高校

中学や高校の授業も少しずつ変わっているらしい。作家の時間をされている学校もあるし、僕の時代だって遠くの学校に本を読むことを大事にしている先生の話を聞いたことがある。だけど話を伺う限り、まだ作家の時間など子どもの意欲を大切にした授業は主流ではなさそうです。中学と高校の授業がもっと変わればいいのにって思います。小学生は批判する能力がまだあまりないし、内容の必要性が相対的に高いことを学んでいる(能力も必要性も中学生と高校生に比べてです)からいいのかもしれないけど、高校生ぐらいになったら、あの長い一斉授業ばかりやるのはやめたほうがいいと思う。大学の通信の内容も終わると嫌な思いをしたのを忘れてしまいそうになるけど、改善したほうがいいと思う。自分はさまざま遠回りしていますが、それをすべて活かしたいと思う。でも、まっすぐな道もある。後生には、同じゴールに行くなら、まっすぐで最短の道を歩いてほしいと思います。

大学通信教育 読書 

大学の通信教育で得た最高の学びは、最後の卒業式の創立者のスピーチと2冊の本の出会いでした。レポートの課題で、紹介してくれたのは、たぶん知人の方のゼミの先生です。両方とも、中学生以上ならなんとか読めそうなので、図書コーナーに置きたい本です。うん、やはり教科書ではないです。教科書は地図みたいな、ガイドみたいなものだと思う。これに執着する意味は感じられません。これを暗記させて再生させる教育(人によるけれど、そういったテストが多かった)になんの意味があるんだろう。教科書も地図も暗記するものではなく、活用するものだと思います。これでよりいい教育(教育学部でした)ができるようになるのだろうか。教員採用試験はどうだろう。出口であり入り口である教員採用試験、これはいい教育をつくる試験になっているのだろうか。あまり同じところをぐるぐる回ったり、遠回りしている時間はないです。


エコロジー的思考のすすめ―思考の技術 (中公文庫)

エコロジー的思考のすすめ―思考の技術 (中公文庫)

少し読み直したらほんとに名著だと思いました。
プロローグで生態学的思考の真髄として、
ドストエフスキーの言葉が紹介されていました。
「各人はすべてのことについて、万人に責任がある」
自然科学が与えてくれる知識に対して、
生態学のチエは経験からにじみ出てくるようなチエであるとのことです。
科学はチエとはいえないか。

進化とはなんだろうか (岩波ジュニア新書 (323))

進化とはなんだろうか (岩波ジュニア新書 (323))

最近の生物学の根底には進化論があるらしい。
わかりやすくて、おもしろかったです。勉強は楽しい。

読書

若い読者のための世界史

若い読者のための世界史

小学生には難しそう。漢字が難しい。
ルビが少ないのが難点だけどよい本。
ルビは大事。昔のことを思い出すと漢字が読めないこと自体が読書の壁を高くするし不快なことでした。大人向けの本ということかなのかな。「若い読者のため」と冠するタイトルの本なら、もっとルビが必要だと思います。僕の良書の基準の快不快に関わってきます。でも、
読書がとても好きな小学生か中学生以上なら読めそう。

まっすぐな道

自分はさまざま遠回りしていますが、それをすべて活かしたいと思う。無駄にはしない。でも、曲がりくねった道もあれば、まっすぐな道もある。後生には、同じゴールに行くなら、まっすぐで最短の道を歩いてほしいと思います。最短といっても、魔法ではないから大変なこともあるし、時間もかかると思うけど、今までよりは経済的で効率的で無駄が少なくて楽しい道。こういうのを価値的というんだと思う。またはやく様々な面で価値創造できるようになれたほうが幸福だと思う。価値創造は本人もうれしいし、他の人にとってもうれしいことであると思います。そこに向かってまっすぐに進んだほうが賢明だと思います。まず、僕は人生の目的がわからない不幸な人だったと思います。でも、トルストイなどの人生の師匠たちが道を教えてくれるのでよかった。特に大事なところをおさえないと、悪いことはづつくように思います。生命には軌道があると思う。幸福の軌道もあれば不幸の軌道もある。悪循環の軌道がある。常に変化の連続。よく変わっているのか、悪く変わっているのか。悪習慣とか、弱い心だったり、制度などの環境だったり相互作用の悪循環の軌道があると思う。それを一つでも断っていくことが大事だと思う。また上っていけるけど、不幸な人や国は徐々にスピードをあげて転がり落ちていく感じがします。一番大事なのは心の軌道。心、これで決まってしまう。目的がない人は弱いと思います。よい軌道をつくっていく。そのためにどうすればいいのか。何ができるのか。

日記 

日記を読み返すと「思う」が多すぎる。なくすように意識してみようかな。人と話すときは、Iメッセージとして「私は〜と思います」という表現でいいけど、日記ではもっと省略したほうがいいのではと思いました。それに書いていることはすべて思考であり思ったことです。過去に思ったことは、「思いました」と表現が適切かもしれないけど、今のことに関しては省略したほうがいいかも。書いているということは思っているということなので、わざわざ書く必要がないかも。

作家の時間 戦略

どうやったら、これから予想される立場で、作家の時間ができるか考えていました。そこで、あまりにも作家の時間が素晴らしいので、目的意識はあるのですが(あるから作家の時間が素晴らしいと思うのです)、その型や方法に対して意識が強くなりすぎていた自分を自覚しました。

作家の時間という型から考えるのではなくて、
目的からもう少し柔軟に方法を考えていこうと思いました。


とにかく書くことが好きで書けるようになる、書く力をつけることが目的だと思います。本当は学習指導要領を見ればいいのかもしれないけど、今はおいてきます。
作家の時間の目的は以下の書き手を育てることです。
①書くことが好きな書き手
②自律した書き手(書きたいこと書きたいように書ける)


①に対して重要なのが、主に次のことだと考えました。
・書きたいことを書ける(題材を担任ができるだけ強制しない)
・共有の時間がある
・出版がある
・相互作用がある(学び合いやフィードバック、ラブレターなど)
・読者がいる
・本物の作家になる


②で重要なことは、主に次のことだと考えました。
・作家のサイクルを一年間回し続ける。作家のサイクルは掲示物で見える化する。やはり作家の時間をしたクラスを見て思ったのは、このサイクルを回すことが身についているということでした。
・体験学習サイクルを一年間回し続けて、あらゆる場面で書いて振返りをさせる。
・リーディングワークショップ(作家として読む。作家の技を盗む。)
・ミニレッスン



作家の時間の型
①ミニ・レッスン(短い授業)       (5〜10分)
②書く時間とカンファランス        (30分)
③共有の時間               (5〜10分)
この型からわかることは、教師の教える活動が短い。たくさん書く時間を保証する。学び合いがある。共有の時間があり、友だちからフィードバックがもらえる。このベクトルに向かっていれば、たぶんあまり細かいことはこだわらなくても大丈夫だと考えました。



こう考えると、作家のノートや作家の椅子などは書く力をつけるという目的に対して必要なものではないと考えました。A4の紙を半分に折って、左側に下書き、右側に修正文を書いてもいいかもしれません。そしてクリアファイルに入れて自己管理するとか。作家の椅子は、雰囲気が出ませんが、子どもの椅子でも、担任の椅子でも代用できるはずです。もちろん、作家の時間にあるとおりに、作家のノートや作家の椅子があったほうが断然いいと思います。ただ今は目立たなく、作家の時間もどきでもいいので、目的に適った教育内容を一年間の子どもの書く活動に溶け込ませることを狙っています。作家のノート、振返りジャーナル、読書ノートこれを全部プレゼントしたら、僕の立場だと難しいのではと考えました。他のクラスの保護者、他のクラスの子ども、学年主任、管理職の先生との人間関係。たぶん僕が学年主任で初任とパートナーになると考えると、勝手にやらないでできるだけ相談してほしいし、一つのクラスだけあまり変わったことをしないでほしいという気持ちも出てくるかもと思いました。正採用になったら、簡単には首にできないはずだし、あいつ変なことをやってるなで済むかもしれません。自分はそうはいかないところがあります。だから、作家のノートのことも学年主任に相談して、いい顔をされなかったら、おとなしくやめようと思います。それか、最初から使わない方向で行くか。正採用になったら、ノートを配るくらい強行できると思う。その時を待ったほうが賢明かもしれない。ただ作家のサイクルを一年間回すことや、共有の時間、出版、学び合いなどできることは最大にやろうと思います。国語の「作家の時間」という名前で書く時間をできるだけ確保するよう努力したいです。名前について聞かれたら、「作家の時間」の本を紹介してもいいし、体験学習法を重要視していて実際に作家になる体験が大切だと考えているので、この名前にしましたと説明しようと考えています。それに、最初は名前にこだわる必要はないかもしれないです。


どんなタイミングで学級担任になっても、作家のサイクルと体験学習サイクルは回し続けたいです。

読書 ソフィーの世界

ソフィーの世界を今ぱらぱらめくったら、
アマゾンのレビューにあったとおり、小学校の高学年ならなんとか読めそうな文章だと思いました。ただほとんどルビなしです。図書コーナーに置くだけだったらいいかもしれません。文学サークルももしかしたらできるかも、難しそうですが。

読書 フェルマーの最終定理

フェルマーの最終定理」今ちょっと見たら小学生にはかなり難しそうでした。文庫だし、置いとくだけだったらいいかも。でも、「幾何への誘い」が小学生でも読めそうな感じだったのは意外でした。「幾何への誘い」のとなりに一冊置いておいて、こういう本があることを知っているだけでもいいのでは。