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大筒300門

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オーストリア・ウィーンの軍事史博物館で、江戸初期に日本で造られた青銅製大砲の所在が確認されたことが、1日までに分かった。貴重な大砲だが、1918年の第1次大戦終結後から存在を忘れられ、同国国防省のペッヒャー准将が昨年末、約100年ぶりに同博物館の倉庫で見つけた。

ウィーンの軍事史博物館で見つかった江戸初期のフランキ砲=共同
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ウィーンの軍事史博物館で見つかった江戸初期のフランキ砲=共同
 大砲は砲身後部に火薬を詰めた子砲を装填して砲弾を発射する「フランキ砲」。全長約2.1メートル、口径約5センチで、「慶長十五年筑前国」(1610年現福岡県北西部)と刻印されていた。

 銃砲の歴史に詳しい大分県臼杵市教育委員会の神田高士文化財研究室長は「日本製のフランキ砲で現存が確認されたのは約10門だけ。製造年が記された実物は初めてで、大変貴重だ」としている。

 博物館によると、有効射程は200メートル程度とみられる。後部に球状の飾りがあり、神田室長は日本でフランキ砲の製造を開始した戦国大名大友宗麟の砲の特徴と指摘。「大友氏の下で大砲を鋳造し、後に徳川家康に仕えた渡辺宗覚の手による可能性がある」とした。

 欧米に派遣された岩倉具視を正使とする使節団の「米欧回覧実記」によると、1873年にウィーンのオーストリア皇帝の武器庫に「5年前に日本から贈られたという銅製の大砲が一門」あったとされる。明治維新ごろにウィーンに持ち込まれたとみられる。

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