ムンバイ3泊5日

16日(土)から用事があってムンバイに行ってました。
ワルダーの日本寺と同じ宗派のお寺がムンバイにもあって
そこである法要に、お寺でお仕事されてる方と
そのお寺のお世話をされてるご夫婦に同行させて頂いた。


インド各地からはもちろん、日本を含むインド以外の国の
日本寺から、たくさんお坊さんや尼さんがいらしていて
大きな催事だった。


ワルダーからムンバイまで、エクスプレスの列車で約12時間。
16日の夜は列車の中で寝て、17日の日中、お寺で法要に参加、
その後、ワルダーの学校で知り合った学長の娘さんご家族のお宅が
ムンバイ郊外にあって、前々から遊びにくるよう誘われていたので
お言葉に甘えて訪ねてみた。


学長の娘さんは建築士の旦那さんと10歳の息子さんと3人家族。
彼女自身は大学の講師。
専門はインドの女性差別問題で、彼女に会うと現代インドがどういう問題を
抱えているのかをわかりやすく教えてくださる。
料理がとっても上手で、今回も私の大好物のグリーンピースを使った
プラーオ(インドの米料理のひとつ、チャーハンみたいな感じ。)を
作ってくださった。
息子さんが学校があるので、遠出することはできなかったけど
緑豊かで治安のいい家まわりを散歩したり、
夜近所であってたお祭りを見に行ったりして、
インド的アーバンライフをほんのすこし体験。
会員制のクラブハウスとかあって、ハイソサエティーな感じ。
ムンバイ郊外にあるこの高層マンションが建ち並ぶ住宅街は、近年、
もともと山があった場所を開拓して造られているため、都市計画に基づいた
きれいな景観はとっても都会的。


彼女のうちに2泊させてもらった後、19日の朝、そこからさらに
中距離バスで3時間移動、ワルダーから同行したご夫婦の娘さん宅を
訪ね、先に着いていたご夫婦と合流。
旦那さんの仕事の関係で工業地帯の社宅に住まわれていて、
10キロ走ると海があるそう。
魚市場で魚を買ってきて、数々の魚料理をひさびさに満喫。


そのお宅で1泊させてもらい、翌日午前中、またムンバイ市内のお寺に
戻ってお坊さん方と昼食を一緒に頂き、午後ムンバイ市内をひとりで
ぶらぶらし、夕刻、夜行列車に乗って、翌朝ワルダー着。

学長の娘さん

学長の娘さんから今回もいろいろお話を伺うことができた。
たとえば、カースト問題、ヒンドゥー教には4つのカーストの中に
それぞれさらに細かい“ジャーティー”と呼ばれるものがあって
属性がきっちりと決められているんだけども
異なるジャーティー同士は結婚するのが難しくて、
じつはうちの学校の寮生たちの生活係をしている男性のとこの娘さんと、
学内の庭師さんとこの息子さんが恋人同士だったんだけど
カーストが異なるために互いの両親とも結婚に反対、
その結果、庭師さんの息子は服毒自殺してしまったらしい。
5、6年くらい前の話。
生活係の人も庭師さんもよく知っている人なので、ショックだった。
ちなみに飲んだ毒物は蚊取り線香のリキッドタイプのものだったらしい。


ほかにも極端に男女の出生率に差がある地域があること、つまり
女子を望まないために生まれたわが子の命を奪う地方があること、
女子に十分な教育を受けさせない習慣がいまだにある地方や人々のこと、
インドでの離婚率が都心部を中心に増えていること、などなど。
彼女は日本の女性のあり方について関心を持っていろいろ質問されて、
逆に私は日本の環境がわりに恵まれていることを知った。


私が彼女のうちを発つ日、わかりづらい中長距離バスターミナルまで
わざわざ見送りに付いてきてくれた。
別れ際に握手をしたとき、私の頬にキスして
“I like you.”と言った彼女の目が涙で潤んでいた。
その涙のわけははっきりとはわからないけど、
でも、強くて賢い彼女もやはり、古い因習を手放さないインド社会の中で
闘いながら、苦しみながら生きているんだろうと思った。
私もムーミンママのような、賢くて愛情たっぷりの彼女が大好きだ。

ワルダーで出会った何人目の日本人?

ムンバイからワルダーに戻り、お寺でお仕事してる方と一緒だったので、
お寺のゲスト用の毛布2枚を借りて帰った。
ワルダーの私の部屋には毛布が1枚もなかった。


お寺に私と同年代の日本人女性が宿泊していた。
彼女もインドのあちこちを日本寺を周るような格好で周遊していた。
でも観光とは違って、孤児院やらハンセン病患者のコロニーを訪ねて
滞在したりしているようだった。
いろいろ面白い話や興味深い話が聞けてよかった。
私もひさびさによく喋った気がする。


意外とこの片田舎のワルダーで日本人に出会うものだ。
でもいつも日本寺を通じて知り合う。
日本寺、いろんな意味ですごく機能しています。