本日はお日柄もよろしく!?

ハローワークの担当の方があまりにも親切な対応で、おまけに同情までしてくださるので、不覚にも泣きそうになってしまいました。


今日はもう一つのいい出会い。

派遣社員をしていた頃の派遣会社の方に偶然お会いし、またまた愚痴を聞いてもらった上に、お慰めのお言葉まで頂戴しました。

仕事にはとても厳しい方だったので、愚痴など言ったら怒られるかなって思ったんですが…


なんだか周りの皆々さまのお陰で、徐々に緩んだ気持ちが締められつつあるような気がします。

まずはお酒を控えることから…

パーフェクト・ゲッタウェイ

「ハワイでの新婚旅行中のトレッキングで美しいビーチを目指すクリフとシドニーは,この辺にカップルを狙う男女2人組の殺人犯がいるらしいというニュースを耳にする.別のカップルと出会い,道中をともにする二人にかすかな不安がよぎる…」
かなり強引なミスリードがあるものの,後半の怒濤の展開のおかけでまっ,いいか的に
ハワイ,行きたいなぁ

HOUSE TRIBES

30年にも及ぶDJキャリアをもち、現在に至るまでに常にシーンのトップで活躍しており、今尚その影響力が絶大なDJ、DJ NORI。
‘79年、札幌でDJ活動をスタートさせ、‘86年に渡米。NYに拠点を移し、今や伝説となったクラブ、『PARADICE GARAGE』でプレイするラリー・レヴァンと出会い、彼とともに数々の人気クラブで共にプレイする。
ラリーとの交流を通じて親交を深めたアーティストには、ロフト創始者デヴィッド・マンキューゾ、さらにはウォルター・ギボンズ、ダニー・クリヴィット、ティミー・レジスフォード、リトル・ルイ・ヴェガ、フランソワ・K等錚々なる名が連ねられる。
80年代というNYのクレイジーな時代に存在した、前衛的な”PARADICE GARAGE”とラリー・レヴァン、そしてSOHOの外れで作られた音楽とカルチャーが、まさにそこから始まるという瞬間をリアルタイムで共存する。
‘89年、東京芝浦に伝説のクラブ『GOLD』がオープンした事をきっかけに帰国。レジデントDJとして活躍しつつも海外での活動は続ける。
イタリア/リミニにてi-Dマガジン・オーガナイズによるパーティー、『NY.SOUND FACTORYBAR』、『UNDERGROUND NETWORK』、『CAFE CON LETCHE』等、現在までに国内外を問わず出演したクラブの数は数え切れないほどである。
現在、11年に渡りレジデントを務めている青山LOOPの水曜日(smoker)ではDJ FUKUBA、高橋透のほかにロード・G、ハーヴィー、キム・ライトフットなど、音楽で会話し、リスペクトし合えるゲスト達が出演。
‘05年には上海のクラブ、『BLOCKGO』でそれを再現した。‘98年に青山CAYで始まったパーティーではDJ NORI,FUKUBA,長谷川賢司、ALEXの4人のDJによって独特なフリースタイルでライブなパーティーを生み出す。
‘05年4月よりTOSHIYUKI GOTO,KATSUYAと共に新たなパーティー(VOYAGE)を西麻布YELLOWで開催。YELLOWのクローズに伴い休止するも、渋谷に新たにオープンしたスペース『micro cosmos』にて新たにパーティー『Fun House』をスタート。
‘06年12月22日、その長いキャリアの中で予想外に初となるMIX CD『DJ NORI LIQUID LOFT MIX 1』をリリースする。そして、2009年2月7日には、新木場『ageHa studio coast』にて30周年を記念したイベントが開催。
JOCELYN BROWNを始め、本人と縁の深い仲間たちが駆けつけ盛大に祝った。‘79年に始まった彼の音楽に対する深い愛情、選曲に対する真摯な取り組み方、新旧織り交ぜた時間の隔たりを感じさせない独特の世界観とそこから生まれるグルーブ感は、
今も尚、世界中の世代を超えたオーディエンスを魅了し、多大なリスペクトと絶大な人気を誇っている。

投資と消費の違い

私は人間として全然まだまだ出来ちゃいないけど
いつもワクワクしてる人で将来もいたい
見知らぬじいちゃんばぁちゃんとも笑ってられる世の中がいいなと思うなー
その時には友達や家族といっしょがいいし
旅は一人じゃつまらないしショッピングも一人なんてヤダ
おいしい料理もみんなで

そんな夢があるから


今から

二十年後くらいはみていたいな



ッて感じた

マイミクの皆や出会えた友達と皆でバリとかハワイとか旅行したいな
いっぱいユカやよっしーんとこもいけるようになりたいね



20代アゲテきまショー

みんなの力

ここに来てから、ずっと、理不尽で横暴で、まともな話が通じない上司のもと、頑張ってきた。


納得いかないことばっかりだったし、もっと良い環境にしてあげたかったけど、辞めなかったのは、出会った子どもが可愛すぎて、離れたくなかったから。



でも、大事な仲間が次々に、泣きながら去っていき



ついに、その人の存在があるだけで、私の支えになってた子までが、傷ついて辞めて



年下の子も守れないことに嫌気がさして
「もぅ、いくら言ってもだめなのかなぁ」って、

無力な自分が悔しくて



悶々としていた



でも今日、たくさんの人達が、子どもの為、頑張っている人のため、弱いものを守る為に、一緒に戦う姿勢を見せてくれた。



なんか。。


自分がやってきたこと、間違ってなかったんだなぁ

1人じゃないんだな。

Liar!Liar!

ネットに氾濫する情報も含めて、自分の物差しをきちんともたなければと思うものの、ではその物差しをどうやって作り上げていくのか。いろいろ考えたものの、やはり基本に戻って、これは外に出て現場に出るしかないという結論に達した。

今年はあちこち飛び回りながら、いろんな人との出会いの中で、見聞きしながら自分の物差しを作り上げる年にしようと思う。