時間
私は、その頃産まれた子が小学校を卒業するぐらいか、暫く前に病気をした。
5年ぐらい前、考えることを必要とする場面があったが、全く頭が働かなかった。
大学生のころのピヨピヨはどこかに行ってしまった。
今は、ブログで書きなぐる程度には回復したが、頭の中がサーと地平線が見えるような感覚?は再現できない。限界。
病気をしなかった私を考えでないでもない。
と、母にボソッと言ったら、母にしても××した自分を考えようにも、比較の仕様がない、だったっけか。
病気をしなかった自分の課題なんて、した自分にとっては、全く想像ができないというか、ただの妄想の範疇である。
IFではあるが、もしかして大学に残れたかなと考えても、根拠はなく、ただの妄想で考えるだけ無駄。
なぜ考えてしまうかというと、暇だからだ。
本当に絶望の底にいるのなら、動いて浮上するしかないので、死力を尽くして動いているだろう。
って、病気の時って動きようがないので、本当に、頭の中がもにょもにょになっちゃうのよね。
悪い妄想ばっかり。
でも、動いたら、案ずるより産むがやすしというか、よく分からない局面が動いたりもする。
夜と霧とか、ヨフセフか。現代のヨブ記か生きがいについてか。
本当に苦しいものにあった人しかその境地で生き延びる考えは実証されなくて、で、私、夜と霧、父の書庫にあって読んだはずだか全く記憶にないというか、生きがいについても4回は読んだけど、論理に全く覚えがない。
強制収容所から出られるというぬか喜びが繰り返され、消耗していって、死んでしまう。
半端に希望にすがるとヤバいんだったけか。動じない心というか、いや、も一回読み返してみようかというか
ヨフセフはローマ帝国に滅ぼされたユダヤの王国の人で、ユダヤの歴史はヨフセフが残したからの残っているのであってそれ以外は全滅、ヨフセフはローマ帝国下で、裏切り者ぽく残ったのだが、時間がたてば自分の正しさが証明されると考えたのか、どうか?
橋本治の子供のころの夕焼け空に感動した覚えがあれば、その後に苦難に耐えられる(耐えると思い込むしかない?)ぽくも、
現在の苦境を、時間によってずらした状況の想定で、消耗を抑えるのか。
希望は絶対に実現可能なこととして考えないと、裏切られた時のダメージが大きいのか、
と、最近、中動態の本が出たんだか、シンデレラボーイ・シンデレラガールでもいいんだか、
自らが動くことと、状況を受け入れることのバランスが取れる、ストレス少なくする方法はどうよってか、
希望の目標設定は、どの程度「すがる」ものなんだろう。
まあ狂信となったら、周りはともあれ、本人は石を投げれた痛みを中和する方法ではあろうで、実現可能性が低そうなものを低いままで耐える人生って、つらいから、人生は楽しむものではないというのも分かるんス。
受け入れがたい現実を受け入れる/拒否る/無視る、の選択を選び、その選んだ思想で生き残る人は、その後の人生に対する意欲をそがないというのはどういうことか。
主体的に生きるというのは贅沢なことなんだろうか?