keyword:「新井素子」を書き直す。

はてなキーワードに「新井素子」が登録されているのはこの日記を読む方ならご存知だろう。俺も編集に参加したこのキーワードを先日読み返していたら、著書のISBNが間違っている処を発見した。俺のミスである。で、直すついでに映像化された作品のASINコードを追加したり雑然としたリストをもう少し見やすくできないものかと手を入れている内に解説の文章を少しだけ詳しく書いてみたくなったのである。エキサイト・ブックスの「現代作家ガイド 新井素子」を読んで、新井素子さんのプロフィールについて改めて考察してみたことの余波であると思う。以前リライトした時(id:akapon:20040214を参照)はなるべく客観的に記述するように務め私見を書くのは控えた。それに比べ今回は自分の意見が反映された記述を増やしている。とは言っても新しい見解を示すことができる程見識に富んでいる訳でもないから、もう少し突っ込んだ方がよかろうと思った処を従来の説を引きながら補完した程度だ。分量についても僅かである。これらの記述については諸兄にご批判を請う。
一つ自分がもの知らずだなあと思ったのは「待ちわびる」という言葉の意味である。前回はこのように書いていた。

寡作ではあるが次作を待ちわびるファンも多い。

待ち遠しくて首を長くして待っている、という意味合いで書いたつもりだったが、『広辞苑』で意味を調べたらこんなことが書いてあった。

待ちくたびれて待つ気力を失う。来るはずのものがなかなか来ないので気を揉みながら待つ。

待つ気力を失ってしまっては困るのである。二つ目のセンテンスの意味はまさに俺が表現しようとした状態であるし、『岩波国語辞典』第六版にも「気を揉みながら待つ」と書いてあるので間違った使用法ではないと思われる。しかしこういうマイナスの意味合いを一度知ってしまうと、どうにも使うのが憚られる。もっと無難な表現にした方がよくはないか。そんな自分の弱気さを疎ましく思いながらも書き改めることにした。

執筆中に物語が予定を超えて長くなったり、納得の行くものが書けるまで何度でも書き直しを繰り返すという創作姿勢のため、最近では新作小説の出版間隔が長くなる傾向にあるが、それでも首を長くして次作を待っているファンも多い。

冗長だろうか。まあいいか。
♪待ち〜わび〜て〜という歌があるが、あれではどんな意味合いで使われているんだっけ。最初の部分しか歌詞を知らないのでよく判らない。

『教科書には載らないニッポンのインターネットの歴史教科書』に新井素子さんの名前が。

どうやら登場しているらしいというのをid:kuriyamakouji氏の日記で知る(id:kuriyamakouji:20050605)。この本には興味を持っていたのでいずれ読んでみようとは思っていたのだが、これで読まない訳にはいかなくなった。2499円か。む〜ん高いな。まずは図書館を捜してみよう。

W杯アジア最終予選、日本代表対バーレーン代表戦。

1-0で勝利。これであと勝ち点1獲れば予選突破。この試合では中田英寿、中村、アレックスがイエローカードをもらい、次の対北朝鮮代表戦は出場停止になってしまった。それでも代わりに誰が出ようが今の日本代表ならチーム力が極端に落ちることはほとんど無いと思われ。くれぐれも油断だけはしないように。
ジュビロ磐田勢では福西、田中、川口能活がフル出場。福西はこの間のキリンカップと同じような役回り。ボランチの相方である中田英寿が自由に動き回るのをフォローし、前戦へのボールの供給と相手の攻撃の目を潰す仕事をやり遂げた。向こうのエースであるサルミーンを交代に追いやったのは、確認していないがやっぱり福西だったんだろうか。流石の活躍である。田中のフィードはいつもながら攻撃の起点になるものが多い。小笠原の決勝点に繋がるパスは、あれは田中が起点だった。守備での安定感も誠に頼もしい限り。能活は前目に出ていた処に頭上を破られたやばすぎるミドルシュートが一本あったが、ポストに当たってくれたのは超ラッキーだった。スローで見るとボールに下から触っている。それが弾道を変えたかどうかは微妙ではある。微妙ではあるが能活の功績ということにしておこう。
茶野はやはりベンチにも入っていなかった。