動を無に帰す巧妙な手段であり、マッシュアップとは悪いところを無視させる布石である。消費者が最適な選択をした「気分にさせる」ことが出来さえすれば裏の取引はどうだってよいのだ。ウェブとはもはやこうした欺瞞を支え、ビジネスとして人々から搾取するための重要なインフラなのだ。
もはや、国境を越えた活動はビジネスに寄与しない限り邪魔であり、政治的な活動も同様である。正当な批判も謎の「市井の声」の前ではノイズに過ぎず、商業活動の前では営業妨害であり誹謗中傷である。
ウェブにかつて見た新天地はその急速な発展と社会における重要度のために瓦解した。我々はこのインフラに乗り続け、その中で生きる道を探るのか、別の天地を探すのか、今や選択の時にある。諸君らの選択や如何に。


〜2010年初頭、ウェブ自由主義一派による敗北宣言より〜

携帯コンテンツ業界は官製不況だなんて甘え

というか、突然の話ではない。2006年末に民主党から法案が出たり、着々と社会問題視されてきたのに、(スローモーとした態度を示していた総務省も悪いとはいえ)、それほど急な問題ではない。むしろ、手をこまねいていたという感じで稼ぎに走っている状態自体が問題だったはずだ。

健全と言われる日記やブログ、掲示板などでも、誹謗中傷やいじめ、不適切な出会いなどが起きているためだ。これらのリスクを完全に排除しようとすると、広範囲にアクセスを制限するしかない。ブログなどの書き込みを1つずつ監視する行為は検閲に当たるために、携帯キャリアはサイトの良し悪しを個別に判断することを避け、「疑わしき分野」全体を制限対象とする基準を設定した。

http://business.nikkeibp.co.jp/article/topics/20080131/146046/

このフィルタリングが妥当とは思わないけれども、今ここにある問題をとりあえず排除するのにはそれなりに有効であろう。
前にも述べたことがあるけれども、携帯のブログやSNSに出てくる広告はどうも筋が悪い。有料コンテンツへ誘導するようなものばかりだ。ビジネスモデルに連鎖的なお金の問題が絡んでいるようではなかなか本腰を入れて話す気にもならないんじゃないかとは思うけど、その結果が「突然」のフィルタリングであることを思えば、ビジネスの戦略を誤っただけのことであり、官製不況というような大層なものではない。
例えば、従来のコンテンツがレーティングされ、子供には売らないよ、子供は入れないよ、って言うのはあくまで実態が見えているから可能であり、親も家で一緒に見るんなら、とか、一緒に映画館に入るなら、という条件で認めることが出来るわけだけれども、携帯のコンテンツも同様にレーティングできるか、というとまあ勝手サイトの存在をシャットアウトしないと出来そうにない。だから、難しい問題であるのはわかるんだけど、先のコンテンツの例で言えば、親はお金ではなくコンテンツを与えているわけで、もちろん、現実にはレーティングがないものをお小遣いで買ったりするわけだから、そこのメタファーとしての「健全なコンテンツ」も当然あるけれども、現状では制御不能であるわけで。
ただ、少なくとも、子供からお金を集めないと不況になるような構造であれば、2年くらい叫ばれてきたリスクに対してもっと真剣に取り組んで(公式サイトになるとか)いけば避けられたかも知れない事態を官製不況と言ってしまうのは今まで容認されてきたことへの甘えに過ぎないと思う。