師匠はつらいよ−『イップ・マン』感想

新宿武蔵野館で、『イップ・マン 葉問』を観てきました。(Dir. 葉偉信[Yip Wai-shun], 葉問[Ip Man], 2010)



すばらしかった!!


私はそんなにコアな香港映画ファンというわけではないのですが、これには無条件に胸が熱くなりました。


詠春拳創始者で、ブルース・リーの師匠でもあるイップ・マンという人の伝記映画です。
演じているのはドニー・イェンという俳優さんで、私はこの映画で初めて観ました。


なんというか、静の魅力がありましたね。
細身に黒く長い中国服をまとっているのですが、それが静かで精密な動き方とあいまってすごくセクシー。
顔の表情も穏やかで、静かな怒りを湛えたブルース・リーや、コミカルな動きが陽性の魅力を感じさせるジャッキー・チェンという感じではありませんでした。


物語自体も、私がこれまでに観た香港映画とは違いました。ふつう「武術を学ぶ映画」となると、弟子の成長物語かと思うのですが、この映画は師匠の側から描いた物語なんですよ。もっと言うと、道場の運営に苦労する師匠の映画です。


ドニーさん演じるイップ・マンが、第2次世界大戦後の1950年、故郷の佛山を出て香港にやってくるところから始まります。知り合いの新聞主幹から借りたビルの屋上で詠春拳の道場を開きますが、なかなか弟子が集まりません。やっと仕事がなくて街で暇を持て余す若者が集まったかと思いきや、戦後の不況でみんなお金がありません。身重の妻と息子を抱えて自らもお金には苦労しているにもかかわらず、弟子が「半分しか持ち合わせがなくて…」などと言うと、「いや、月謝は次でいいから」などと笑顔で返します。人格者の笑顔ってあまり魅力を感じたことがないのですが、このときのドニーさんの爽やかな笑顔は別格です!


しかしそんなイップ師匠と詠春拳に惚れこんだ弟子が、街でチンピラに絡まれて、詠春拳の強さを証明しようとし、複数の相手に返り討ちに遭います。「喧嘩の謝罪」と落とし前金を要求され、イップ・マンは魚市場に出向きます。数十人のチンピラに立ち向かいながら、逃げるための突破口を探すシーン。魚をさばくための出刃包丁をもった数十人の商人相手のこの立ち回りは見ものです!!


そこへ「私の市場でなにをしている!」と登場するのが、ホン師匠。演じるのは、あのサモ・ハン・キンポーです!*1


ジャッキーの映画でコミカルな演技を披露している、あのサモ・ハン・キンポーです!


ここはパンフやポスターを見て予想していたこととは言え、武蔵野館の観客が一瞬「おおー」とどよめきましたね。


で、いちいちこのホン師匠がキメ顔でなにか言うたびに、「ドーン!!!」という効果音がつくんですよ。


サモ・ハンさんて、ジャッキーの映画では、小太りの体型を活かしてコミック・リリーフ的な役割を負うことが多かった人で、なにか情けないことを言って笑わせたり、ジャッキーの足を引っ張ったりしてたんですよ。それがこの映画ではシリアスな顔で、武館の師匠を演じていて、まったく違和感がないんですよね。なんというか、ものすごい貫禄を感じました。


サモ・ハン演じるホン師匠は、イップ・マンに「香港で武館を開くための掟は、各武館の師匠の挑戦を受け、線香が尽きるまで戦い続けること」と言い渡します。こうしてドニー・イェンサモ・ハンがお互いの技を駆使した戦いを繰り広げるのですが、いやー、これが凄かった!!私の少ないボキャブラリーでは伝えきれません!降参です。ぜひ大スクリーンで観てみてください。椅子の脚が乱立する中、狭い円卓の上でバランスを取りながら行なわれるこの戦闘の模様、今年に入ってから観た映画スペクタクルNo.1です!


戦いのあとイップ・マンの実力を認めたホン師匠は、「毎月上納金100ドルを納めれば、武館を開いてもよい」と言い渡します。しかし、イップ・マンは「私腹を肥やすのは武術者の道ではない」と言い、断ります。そこからホン師匠の弟子たちにより、イップ師匠の弟子への嫌がらせが始まります。弟子たちが挑発に応じてしまったことで、ビルの屋上の道場を閉鎖せざるを得なくなるイップ師匠。ホン師匠に弟子への嫌がらせを止めるよう直談判しに行きます。「決着を着けよう」とイップ・マンに挑むホン師匠。


そこに現れる大きな渦巻き模様!ホン師匠の一人息子が持っていた、ペロペロキャンディです。一瞬前景に現れるこのキャンディの映し方、緊迫した勝負の場面に武術者の日常を持ち込むやり方として、うまいと思いました。あと、この一人息子の顔が、「どっから見つけてきたの?」と言いたくなるくらい、味のあるいい顔してます!!私はこの顔を見れただけで、チケット代の価値はあると思いました。


「勝負よりも家族との食事の方が大切では?」とイップ師匠に言われ、お互い家族を持ち、武館を運営する者同士の友情に目覚めるホン師匠。


だんだんと、ホン師匠もまたイップ・マンと同じように武術の師匠としての苦労を抱えていることが明らかになってきます。香港警察の友人に武術関係のイベント設営の仕事を回してもらっているのですが、仕事を牛耳っているのは、イギリス人の香港警察署長ウォーレスです。香港がまだイギリスの植民地だった当時、支配者民族であったイギリス人のウォーレスは当然、香港人たちを対等の人間として扱わず、中国全体への敬意も持っていません。


ツイスターというボクサーの試合運営をホン師匠の武館に任せるのですが、「お前は仕事だけしてりゃいいんだ!お前は金を集めるだけ!俺が金を懐に入れる」などと言うクソ野郎です。


西洋人からのつらい仕打ちや罵倒に耐え、試合の前座として中国演舞を舞い武館の宣伝することを許されるのですが、それを見たツイスターは中国の伝統をバカにし、リングに上がってホン師匠の弟子たちを「俺を殴ってみろ」と散々挑発して、騒ぎが巻き起こります。なおも西洋人の体格と馬力の違いを誇示し、挑発を続けるツイスター。


自国の伝統への誇りを守るため、リングに上がるホン師匠。「自分のために戦うんじゃない。中国武術の誇りのために戦うんだ」というホン師匠。涙が出そうになりました。


老境にさしかかり、心臓に病を抱えたホン師匠と、ゴリラのような筋肉隆々のモンスター・ツイスターとの戦い、白いタオルを投げようとするイップ・マンを止め、ロープを握って倒れないようにするホン師匠、そして誇りをかけた戦いの結末…。


最後のイップ・マンとツイスターの戦い*2では、『ドラゴンボール』の「これはクリリンの分!」に匹敵する感動があります。


私にとってこの映画の新しさは、「酒を飲んだくれてる」もしくは「のほほんと弟子の背中に負ぶわれている」といった、香港映画における仙人めいた師匠像のイメージを崩してくれたことです。この映画に出てくる師匠たちは、武館の運営のために金に苦労もし、弟子を食わせていかねばならず、ときには侮辱にも耐えなければなりません。ひりひりするような痛みにさらされた生身の人間として描かれています。そこが非常に新鮮でした。


武術の師匠であるとはどういうことか、どんな覚悟を要求されるのか、真正面から描いた映画だと思いました。


何度でも見たくなる、傑作です!

*1:ハリウッド進出を機に、名前を「サモ・ハン」に改名したそうです。[パンフレットのキャスト紹介参照]

*2:「コーナーに下がる」というボクシングのルールを知らずに、対戦相手に礼をするためにリングの真ん中に進むイップ師匠を西洋人が嘲笑したり、ツイスター劣勢となると試合途中でルール変更して蹴り技禁止にしたときには、「西洋人が東洋の文化を理解せずに自分たちの思想やルールを押し付けていた前世紀までの西洋中心主義」が、鮮やかに描き出されていると思いました。