例の朝日記事から連想する雑感

例の朝日記事についての直接のエントリーは、

手前味噌ですがここら辺りを御参照下さい。この事件の流れは、

1st Stage 1年以上の取材期間をかけ、朝日が満を持してスクープと判断し報道
2nd Stage 東大医科研が抗議、学会も抗議に連動
3rd Stage 朝日は「記事は確かな取材に基づくものです」と抗議を一蹴
4th Stage 抗議のための署名運動に発展


もう少し材料をうまくというか、取材の方向性を変えれば、日本の医療も問題点でもある新薬開発や、ドラッグ・ラグに関連する治験問題に切り込めたと思ってしまいます。しかし現実に怒涛のように展開された記事は、東大医科研だけではなく、ペプチドワクチンの権威とされる中村教授、さらにオンコロジーオンコセラピー・サイエンス社への吊るし上げ爆撃です。

正直なところ、朝日が切り込み口とした消化管出血の取り扱いは複雑と言うか、煩雑と言うか、曖昧で微妙なところはあります。曖昧とか微妙と言う意味は、医科研が不正をしたとの意味ではなく、一般的でない言葉で定義された用語の解釈・運用にもあるとは思っています。

ここは私も詳しくないところなので、日本の治験制度全体が欧米諸国に較べてどうなのかが一つの問題とは思っています。朝日は一直線に厚労省なりの国家管理が一番と結論付けようとしていますが、実はこの点も私は知識不足です。日本が「どうやら」遅れているらしいは耳にしていますが、具体的にどの点が良くないかを論評するほどの知識がありません。

国産薬剤開発は日本の国益だけではなく、重病に苦しむ患者の治療として重要な事業です。せっかく治験問題に切り込んだのですから、制度上の不備、不備に伴う不利益、さらにこれを改善する提案に進めば非常な良記事に仕上がった可能性はあったと思っています。朝日が提唱した厚労省なりの国家管理が改善策として望ましいのか、それとも単なる思い付きに過ぎないのかもあの記事では判別しようがありません。

記事だけの印象で言えば、大学なりに任せておけば私利私欲に走るだけだから、国家管理にしておけば安心みたいにしか読めませんでした。問題は本来そんな底の浅い話ではなく、日本の医薬品開発に関る根幹の問題なのに、程度の浅いところで爆弾投下を行い、誤爆の山を築いてしまったと感じているのは私だけではないと思います。

どちらにしても関係が非常に薄かった中村教授やオンコロジーサイエンス社に対する朝日のリアクションを待ちたいと思います。このままでは本当に第二の珊瑚事件になり、珊瑚事件当時より既製マスコミ以外のメディアが発達している現在では、それこそ第二のタブロイド紙に位置付けられる危険性さえあると指摘しておきます。



さてこの事件を別の側面から見ることも可能です。例えとしてストレートではないのですが、堺のO-157集団食中毒に関連したカイワレダイコン事件を思い出しています。カイワレダイコン事件も終わってみると様々な陰謀説が後で渦巻く結果になったのは御存知の通りです。O-157は今でこそ誰でも知っていますが、堺の事件当時は医療関係者でも「聞いたことがある」程度のものでした。ましてや医療関係者以外ならなおさらです。

今なら真っ直ぐに疑われるのは牛肉ですが、なぜか爆撃はカイワレダイコンに集中する事になります。今になって考えるとなぜにカイワレダイコンとO-157が結びつけられたのが謎ですし、そこに陰謀説が渦巻くのですが、それこそ連日連夜の大爆撃がカイワレダイコン主犯説に向けられていたのは確かです。

猛爆撃にさらされたカイワレダイコン業者でしたが、それでも懸命に反論していました。そりゃそうで、生活がかかってますから必死だったと思います。しかし当時では反論であっても既製マスコミのフィルターを通さない限り「何も言っていないのと同じ」状態であったとしても良いと思います。

カイワレダイコン事件の結末は御存知の通り「カイワレダイコンはシロ」です。この結論が出る頃には猛爆撃でカイワレダイコン業者は廃墟状態になり、廃墟となった爆撃跡に「ここは爆撃目標ではありませんでした」の小さな貼り紙が残されていた状態であったと記憶しています。


今回はカイワレダイコン業者に較べてネームバリューが桁違いに大きい東大医科研ですが、爆撃に対し瞬時に反撃を行っています。この瞬時に反撃が行えるという点にカイワレダイコン事件当時との大きな違いを感じます。これがカイワレダイコン事件当時であるなら、ひたすら爆撃にさらされ、耐える以外に術はなかったんじゃないかと思っています。

カイワレ当時であれば、いかに東大医科研であっても、マスコミフィルターを通さない限り意見の主張は行えません。このフィルターがいかに凄まじいものかは、がん患者団体の声明への編集権の行使でわかります。そういう状態では全体として有効な反論であっても、切り貼りされ高度の創作性を加えて記事になった頃には醜悪な弁明になっている可能性もまた十二分にあると言う事です。そういう前例は幾らでもあります。最近の朝日では宮崎の研修医へのインタビューが有名です。

それがネットを使う事により、朝日の爆撃に対する反論を確実に形成しています。これは私の観測ですが、東大医科研の反論が早かったため、朝日の爆撃に対し他のマスコミが戦線参加を躊躇した部分はあったんじゃないかと想像しています。状況判断として「無邪気に相乗りするとヤケドしそうだ」の観測です。もう少し戦況を見て判断しようです。

この辺は福島大野病院事件や、奈良大淀病院事件の結果をある程度学習したのかもしれません。ここら辺の構図をまとめてみると、

従来 現在
スクープとして先陣を切って爆撃を行う

バスに乗り遅れるなと各社が瞬時に参戦

息も継がせぬ連日連夜の絨毯爆撃

事のシロクロに関らず爆撃対象は壊滅状態
スクープとして先陣を切って爆撃を行う

爆撃対象からのリアクションを各社は観察

状況判断が微妙なら洞ヶ峠

事のシロクロが判明してからおもむろに参戦


完全にそうなっているわけではもちろんありませんし、主流は従来型です。ただ従来型は医療報道のみならず既製マスコミは失点を重ねています。最近で記憶に新しいのは村木厚子氏に関する訴訟報道です。これは検察(とくに特捜部)の起訴と言う既製マスコミにとっての絶対のキーワードがあったとしても、起訴時点と判決時点の報道の余りの温度差に失笑を買っています。


お気づきになりましたか、既製マスコミが気にしているものが。村木事件で失笑したのは誰かと言う事であり、福島大野病院事件や奈良大淀病院事件で既製マスコミを指弾したのは誰かと言う事です。今回の医科研事件で既製マスコミが気にしている意見の発生源はどこかと言う事です。これはマスコミが聞かざるをえなくなった世論の声です。

既製マスコミにとって世論とは、カイワレ事件当時なら聞いたり、聞かされたりするものではなく、単に操作したり都合よく理由する対象に過ぎなかったのです。たとえ批判世論があったとして取り上げなければ「なかったもの」にしかならないと言う事です。ところが最近になり世論の制御が非常に困難になってしまったと自覚し始めていると考えています。

象徴的であり、脅威的であったのが変態記事事件でしょう。従来操作し、都合の良い様に利用するだけの存在であった世論が、実際に行動し実害を与えています。あの時は既製マスコミも協力しての共同黙殺戦術を取ったにも関らず、目に見える大損害がもたらされた事は大きな教訓であったと考えています。つまりネット時代の世論は実際に文字として書かれ、さらにそれに対する賛否両論が誰にでも読める状態になりつつあると考えています。

この世論に逆らっての報道は、世論迎合をモットーとする既製マスコミにとってはボディーブローのように効き始めていると見る事は不可能ではありません。

センセーショナルなスクープ記事についても、従来は「抜かれた、失地挽回にもっとセンセーショナルに」以上の事は考えもしなかったのが、「下手に相乗りすると一緒にヤケドを負う」みたいな判断が混じりかけている可能性を考えています。失態記事への便乗はサイバイバルのための読者獲得に不利なだけでなく、変態記事事件の様にスポンサー攻撃のトバッチリさえ招きかねません。そうなればぐらつきかけている経営に大きなダメージが加わります。




・・・・・てな方向に本当に動いていたら「凄いな〜」と思いますが、どうでしょう。むしろこれは好意的に深読みしすぎで、実際のところは、

    デスク:「おぉ、朝日が抜いたぞ。うちも追っかけるぞ」
    記者:「ちょっとだけ時間をください。そうしたらドカンと花火を上げます」

    (花火の準備が急ピッチで進みます)

    記者:「打ち上げOKです」
    デスク:「ちょっと待て、どうも雲行きがおかしい。今回は無難に流そう」
    記者:「ほいじゃ、中立ぐらいに修正します」
    デスク:「そうしてくれ、危なかったなぁ」
こっちの方が現実的な解釈のように思っています。

情報追加

10/28付Asahi.comより、

教授の人権侵害と朝日新聞社に通知書 東大医科研報道

 東京大学医科学研究所が開発したがんペプチドワクチンを使った付属病院の臨床試験で起きた有害事象が、ペプチドの提供先である他の医療機関に伝えられていなかったと報じた15、16日付朝日新聞朝刊の記事に関し、中村祐輔・東大医科研教授は代理人の弁護士を通じて、「一連の報道は重大な人権侵害」だとする通知書を、27日付で朝日新聞社の秋山耿太郎社長あてに送った。

 通知書では「記事には基本的な医学的知識ないし表現の誤りや基本的な事実に関する事実誤認が含まれている」などとして、事実関係や取材経緯について検証を行い、その結果を明らかにするよう求めている。

 ■朝日新聞社広報部の話 当該記事は、薬事法の規制を受けない臨床試験には被験者保護の観点から問題があることを、東大医科研病院の事例を通じて指摘したもので、確かな取材に基づいています。

な〜るほど、医科研の抗議文も公開されています。

これが記事の主題であり、主張が国家管理にせよである事がわかります。それはそれで良いとしても、東大医科研から指摘があった、
    記事には基本的な医学的知識ないし表現の誤りや基本的な事実に関する事実誤認が含まれている
これに対しては、
    確かな取材に基づいています。
「医学的知識ないし表現の誤り」も「基本的な事実に関する事実誤認」も存在しないと公式発表したことになります。つう事は、たとえばですが朝日は今回のペプチドワクチンの開発者は「確かな取材」に基づいてやはり中村教授であると見なしてよいのでしょうか。それとも「とあるペプチドワクチンを開発したのが中村教授」であって、朝日は「今回のペプチドワクチンの開発者とは一言も書いていない」と力説されるのでしょうか。

中村教授の件は抗議文には見当たらないようですから、「具体的な指摘が無い」として朝日は答える必要はないかもしれませんが、抗議文にある、

 記事には、『記者が今年7月、複数のがんを対象にペプチドの臨床試験を行っているある大学病院の関係者に、有害事象の情報が詳細に記された医科研病院の計画書を示した。さらに医科研病院でも消化管出血があったことを伝えると、医科研側に情報提供を求めたこともあっただけに、この関係者は戸惑いを隠せなかった。「私たちが知りたかった情報であり、患者にも知らされるべき情報だ。なぜ提供してくれなかったのだろうか。」』とあります。

 我々は東大医科学研究所ヒトゲノム解析センターとの共同研究として臨床研究を実施している研究者、関係者であり、我々の中にしかこの「関係者」は存在し得ないはずです。しかし、我々の中で認知しうるかぎりの範囲の施設内関係者に調査した結果、我々の施設の中には、直接取材は受けたが、朝日新聞記事内容に該当するような応答をした「関係者」は存在しませんでした。

 我々の臨床研究ネットワーク施設の中で、出河編集委員、野呂論説委員から直接の対面取材に唯一、応じた施設は7月9日に取材を受けた大阪大学のみでした。しかし、この大阪大学の関係者と、出河編集委員、野呂論説委員との取材の中では、記事に書かれている発言が全く述べられていないことを確認いたしました。したがって、われわれの中に、「関係者」とされる人物は存在しえず、我々の調査からは、10 月15 日朝刊社会面記事は極めて「捏造」の可能性が高いと判断せざるを得ません。朝日新聞の取材過程の適切性についての検証と、記事の根拠となった事実関係の真相究明を求めると同時に、記事となった「関係者」が本当に存在するのか、我々は大いに疑問を持っており、その根拠の提示を求めるものであります。

この指摘については間違い無く「確かな取材」と返答したのは間違いありません。ここについては例の「取材源の秘匿」で頑張られると予想しておきます。最後にBugsy様のコメントを紹介しておきます。

こりゃ血が出るな。もう後には引けんでしょう。

私も事態が圧縮されて臨界点に達しようとしている感触を持ちます。どうなるんでしょうね。