林中尉の詩

海軍中尉林尹夫。学徒動員で京大在学中に動員され、一九四五年七月二十八日戦死。
彼が残した詩。

「断 想」

必敗の確信
ああ実に昭和17年よりの確信が今にして実現する
このさびしさ 誰が知ろう


さらば さらば  みんななくなる  
すべては消滅する
それでよいのだ
いわばそれは極めて自然なる過程ではないか


亡びるものは亡びよ
真に強きもののみ発展せよ
それで よいではないか


しかし我々は盲目だ
ただ 闘うこと それが我々に残された唯一の道
親しかりし人々よ・・・・・闘わんかな


南九州の制空権  すでに敵の手中にあり
われらが祖国まさに崩壊せんす


生をこの国に享けしもの  なんぞ 生命を惜しまん


愚劣なりし日本よ  優柔不断なる日本よ
汝いかに愚かなりとも 我ら この国の人たる以上 

                       
その防衛に奮起せざるをえず


オプティミズムをやめよ 眼を開け
日本の人々よ
  日本は必ず負ける
そして我ら日本人は なんとしてもこの国に 新たなる生命を吹き込み
  新たなる再建の道を 切りひらかなければならぬ


若きジェネレーション
 君たちは あまりにも苦しい運命と闘わなければならない
 だが 頑張ってくれ


盲目になって 生きること  
それほど正しいモラルはない
死ではない 生なのだ
モラルのめざすものは そして我らのごとく死を求むる者を
インモラリストと人は言わん

日本帝国終末

没落と崩壊  デカタン
亡び残るものなにもなし
すべての終末
今年の秋は
淋しく冷く風が吹きすさび
残るものはなにもなくなろう


そこに残る人は
ちょうど今宵のような
冷たい風が吹き
松が鳴る音を聞きながら
泣くにも泣けぬ寂しさに
耐えきれぬようになろう


お気の毒だが  私はもう
あなた方とは縁なき者なのだ
我らとmitlebenしうる者は
今年の夏まで
生きぬ者に限られるのだ
そして  それ迄に
死ぬべく運命づけられぬ者は
我らとmitlebenしうる
権利をもちえないのだ


かつて存在した人間関係は
すべて深い溝で切断され
我ら  もはやなんの繋がりも
持ち得なくなっている


親しかりし人々よ
あなた方はいま
いったい生きているのか
それとも  明日の再建をひかえて
生命の源泉を培っているのか


だが
現在の生なくして
なんで明日の生が
存在しえようか


すべては  崩壊する
日本に終末がくる
あの  ダブー
カタストローフよ

これについてのコメント。(「★ 靖国右翼は、自分が卑怯者の子孫であることの夢をみるか 山室 建徳 『軍神』 中公新書 (新刊) | 書評日記 パペッティア通信 - 楽天ブログ」)

▼わたしは、何度となく指摘してきた。 靖国神社は、国のために死ぬことの「不可能性」を隠蔽するための装置にすぎない。 靖国に集う愛国者とは、「誰かが自分の代わりに騙されて、代わりに死んでくれることをもとめる」人たちにすぎないのではないか、と。    
▼しかし、その考えは甘かったかもしれない。「不可能性」は、靖国愛国者の間だけに横たわっているのではない。 かつて、わたしたちの祖先は、醜悪にも、かれらに続くことなく、生き残った。 鬼畜と形容した米英にひざまづき、命乞いをした。 卑怯者の子孫にすぎないわれわれは、彼らを「追悼する」「カワイソウと思う」「悲しむ」「後世の戒めとする」「英霊と思う」……そんな資格さえ持ちえないのかもしれない。

どきりとさせられる。