生死自在 (河口慧海著)

本書は明治37年6月1日に序文が書かれており、その直前の華族会館火曜会での講演録をほぼそのまま刊行したものである。日露戦争は明治37年2月6日から38年9月5日まで続いたので、その最中での講演だったわけだ。第1回チベット旅行から帰国したのが明治36年5月20日(38歳)で、各地で講演していた。大倉財閥の創業者、大倉喜八郎は仏像収集が趣味であったが、名前の不明な仏像が多くありそれを河口慧海に尋ねたことで信者になったようだ。(インド、ネパールの仏像で河口慧海はすぐにわかった。)大倉喜八郎世話人になりこの講演会となったようだ。特徴をあげると、

1.小冊子ながら仏教とはなにかが、まとめて説かれている。スウェーデンボルグの教説と驚くほど一致している。ただ河口慧海が知っていたキリスト教スウェーデンボルグの説くキリスト教でなく当時一般的だったキリスト教)に対しては仏教の優位を説いている。

2.戦争で死者も多く、死後どうなるか、を知りたい人も多く、それを説いた。。(スウェーデンボルグも同じことを説いている。スウェーデンボルグの方が詳細である。)

3、差別(因果応報)と平等を説いた。(スウェーデンボルグも同じことを説いている)
  共産主義に対するかくも本質的かつ根本的な批判はかって現在にいたるまで読んだことがない程優れている。
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4.因果必然と自由意志 この両者を仏教は矛盾なく主張していると説いた。(スウェーデンボルグも同じことをキリスト教で説いているが、この部分はスウェーデンボルグの方が判りやすい。)

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死後出生の証説。(輪廻転生説の根拠)
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  死後に霊ができ、それが生まれ変わって再びこの世に人となって現れるという説。

説明1.同じ両親から生まれた3人の子がいたとする。長男は絵の天才で3歳ぐらいからその片鱗をみせはじめる。次男は10歳になって絵を教えても線も巧くひけない。3男は絵が全く嫌いで習おうともしないが、数学は好きで進歩も早い。
 同じ兄弟でも好き嫌いが違い、同じように教えても理解度が違い、進歩がまるで違う。この原因はなにか?
 各自の前世が違い、引き継いできた業力の違いによりこのような差異が生じた。
世間では子供ができるのは父母の交尾で受精が起こったという物質上の作用だけを唯一の原因と考えている。しかしこれは誤りだ。受精時に生霊が宿ることで始めて子ができる。(スェデンボルグ説と同じ)
生霊が自分の業力に相応した所を見つけて大喜びで飛び込んでくる。
その宿った(生霊)が前世で絵師であると、子は絵の天分を持つ。書の達人なら字が巧くなる。


説明2. 2人の熱病患者がいた。一人は大物理学者で、一人は素人である。熱病のため2人は記憶をなくしてしまった。病気が治り学校にかよいだした所、元学者だった人は、すこし学べば思い出す所があり、みるみる上達して天才ぶりを発揮した。もう一人は何度学習しても進歩は非常に遅かった。

説明3.人は死ぬ時の苦しみで何事もすっかり忘れてしまう。これは熱病にかかり記憶喪失するのと同じだ。しかし忘れていたものが身体の発育にともない戻ってきて天才になる。前世での修因力を引き継いで生まれることから、世界中の人間が千差万別であることの理由がわかる。

テニソン、プラトーが同じ趣旨のことを書いていたと指摘している。(スェデンボルグも胎児の発育過程で霊が身体的特徴を形成すると書いている。また記憶は霊にすべて蓄えられ死後も失われないと書いている。)

お経からの引用(大涅槃経)臨終と中間連続的生命と出生
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仏が言われるに、人が死に臨んで呼吸もかすかになり、恐怖に襲われ、耳も聞こえず、目も見えなくなりなり、手足が痙攣して身体がしだいに冷たくなり、心臓が停止する時、従来自分が行ってきた善と不善の業作が完全に成熟してできた者を見る。現世の命が尽きると中間霊的身体が現れる。これは現世の身体から生じたのではなく、現世で行った業因から生じる。これは肉眼では見えず神通眼で見える。中間霊的身体は3種類の食べ物を食べる。認識と想像、接触と判断、知識である。この霊体に2種類あり、善業から生まれたもの(善人の霊)と、不善業から生まれたもの(悪人の霊)である。前者は善だけを知覚し、後者は不善ばかりを知覚する。ある時父母がセックスをしていて、この霊体が自分の持つ業力にピッタリの場所であると知覚すると、精液を自分と思い喜び勇んで飛び込む。この時中間霊的身体が見えなくなり、来世の身体が生じる。
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(注)要点を私が勝手に抜き出して編集しています。関心の有る人は(原典)生死自在を読んでください。