783ユルゲン・ハーバーマス著(三島憲一・鈴木直・大貫敦子訳)『ああ,ヨーロッパ』

書誌情報:岩波書店,vi+290頁,本体価格2,900円,2010年12月21日発行

ああ、ヨーロッパ

ああ、ヨーロッパ

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2年積ん読本をようやく読み終えた。コミュニケーション論をかつて読んで以来久し振りのハーバーマスである。
ヴォルフガング・アーベントロートリチャード・ローティジャック・デリダ,ロナルド・ドゥウォーキンへの「ポートレート」,本書の主題に連なるヨーロッパ統合の問題点と可能性について言及した部分,民主主義社会とメディア公共圏を論じて「熟議的民主主義」とトランスナショナルな公共圏への道を志向した部分から成っている。
ローティを偲んだ文章では,他者の視点でものを見ること(「視点取得」)が人間と霊長類とを区別する能力であることを確認し,デリダを論じた箇所では「カントのような著作家に対する哲学的な関係」(68ページ)に共通項を見いだし,ハイデガーへの態度において異質性を抽出している――デリダは「レヴィナスに見られるようなユダヤ教的影響を受けた視点から」(同上)ハイデガーを受容し,ハーバーマスは「30年代にニーチェを,当時の流行であった新異教者としての姿そのままに受容した」(同上)ゆえにハイデガーを突き放す。また,ドゥウォーキンにたいして「極端な敵に対してもなお討議による対決の糸を断ち切ってしまうことなく,あくまでコンセンサスを求めて介入しようとする民主主義的精神のあり方」(86ページ)を高く評価している。
ヨーロッパ統合については民主主義国家,シヴィル・ソサイエティ(本訳書は一貫してカタカナ表記を使っている),自立した下位文化という3層構造から絶えず問題となる普遍主義と個別主義の問題に迫っている。そのうえで「民主主義的な意思形成における熟議的かつ包摂的な手続き」(117ページ)の必要性を確認し,「政治的な意味での欧州連合は,住民たちの頭越しにエリートたちの構想として実現したのであり,今日にいたるまで民主主義という意味では欠陥を持ちながら機能してきた」(134ページ)とみる。ハーバーマスのかねてからの主張――税制,金融財政政策,社会政策の加盟国間の調和――が繰り返されているのはいうまでもない。
公共圏を問う最後の部分では,近代民主主義の制度的枠組み(市民の私的自律,民主主義的な国家公民権,独立した政治的公共圏)と公共圏の権力構造(政治権力,社会的権力,経済的権力,メディア権力)の分析から EU にヨーロッパ規模の公共圏の欠如を見いだし,「超国家的な公共圏を作り上げることにあるのではなく,すでに存在しているナショナルな公共圏のトランスナショナル化」(241ページ,「トランスナショナル化」に傍点あり)を展望している。
「熟議」を唱えたある国の政権党は一気に野党に転落した。ハーバーマスの熟議どころか「半熟議」「反熟議」が招いた結果である。民主主義を支える熟議と国民国家を越境する熟議の必要性はヨーロッパだけではない。