神行と病気と寿命の関係

 神行と病気と寿命は別々のものだと、大神様は説いた。「神行すれば病気が治る。神行すれば死にかけてても生き戻る。そのために神行する、これは間違いで、寿命が尽きれば死ぬし、因縁により病気になる。神行すれば魂が救われ、病気になっても魂は苦しまないし、死に臨んでも平穏である」と説いた。
 しかし神様である証として、キリストのように、非常に大勢の人々の病気を治した。神力を示し、どんな病気でもすぐに治した。瀕死の病人を次々に治している。各種ガン、肺結核やカリエスなどの各種結核ジフテリア、胃痙攣、腰痛、精神病、知恵遅れ、小児麻痺、心臓弁膜症、腎臓病、排便困難、(麻薬、農薬、一酸化炭素など各種)中毒、皮膚病、骨折、眼病、中耳炎、突発性脱疽(バージャー病)、難病指定の肉腫、原爆症など全部に亘る。小児麻痺や脳溢血で10年も15年も寝たきりの人を即時に立たせて歩かせたりもした(キリストと同じ)。
 中国地方のある結核療養所では患者全員が治って、退寮して閉鎖したほどである。
 極端な例では、五歳児が交通事故で車から投げ出され頭を強打、口と鼻から出血し頭骨骨折、脳内出血で意識不明、体はぐったりしていた。医師は手の施しようがなく、酸素テントに入れていた。これを大神様は、お祈りだけで一切の後遺症なしで数日で完治させたりした(天声366号・P116木戸靖文)。同様の小児事例は他にも2,3件あり、吉岡真由美・天声364号・P115、小川純・天声558号・P117など。
 大神様の列車を見送り追いかけて12mの神戸駅高架から落下した女性は、救急車で運ばれたが結局無傷。同じ事故が神戸駅で3件ありいずれも死亡。数日後にこの女性が駅長に挨拶に訪れ、驚嘆。天声11号・P40、高瀬澄江のちの木田澄江さんの体験談。
 赤垣氏のように30mの建設現場から落下し腰骨・肩・腕・足の骨折・脊髄破砕・頭部打撲の重傷で助かり、医者が1月後「生きていたのが不思議・これ以上の治療は不可能」と退院させた。松葉杖をついて大神様にお参りすると「よう来た。その体は世界中の医者も治すことは出来ないが、まだお前には、やってもらいたいことがあるから治しちゃろう」と言われて、1年後には東宿舎建設の大工仕事をした。怪我は完治して50年後の現在も存命中。等々の事例は他も多数。

 まさに人の生死も意のまま。天変地変の鍵を神から託されているのがわかる。海外でも病気治しは多く行われたようだし、弟子たちもこの霊力を多くもったものが出た。ただ誰にでも、いつでも治したのではない。その人の因果が記された天の写真帳をみて、治して良い人にだけ治したようである。天の写真帳の存在はスウェーデンボルグも記しているが、それを開けるのは神だけであると書いている。大神様は「病気直しは、薬売りが客寄せに手品をやるようなもので、神様が人間をたぐり寄せるきっかけにしているだけだ。本質は、正しい人の道を教えてやることだ。正しい人の道を踏めれば病気にならないから、そのほうがいいだろう」と説いた。病気は幽霊や狐、狸などの動物霊、他人の恨みである生霊がつくことで起こり、お祈りでそれを落とせば治ると説明している。悪霊、悪鬼により病気が起こると書いたスウェーデンボルグと同じだが、大神様はもっと具体的であり、範囲が広い。神行することで、自己の魂を磨き神様が胆においでくださるようになれば病気はつかなくなる。医者のいらない世界に住めると説いた。たとえ因縁により病気になっても、魂が天国にいれば、嬉しゅうて感謝ができるようになれる。ここまで行くのが神行だ。

 人間に生まれてきた本分(目的、意味)は、魂を磨き神様に近づくことである。それが十分に達成されれば、即身成仏となり、いつ死んでも同じことである。「死ねば次の行に移るだけのことだ。飛び石をしていて、同じ石の上にじっとしているのが、長生きで、次の石に飛んでいくのが死ぬことである」と説いた。これは維摩経にも同じことが書かれているが、維摩経でその意味を発見するのは難しい。死んで次のステージ、幕に移る。
 お釈迦様の説教を仕事で聞き漏らしたある貴族の下女が、お釈迦様を訪ねると親切に説法をしてくれた。喜んで帰る途中、牛に襲われて死んでしまう。それがセイロンの王女に生まれ変わり、後に釈尊に真珠を送ってきた。真珠を受けた釈尊が周りの人に、この因縁を説明した。なぜせっかく神仏の説法を聞いて喜んだ人が、すぐに不慮の事故死をしたかが、これでわかると、
 神行することと寿命は別ものだと説いた。神行していて、かなり高度のレベルに魂が達した人が病気で死にそうになると、お祈りで病気が完治して、体は綺麗になり、そして寿命で死ぬというケースが多々ある。維摩経で説く「不思議遷移の死」である。病気が治ると「完全な人」になる。病気の神様はいないというように、死後神様になれる人は、死ぬ時に「完全な人」でもあるのだろう。病気が快癒せずに死ぬと、その病気の因縁を來世に持ち越すらしい。