漢の昭帝非実子説2

http://d.hatena.ne.jp/T_S/20081230/1230645599の続き。

まずは、人物紹介。
武帝:皇帝。本名劉徹。物凄い高齢。燕王旦や劉弗陵の父。
劉弗陵:皇太子から武帝の跡を継いで皇帝になる。皇帝になった時点で8歳の子供。
燕王旦:劉旦。燕に封建された諸侯王。武帝の子で、武帝死亡時に生存する子の中では最年長。そのため本人は自分が次の皇帝と思っていた。
霍光武帝の側近。奉車都尉という職を数十年務めた。離宮で死亡した武帝を見取り、武帝の遺言でいきなり大将軍に抜擢される。

武帝始皇帝、劉弗陵=胡亥、燕王旦=扶蘇、霍光=趙高に置き換えられる気がするのは単なる気のせいではない。多分。

劉弗陵は武帝晩年の子であり、母は趙氏。
彼の出生については、

太始三年生昭帝、號鉤弋子。任身十四月乃生、上曰「聞昔堯十四月而生、今鉤弋亦然」乃命其所生門曰堯母門。(『漢書外戚伝)

という話が伝わる。つまり妊娠14ヶ月で生まれたというのだ。
そしてこの趙氏は武帝が死んだ時には既にいない。『史記外戚世家によれば、武帝が罪をかぶせて殺してしまったというのだ。
呂后のように皇太后となって権力を振るうのを避けるためなのだという。
「本当は妊娠期間14ヶ月という別人の子疑惑を払拭できないために殺されたことを、後づけで物語がでっちあげられたんじゃねえの?」なんて思ってしまうのは私の感性がおかしいからなんだろうか。
まあとりあえず、この時に皇帝に立てられた8歳の小児は、母もすでにいなかったということだ。
しかも、前回の記事で挙げた燕王の話からは、どうも地方ではこの子の存在自体が知られていなかった節があるように思える。
これはなんなんだろうか。