お掃除日記

今、部屋の掃除中です。
とりあえず押し入れの中を掃除したら、ほとんどのものがゴミになっている悲劇(汗)
PC部品の箱やら昔のアンチウイルスソフトのパッケージやら、とにかくゴミばっかり残ってた。
それでもまだまだたまっているので、頑張って整理していこう。。。



学者さんとばくちうちの差

はてブニュース経由でクルーグマンの話
このP.E.S.さんのエントリー、というか元になっているクルーグマン"It’s the stupidity economy"というエントリーは学者さんとばくちうち(経済学者と実務家というべきか)の差を如実に示しているいいエントリーだと思う。




P.E.S.さんとこのエントリーから翻訳文を一部引用させていただく。

しかしこの答えについて分かっておくべき大切な点は、期待が全てだ、という点だ。中央銀行は、流動性の罠を抜け出した後のインフレを実現するという事を人々に納得させることができてようやく期待利子率に影響を及ぼせるようになる。よってこの政策が効果を発揮するようになるには、(i)政策決定者にそれが正しい答えだという事を納得させ、(ii)十分に説得力を持たせて将来の政策決定者もそれに従うようにし、(iii)投資家、消費者、そして企業に(i)と(ii)が本当に実現したことを納得させなければならない。





実に正しいことを言っている。そしてこれがインフレターゲット論の限界でもある。




・・・って、マーケットの人間は十年前から分かっていることなんだけど、何で学者さんはそうじゃないのかねえ(うーむ)
「理論と実践は違う」というのは分かるけど、これは「どうやっていくか」という実践の話なんだからねえ。
#学者さんでも分かっているひとはわかっているし、マーケットに住んでても分かってないひともいたりするのは別の話。
#一応、このずれというのは個人的な肌感覚ということで。



もうちょっと詳しく話を続けてみよう

俺たちばくちうちに限って話をしてみよう。
でも、これってばくちうちなみなさまには当たり前すぎる話なので読む必要はないですが(激汗)




俺たちは投資をしている。株か債券か、はたまた他のスキームはともかく、単純にいうなら「誰かにお金を貸している」というわけだ。
大抵、貸した先のひとは「こうやって儲けて、十分な配当や利息をお渡しします」と言ってくる。
債券や貸し付けだったら証文まで入れてくる。




でもね、書いていることがすべてじゃない。時として投資先はいきなり条件を変えてくる。
それも大抵の場合、倒産したり、リスケしたり、要はこっちの資産にダメージを与えるようなことをしてくるのだ。
もちろん、一部の詐欺師を除けば、みんなはじめからそんなことをしようなんて思ってない。
みんな頑張って利益を上げて、きちんとした配当や利払いを果たそうとしてくれる。
それでもだめなときはだめなのだ。だからって「いやあ、だめでしたー」で許していいわけじゃない。
#少なくともうちんちのスポンサー様は許してくれない(汗)




だから俺たちばくちうちは証文ですらそのまま信じない。
財務諸表を読み、企業訪問を行い、市場調査を行い、その他諸々の調査を積み上げて「裏」を取っていくのだ。
これはリテールだろうとホールセールだろうとマーケットだろうと基本中の基本である。




これって、国債投資でも基本中の基本なのはいうまでもない。
というか国はいきなり条件変更を行って、しかも強制力を持っているから、ある意味もっと厄介な存在なのだ。
過去の歴史をひもといても「国に貸して大損こいた」実例なんていっぱい転がっている。
#江戸時代の大名貸しなんて昔から、最近ではアルゼンチンのデフォルトとか。




だからこそ俺たちは、しっかりとした「裏」を取っていく。
そこに「期待」なんてやわなものを入れていく訳にはいかないのだ。
金融政策も同様である。俺たちは中央銀行の公表文なんか盲目的に信用することなんかない。
いろんな分析を行って「実現される」ものしか信じないのだ。




だからインフレターゲットが機能するには、インフレターゲットが「強制力」をもって「実現できる」手段を彼らがもっていることが必要なのだ。
インフレターゲットで期待を変えさせる、という言や良し。
ただし、市場からの挑戦に対して対抗できる、すなわち「信じてなくてもそうなってしまう」、そんな手段を示さないといけないのだ。




・・・ってこの辺り、何年も前に「マーケットの馬車馬」さんが「金融政策議論の不思議」シリーズで触れられている議論で、非常にオーソドックスな議論であると思います。
ということで「今さら感」が強いというか、ほとんどオリジナリティーが感じられくてひねりが足りないので
いままで正面から議論しなかったネタなんだけど、たまにはいいか、ということで。



追記

本石町日記さんのtwitterからお越しのみなさん、こんにちは。
本石町日記さんには気に入っていただいたようでありがたいことなのですが、単なる「金貸しの基本」を載っけただけで
特に大したことを言っている訳ではないので、その辺りはごめんなさいです。
といいますか、個人的には最後に書いたようにほとんどオリジナリティーが感じられない、ひねりが足りない、しかもネタには走っていない、という
面白くないネタで本当に申し訳ないです。
#と思って、その次に書いたネタがあれかよ、という突っ込みは勘弁して下さい(陳謝モード)




まあ、マーケット外でまともな生活されている方々は、マーケットの人間がどんな思考回路をもっているものなのか、その辺りを知る手がかりにしていただければと思います。
#マーケット内の方々におかれましては、単なる駄文なので「はいはいはい」と読み流していただけれるとありがたいです。



補足

自分の文章を読み返してみたとき、多分経済学の立場からは気になるであろう一文について念のために解説しておく。

だからこそ俺たちは、しっかりとした「裏」を取っていく。
そこに「期待」なんてやわなものを入れていく訳にはいかないのだ。

ここでいう「期待」と言う言葉は、いくつかの意味を込めています。


(その1)
経済学用語としての「期待」ではなく、もっと一般的な意味においての「期待」。
どちらかと言えば単なる願望という意味。
#当然、そういった甘い考えは否定される。




(その2)
マーケットでは経済学用語としての「期待」と一般的な意味での「期待」を混同している(ことがある)、という意味。
まあ、確かにマーケットの一部に混同しているひとがいるのは確かだし、私も今回はあえてその辺りを厳密に区別して書く気はなかった。
それがマーケットの現実であることを知るのもいいのではなかろうか。




(その3)
そもそも金融市場のいう「期待」って何よ、という問題もあったりします。
この辺りの議論で一番有名な事例はケインズの「美人投票」と私は思ってますがどうでしょう。
実務の上で「期待」を取り扱うときの難しさというのは、我々マーケットの人間はしばしば「美人投票」の世界にいるということなのです。
不安定な状況下において「美人投票」の「空気」を追うべきなのか、それともファンダメンタルを追うべきなのか、
市場においてどっちが「やわ」なのか、これは非常に難しい。だって投資スパンというものもあるからね。
他にも各市場の調整速度(例えば金融市場は財市場よりも調整が早いだろうし、金融市場内でも株と債券では調整速度に差は出るだろうし)や、
当局の市場に与える影響度(当局はしばしな市場からの挑戦を受け、時として敗北したりしている)にも依るだろうし。
一応、ここでは(その1)の意味も含め、「願望的な弱い『期待』は入れないよ」として後段につなげてもらうように読んでもらえると助かります。
まあ、それを含めて考えての「合理的期待形成だ」と言われればその通りとは思うけどね。




いずれにせよ、別にここは経済学の厳密な議論をしようとしているのではなく、市場参加者から見た、どちらかというと「ひねくれたものの見方」を
紹介しているところなので、その辺りをご了解いただけると幸いです。