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Schuzak’s Blog

2018/1/8 この一年でスペイン語がかなり身についた

やはり本を買ってきてそれだけで勉強しても効率が悪いのだった。

ネットで手に入る膨大な文章を元に単語帳を生成しまず最低限の単語を覚えた後、ネットで手に入る生きたスペイン語が使われている動画やストリーミングを使って耳を慣らし、それと並行して本を使って文法などを少しずつ身に着けていく、という方法で大きく進歩した。

それ以前さっぱり身につかなかったのは、最初に買った本の出来が極めて悪かったことと、生きた見本がなかったのが問題だった。

特にこの数年の間にラテンアメリカでスマートフォンの普及が進んでネットにスペイン語のコンテンツが激増した恩恵が大きかった。スペイン語のリスニングは英語とはまた違った難しさがあって、教科書的な勉強だけでは全く役に立たない。


ずいぶん理解できるようになったことで、楽しめるコンテンツが急に増えた。

ずっとネットというものに退屈していたのでうれしいことではあるが、一方で以前から感じていた「スペイン語など学んでも無意味かもしれない」という漠然とした印象の正体も見えてきた。

ずっと前にオランダ語アラビア語をかじったときには「無意味かもしれない」ではなく、はっきりと「無意味だ」と断言できていた。あれはその土地の言葉とは別にその土地の人にとっての"余所行き"の言葉があって、外部の人間が聞いて意味のあるような話はたいてい余所行き言語の英語で得るほうが手っ取り早かった。

言葉に注目するとその社会は上下に二分された階層があって、ローカルな方を見ると世界中どこにでもあるありふれた日常のバージョン違いのようなものが見えてくるだけだったのだ。人間というのはどこに行っても根っこの部分では大差ないのかな、という感想を得てやめたのだった。

スペイン語の場合、スペイン語圏が巨大なので皆スペイン語だけできれば上から下まで何でも揃う、という感じで、したがって高尚な話から下世話な話まで全部視界に入ってしまう、そのせいで見る必要のないものや見たくないものがたくさん視界に入ったから無駄かもしれないと印象を時々受けていたのだった。

英語は国際語としての性格が強い分幾分高尚だったり難解だったりする話が多いのだろう。その英語と比べるからがっかりすることが多かった。

だが日本語で経験していることとだいたい同じなわけで、以前感じた根っこの部分では大差ないというのが確信に変わってきた。

ある意味ではようやく人間というものが理解できてきたということなのかもしれない。

今まで人間についてあまり理解できていなかったということに気づくというのはなんだか奇妙な気分である。

人間について理解できていないということは自分自身のことも理解できていないということを意味するだろうし。


それで、日本の人口の4倍ほどを擁する文化圏のコンテンツが楽しめるものとして現れた結果、その量に圧倒されている。

スペイン語に似た言語についても結果的に少しだけ理解できるようになるので、その分も合わせると見える世界の広がり方は実に劇的だった。

英語がわかってきた頃も世界の広さに気づいて感激したものだが、余所行きでない丸ごとの文化圏が見えるようになるのは次元が違う。


これだけ見聞きできるものが増えると、自分自身が変わっただろうと思う。違うことをしているという意識はないものの、以前の自分ならそうはしなかっただろうと後で気づくという経験が増えてきた。

人間的な成長にもつながっているように思う。

なんとかしてスペイン語を身に着けるべきだと感じてだらだら続けてきたが、ようやく実を結んだ。

あとは単純に語彙を増やして背景となる文化について理解を深めればスペイン語圏で不自由なく行動できるようになるだろう。

ある程度の達成感を感じている。

2017/12/23 ずいぶん時間が経った気がしている

もう数年経ったように感じていた。

実際には8か月ほどだった。

年の初めとは何もかも変わった感じがしている。


書くに値しないことは書くべきでない、書くに値する知識や知見は自分一人で独占したい、そう思って書かずにいた。

それはそれで良かったと思う一方、単に書くことそのものによって得られるものがあって、そっちは決定的に欠落していてこっちは良くない。

ここには書かなくてもTwitter等には事あるごとにあれこれ書いていて、そういう意味では何もしていないわけではないものの、ある程度まとまった長さで文章を組み立てるほうが面白いし意味のある考察につながりやすい。


書かずにきちんと考える習慣が身についてきたせいでそれほど書く必要がなくなってきたのは確かにそうかもしれない

PCを使う時間が減りスマートホンを使う時間が増えてきたせいで記録の残し方も変わってきた。

機動力が増した、と表現できるかもしれない。だが自分自身が必要以上に流転する存在になってしまって、根無し草とまでは言わないまでも、重心が不明というか、基点がよくわからないようだと歩を進めにくいのではないかな、と感じることも多い。


長いこと必要以上に縛られて嫌な気分になっていた反動もあったのかもしれない。

バランスの問題だろう。

2017/4/27 肩の荷が下りて楽になる

Firefox用のアドオンの開発は自分で必要にならない限り当分やらないと決めてしばらくたつ。

やらなくなると自分で考えていた以上に義務感から続けていた面が強かったと感じる。

アップデートが無くても日頃行っていた諸々の情報収集も必要なくなり、解放されて気分的にずいぶん楽になった。

遊びの延長でやっているつもりだったが苦痛の方が大きかったのだろう。

極めつけがFirefoxのエコシステムから出て行けという意思表示に直面して、ほんとにどうでもよくなってしまった。


主に使うブラウザはもうだいぶ前からChromeになっている。

ずいぶん前に試したときはまだ自分の期待に及ばない部分があったが、今はアドオンも充実していて問題ない。


情報の集め方は今まで数年おきに変わってきた通りまた少し変わることになって、このメリットが意外と大きい。

時間の節約にもなる。

Thunderbirdの使用もやめるかもしれない。必ずしも必要ではなくなってきた。FirefoxどころかMozilla製品すべてを使わなくなることになるのだろうか。


とにかく、楽な方、手軽な方を選ぶ。

ただそれだけのこと。

人の手を経た情報の方がいいか、生の情報の方がいいか

情報収集をするにあたって、できるだけ一次情報に近いほうがいいと思ったり、やはり昔からあるメディアは多くの人の手と目を経ている分一定以上の質が保たれていると思ったり、時期や状況によっていろいろ考えが定まらないでいる。

一定の質が保たれるものは最低限の質が保たれる一方で最高側も限られる。

鮮度やら臨場感やら探り当てた感がほとばしるような最高の記事というのは極めて自由取材して幸運に恵まれて作り出されるもので、それが連続することは極稀だ。

またどこに軸足を置いているのかで同じ事実に直面しても捉え方や理解の深さや方向性が随分変わるもので、自分とあまりにも違う前提で書かれたものは時に意味不明で、しかし自分とあまりにも似た視点で書かれたものも読んでも時間の無駄になるだけだ。

結局、なんだかよくわからないなと思いながらいろんなものを合わせ読んで再構成していくほかなく、したがって無駄のない情報収集というのはあり得ないということになる。

もうそういうものだと割り切って、その上でなるべく効率よく見ていくしかない。

そしてどうしてももっと詳しく知りたい、誰よりもきちんと理解しておきたいと思うものについては自分の目と耳で直接接するに限る。

2017/4/12 サーバーを失った

サーバーのダウンが続いていたが、どうしたことか、Abuseを理由としてアカウントが停止されるという事態に。

今まで7年程使ってきて、十分なアクセスがあるのに「アクセスがないのでアカウントを削除する」と度々言ってくるなど相当におかしな業者ではあったが、さすがにこれは呆れる。

外部の業者に委託して自動検出した、と主張している。Deep learningしたAIのようなものにやらせたようだ。何ら違反が無くてもこの結果。

誤検出だと思うならサイトの詳細とパスポート身分証明書を送れと言ってきたが、こんないい加減な業者にそんな情報渡すわけがない。

リソースだけ食って金にならないユーザーを追い出すための方便かもしれない。


他に使えそうなサーバーを探してみたものの、今後はきちんとしたものを使いたいので有料サーバーを選ぶべきだろう。

だがふと考えた。

このサーバーは誰のためのものなのか、と。

CSのマッパーとして活動していた時は作品を置く場が必要だった。あの時は是非とも必要で、年に10万ほどコストがかかっても迷わずサイトを立ち上げたが、作品も古くなって価値が薄れ、その後ブラウザ用のアドオンを作ったが、これはこれでホストする場があるうえFirefoxの変化によって既にあるものは遠くない将来大多数のユーザーにとって使えないものになり、自分は使うが自分用に作ったものをわざわざ世間に出す必要性や弊害を考えるともう公開しなくていい、むしろしない方がいい、とも思える。

Webサイトを廃止してもいいかもしれない。


ドメインを更新したばかりで1年間は使える。更新直前にこういう出来事が重なっていたらもう廃止していたかもしれない。


Webサイトを廃止したらどうなるのか思いを巡らしてみると、あれがないとネット上で自分が何者なのか不明になるというか、この名でネットに何かを書いても説得力がなくなるというか、本名でなくてもある意味名を名乗って発言することにはそれなりに重みがあったんだということに気づかされる。


今はどうするか考え中のままにしておこう。




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