045高田保馬と佐賀北高校校歌

高校野球の準決勝で佐賀北高校長崎日大高校に3:0で勝ったとのこと。またあの校歌が甲子園に流れたことになる。
19日には日曜日であったため準々決勝の帝京高校戦を見ていた。延長戦を制してサヨナラ勝ち。校歌が流れるときテレビには歌詞と作詞者・作曲者の名前が出る。作詞者に「高田保馬」とあった。あの高田保馬と同一人物だろうかと思ってネットで調べると,あの高田保馬にまちがいない。高田は佐賀県小城郡三日月村(現・佐賀県小城市三日月町)出身だった。生年は1883年というから,マルクスが死んだ年,ケインズシュンペーターと同じ生年だ。ウィキペディアには「佐賀県内の多くの学校の校歌の作詞も手がけている」とあった(http://ja.wikipedia.org/wiki/高田保馬)。さらに,高田の生家が保存されており,ある観光ガイドに「高田保馬生家」とあった(「みんなで作るおでかけガイド」http://odekake.jalan.net/spt_41362aj2200131814.html)。今度佐賀に行くことがあったらぜひ行ってみようと思う。
校歌を有名人に作詞・作曲してもらうというケースは多い。ユーミンも長崎の五島列島奈留島にある県立奈留高校の愛唱歌「瞳を閉じて」を作った。評者にこれまで一番インパクトがあった校歌は盛岡一高の校歌だ。同級生に盛一(もりいち)出身者がいた。メロディーは「軍艦行進曲」。「正調」の「軍艦行進曲」とは微妙に違うが,99年前に制定されたというから歴史がある校歌ということになる。40年ほど前(1968年の第50回大会),盛一が甲子園に出て一回戦に勝ったときこの校歌が流れ,スタンドがどよめいたという。
さて,準々決勝の今治西広陵戦もテレビ観戦した。残念ながら今西(いまにし)は負けてしまったが,蛍雪章の校旗が風にはためいていた(本ブログ「アダム・スミスとAuld Lang Syne」https://akamac.hatenablog.com/entry/20070323/1174630125)。