パタゴニアからの帰国とブラジル番組放映

2月7日から3月1日の日程で、南米のパタゴニア地方で開催された「Patagonian Expedition Race」へ出場してきた。昨年のブラジルに続き、半年以内に2回のレース(に出産)という会社員として無謀な挑戦であったが、無事終えることができて感謝の気持ちで一杯である。


帰国して数日経っても抜け殻のようで、まだ手足が痺れているが記憶が薄れないうちに記録を取っておきたい。毎回、レースの記録は帰国の飛行機の中でまとめて書いていたが、今回はYoutube機関車トーマスにハマっている息子のために、パソコンを家においていったので帰国してから書いている。


ところで、丁度今週末はブラジル大会(パンタナル)のTV放映である。
放映日:3月6日(日)
チャンネル:BS1
時刻:午後7時から8時50分
番組名:GREAT RACE〜グレートレース〜「激烈苛烈!大湿原のサバイバルレース」


熱帯の大自然でのレースがどうまとめられているか楽しみだ。

それにしても、良く好き好んでこんなレースに出るものだとつくづく思う。

パタゴニア・レース前

今回のパタゴニア・エクスペディションレースは前回開催された3年前の大会に続き、私自身は2回目の挑戦となる。チームイーストウィンドとしては2010年から5回目の挑戦で徐々に順位を上げており、過去2回は準優勝という成績を残している。2013年の大会に私も出場させていただき、原始の自然の残る過酷な環境の中、素晴らしい体験をさせていただいた。

当時はランニングの力をつけようと会社へ走って通勤し、メキメキ力をつけていた頃である。20代前半で子供もおらず、自分のためにお金も時間を割くことができた。パタゴニアは溜めた力を思う存分発揮できる場所であった。そしてその後もイーストウィンドではコスタリカ、ブラジルと各地のレースに参加させていただき、個人的にもオクスファム、タイでのトレイルレース、サンティアゴ巡礼の道走破等に取り組み、20代の有給休暇はほぼ全て海外遠征に費やした。


そう言った背景もあり、パタゴニアへの参戦を決めた。レースへの参加はトレーニング、スポンサーの募集、航空券や宿の手配等様々なハードルがあるが、特に私にとっては日程の確保が一番大変であった。1月から12月までの一年間で割り当てられている有給休暇20日のうち、16日をパタゴニアのために費やした。2月にして、事実上使い切ってしまった。


2月7日に羽田から出発、カナダのトロント、チリのサンティアゴを経由して、パタゴニア地方の玄関口であるプンタアレナスまで約2日間の旅である。9日未明に到着後、基本的には14日まで6日間、1日1ー2時間程度のランニング、マウンテンバイクのトレーニング(慣らし)、装備のチェックや準備に費やした。振り返ると、仕事では海外から空港に着いてそのまま出社するのが普通であるし、子供の世話や妻のことを考えるとこの準備期間が長過ぎて一番辛かった。公式には、下記のスケジュールである。


2月13日午後9時から大会オープニングセレモニー(チーム紹介、関係者挨拶、レセプション等)
2月14日午後9時からキャプテンズミーティング(コース発表、注意事項の伝達等)
2月15日午前11時から午後4時までに各デポ地点に配布する荷物を預ける
2月16日深夜1時、プンタアレナス中心地からバスでスタート地点へ移動。午前6時着。8時レーススタート
〜レース期間〜
2月26日午後2時プエルトナタレスにてレースクローズ。閉会式


夜遅い時間からイベントが始まるのはこの国のカルチャーだろうか。27日にプンタアレナスに移動して荷物を回収し、28日深夜1時過ぎの便でサンティアゴへ移動、3月1日の午後5時過ぎに帰国。

講演活動

今回のアドベンチャーレース世界選手権・ブラジル大会での経験を3ヶ所でお話しすることになりました。


12月23日(水・祝日)東京・代々木 国立オリンピック記念青少年総合センター13:30 開場 14:00 開演 (16:30 終了予定)
アドベンチャーレース世界選手権 in パンタナル(ブラジル)レース報告会のご案内


12月29日(火)大阪・梅田 PumpkinRocks(パンプキンロックス)17:00 から 20:00
アドベンチャーレース世界選手権ブラジル大会報告会 in関西


2016年1月1日(土・祝日)東京・東久留米 自由学園
10:00 から 11:00
2016年新年礼拝のご案内


年末年始で何かと忙しい時期ですが、近くで興味ある方はぜひ参加していただきたいと思います。世界最大の湿原、パンタナルを一週間駆け抜けたレース。新しい二人のメンバーとのチームワーク、出産と重なったタイミング等を織り交ぜてお話しようと準備中です。

レースを振り返って

ブラジル・パンタナルでの世界選手権が終わって3週間が経つ。帰国翌日から仕事をしているので、時差ぼけかレースの疲れなのだか仕事の疲れなのだかよく分からないまま日が経ってしまった。


東京にいながらグーグルマップでルートを辿ってみると、改めて文明から遠く離れた場所にいたのだと思う。レースの拠点となったのは、ボリビアパラグアイの国境に隣接する、コルンバという街だった。


スタートはそこから更に一晩軍用船で遡ったところだったので、まさに文明の果てである。よくこのような場所でレースを開催したものだ。


振り返ればここ数年の間にレースや出張の機会に恵まれ、様々な国に行ってきた。沢山の国に行ったからといって何が変わるわけでもないが、興味の赴くままに見聞を広めることができたのは良かった。
(行った場所は青と水色)


11月25日の午後に帰国してからハニさん一家に送っていただいて世田谷の家に荷物を置きにいき、遠征中に生まれた娘と家族に会うために埼玉県の妻の実家へ向かった。娘は、私が飛行機で飛んでいる間に生まれた。出産に立ち会うことはできなかったが、それだけのレースができただろうか。


実家では義理の両親と妻、息子が迎えてくれた。二歳の息子は久しぶりの父の帰国を理解しているようで、こちらが戸惑う位嬉しがってくれていて良かった。初めて会う娘は小さく、息子が生まれたときとはまた違った喜びがあった。赤ちゃんにも個性があって、息子のときは四六時中泣いていて誰かがあやしていたが、娘は静かに寝ている時間が多い。帰国してから平日は世田谷から会社に通い、週末には実家へ会いにいく日が続いていたが、一ヶ月検診を終えてようやく一家四人での生活がスタートした。


早速、夜泣き、長男の嫉妬、2倍の洗濯物とオムツに苦労は絶えないが、思いっきり好きなことができて家族も健康。これ以上の喜びはないと思う。


そして、自分のためだけにレースをしているのではないと思うようになった。20代前半までは好きにしていれば良かったが、子供が二人もいれば自然と責任感も芽生えてくる。次の世代のためにも、頑張らねばならない。

パンタナル・レース8日目

ここまで長かったが、泣いても笑っても今日はレースの最終日である。

午前3時半CP21に到着。当然関門も過ぎており、次はCP29へ。ここも長く、80kmくらいありそう。20kmほどで川を渡る場所に着く。スタッフの話では小さい船があるということだったが、どうも6時まで動かない大きな船のようで沢山のチームが待っていた。一昨日CP17を飛び立ったはずのギアジャンキーも居た。どういうことだろうか。とにかくあと1時間程度の話だったので多少眠り、皆で船に乗って一斉にスタート。

いよいよ食料が切れてきた。フェリー下船後も頑張るが乗っていた中で最下位に落ちてしまう。マチマチのMTB技術は昨日驚くほど高いことに気づいたが、体力的にはもう少しの様子。私も一杯いっぱいだった。


途中、300mほどの登りがありTVの撮影が入った。
降りる途中、マチマチが一度パンク。懐かしいパラグアイ川近くのトレイルに入り、14kmでCP29、そこからレファレンスポイントは軍の施設でスイカなどの果物をもらう。これが食べたかった! 置いてある分を食べ尽くした。川岸に降り、ここへ来ての藪漕ぎ。
最後のサプライズ、とは聞いた気がしたがやり過ぎな気がした。

結局本格的な薮は1km強で終わり、状態のいい林道に出る。ここからコルンバを目指す。一週間前スタートした街である。街の手前からカヤックを漕ぎ登ってゴールだ。ちょうどゴールへ向かうところで、レース前に順応のために走っていた道に出た。そして川に降りると、スタッフから「カヤックはいっぱいなのでキャンセル、MTBでゴールゲートへ向かってくれ」と言われた。何だか気の抜けた感じであるが、競技としてはここで終わりということのようだ。置いていた小さいリンゴがおいしかった。バナナも味が濃い気がした。
TVのインタビューもあった。妻には感謝、娘にも早く会いたい。それだけである。
ゴールは改めて大会本部のカヤックのスキルチェックをした場所。皆に祝福された。初日からどうなるかと思ったが、最終日まで頑張って良かった。


14時半頃ゴール後は大して眠気も無かったので片付け。ただ、夜はセレモニーと、翌日午前4時のバスで帰るので片付けとしてはあまり洗うこともできず、ただどんどん荷物を分配して詰めていった。

パンタナル・レース7日目

昨日はCP17で中締めの様相を醸していたこともあり、7時頃暗くなるとすぐ眠ってしまった。

その前の日もイッピランガの集落が見つからず即寝たので二日連続である。イッピランガ前に寝てしまったのはまさにチームが6つほど固まっているところに入ってしまったので失敗だったが、この時点ではどうしようもなかった。トレッキング中盤で「全コースを行くのは難しい」と感じていたが、この中締めも想定外であった。朝6時頃起きるとだんだん明るくなってきた。蚊もおらず、ダニに噛まれていたのを取ったが他は総じて快適で幸せだった。充分眠れたし。そして聞くと、コルンバの空港が雨でセスナが飛べないということで、さらに寝た。昼頃又起きて準備しているとセスナが飛び出し、我々の順番までに昼食も出てきて塩味の肉、ご飯、マッシュポテト系の食べ物を頂いた。肉の塩味がなかなかで美味しかった。

15時頃やっと飛び立つ。

セスナから見るパンタナルの湿原は絶景だった。

2、3の農場や牛が見えた。文明からここまでは慣れている世界もそうないような気がする一方、ほんの数十年ほど前までは地球の大部分でここと同じような生活か営まれていたのであろう。特にイッピランガとサンミゲルの農場は印象に残った。こんなところで生活している人が居るのだ、と。コスタリカのチリポ山を下山した後の、先住民の集落と同じだ。


さすがセスナは速く、CP20には30分ほどで降り立ち、MTBを組み立てて17時にスタート。20時にCP21の関門ということで、スタッフから50kmと聞いていたので飛ばしていくが地図を見てもまだまだである。

結果的に100km程度あって翌日午前3時半頃着いた。長かった。しかも食料の入っているボックスCはCP25にあるということで、今回はアクセスできない。結果的にCP17にあった食料袋から大量に用意しておくべきだった。何と言うことか。大会側もひどいものである。とにかく、最終日前日にしてやっとMTBに乗ることができた。MTBはトレーニングが不足しすぎていて最初に右ひざが痛くなり、次に左まで痛くなってきた。まあ漕げない程度ではなかったので右足にテーピングをしてしのいだ。

パンタナル・レース6日目

五時過ぎ起床。レース中とは思えないほどの熟睡。草の上にごろ寝だが、こんなに寝て大丈夫かというほど。

ルート的には合っているようで、深夜も数チームが歩いていった。起きてスイスチームと一緒に行く、と、民家が見えてきた! 出てきたおじさんによると、ここはイッピランガ。昨日はまだ到達していなかったのだ。マンゴーを分けてもらった。めちゃめちゃ美味しかった。スイスチームは女性がリードしている。強い。一時間強で次の街、サンミゲルへ到着。飛行場があってイッピランガよりもいくらか大きかった。ここでも2チームほど休んでいるチームがいて、丁度出発するところだったので一緒に出る。

朝7時頃。今日もひたすら東の方向へ進む。

何となく3チームほど一緒になって湿地を渡り、陸地をつなぎ進んでいく。昼過ぎ、この辺だろうと着いたが何も見えない。我がチームは着いていくときに彼らのおおざっぱな読図と説明からこの辺はまだ南に行き過ぎており、先に行く必要があると思っていた。五時間程度協力しながら進み、休憩の時も「1 minute to go!」などと声を掛け合っていっていたがそろそろ分かれることにした。正確には声をかけて、彼らも同じ方向へ行くということだったがこちらがもたついている間に先に行ってしまった。


そうして進んでいるとしばらく歩いたところでフェンスに出た。まだ4kmほども手前のようだ。北上すると正規ルートかと思い30分ほど歩くと反対方向に伸びるフェンスに出た。地図が正確であれば、我々は南にいたのではなく、北にいたということだ。なんと、逆の方向に向かっていた。しかし30分で現在地を把握できたと思えば悪くはない。フェンス沿いに着たところを折り返し、沼を越え、水草をかき分けて進んでいく。フェンスの交差と地図を確認し、時間で距離を測りCP17の位置へ向かって歩き出す。


本当に向かっている位置にあるのか? という疑問が拭えない。まさに人工物が皆無の地の果てである。しかし方角は合っているはず、というところで飛び立つ飛行機が見えた! 正確にこっちへ向かって飛び立って、旋回していった。これには勇気をもらった。今向かっている方角は合っているのだということに。


膝までの湿原を歩いていたが一つ40mくらいの幅の森を超え、もう一つの森を回っていくと建物が見えてきた。そして飛行場へ入るようだった。やっと着いた。農家を見るとやけに多くのチームが居る気がしたが、ギアジャンキーから聞くとここから先のセクションがキャンセルになり、あとはCP20に飛んでMTBだと言うこと。レースは中締めのような空気で皆リラックスしていた。ほっとした。

まだ前半である。時間がかかり過ぎだ。皆苦しんでいた。五チーム先に行き、マウンテンハードウェアーのニックが一昨晩ここを出発、翌朝「コースが難しすぎる」と戻ってきてキャプテンミーティングを開き、急遽ショートコースを設定したということ。
TVのインタビューを終えて荷物を解き、リラックスしてPFDを敷いて横になっているとすぐ眠れた。本当にこのレースではよく食べていない。床はタイルだったのでPFD(パドリングで使うライフジャケット)を敷いて良かった。敷いてなかったら寒かった。二つのPFDを広げて背中から腰をカバーした。バックパックの中敷きも出していたらここに忘れてきてしまった。


まるでどこかの難民キャンプである。