君と僕の今日1

日記を書きます。
今日は金曜日。いつものように二限目に五分ぐらいの中途半端な遅刻を予定して、ブラブラと校内を歩いていた。この半端な遅刻は、僕の本質を表しているみたいで嫌悪を催すが、それでももはや恒例となっている。
きちんと時間通りに行くわけではなく、かと言って大遅刻をかますような事もしない。宙ぶらりん。そのくせ自分ではまるでその五分を「余裕」であるような態度で歩く。僕が第三者で、この心の内を見抜いていたなら。その手で掴める限りの石を投げつけてやりたい。
そんな事を思いながらも、それを思っている事自体も余裕を見せる演技なのだろうな、などと思う。もちろんすぐにどうでもいいやと投げ出す。空はどんよりと灰色の草原。ああ。
何もかもが中途半端な一日の始まりだった。
目の端に君が写った。灰色の世界の中に、彩。そうだった、君はこの時間、持て余した時間を埋めるべく、校内のどこかを漂っているんだった。それに会えた僕は、自分の遅刻を偉業のように感じ、君には笑顔を向けた。
「おはよう、あー、遅刻やわ」
「ホンマや、遅刻やん」
僕の笑顔は真っ直ぐにひまわり。初冬だろうが、君を見つけて大輪の花。
君の笑顔は虚ろげにすずらん。どこか、寂しげ。
別に怒ってるような様子は無かった。元気が無いようでもない。僕が君とただの友達なら。後輩と先輩と言うだけの関係なら、笑顔の隅にそっと浮かぶ陰に気付かなかっただろう。
「ほらほら、はよ行きや」
君が促す。あ、うん。そう言って、僕は一歩を踏み出してしまった。それで、タイミングを逃した。君は笑って手を振る。でも、何か変だろ? 僕にだけ分かる少しだけの違和感。でもその違和感は道端の雑草みたいに、見逃してしまいそうな少しだけの違和感。『どうかしたん?』そんな言葉は、そこまでは変じゃない君の笑顔に押し殺されて、喉の奥に消えた。
君がくるり、後ろを向いて歩き出す。僕もくるり、授業へ急ぐ。
中途半端な気分の中途半端な一日は、この時、本当に始まった。
つづく。

君と僕の今日2

時間は早送り出来る。つまらない授業は教室の隅で睡眠ワープ。あっと言う間に「今日はここまで」だ。今日は特に早かった。授業が早く終わった理由が睡眠不足ってのは正論なのかどうか、僕は眼を擦りながら考えた。隣に居た友人には、おでこが真っ赤になっているのもあったのだろう、「アホ面」とだけ言われた。
友人に別れを告げた後、僕はトレーニング室へと向かった。今月から始めたばかりで偉そうな事は言えないが、週に三回ほどトレーニングを続けている。理由は健康維持、と君には言っている。本当の理由が、裸で抱き合っている時に君に腹の肉を掴まれたからだなんて、言えるわけがない。
誰も居ない地下のトレーニング室は冷え切っていたが、それでもどこか暑苦しい。普段アメフト部なんかがトレーニングしているイメージが焼きついているからだろう。心頭滅却すれば火もまた涼しくなると言うのは、あながち嘘ではないのかも知れない。
僕は一人、トレーニングを開始する。それは、肉体的には辛いが、ありがたいほどに楽な作業だった。
ずっと、君の笑顔が心の中に浮かんだままになっていた。いつもの、僕に心の平穏を与えてくれる笑顔じゃない。それは朝会った時の、あの中途半端な笑顔。
僕は揺れていた。ただの思い過ごしかも知れない、と、思いたい笑顔。でもそんなわけが無いのは分かっている。僕は君に関して、そんなに無知じゃない。だから君の笑顔は、心にひっかかったまま、僕を揺らしていた。何か『大丈夫な証拠』を探して安心して、それを壊してまた不安。波のように。
そんな状況で、複雑な作業は出来ない。考えるなんて難しい事は出来るわけが無い。だからこそ単純なトレーニングは、一瞬にしても、僕に平穏をくれた。単純作業は、きっと悪い事じゃない。
でもそんな平穏はやっぱり虚像なのだ。現実を前に、一瞬で消えた。
「あれ、先輩、練習してるんですか?」
同じ部活の後輩の声だった。雨でグランド使えないんでトレーニング室で部活やるんスよ。彼はそんな風に続けた。
君は、部活のマネージャーだ。部活をトレーニング室でやるんなら、きっと、君もここに現れる。
君に会いたくない時なんて、一瞬たりとも存在しなかった。でもこの時、初めてその思いが半分だけ湧いてきた。同時に会って確かめたい気持ちも半分。だけど、半分半分で綺麗に割れた心が混乱をもたらす前に、君はやっぱり姿を現した。
僕は無理矢理なテンションで君に話し掛ける。あれ、来たんやぁ。分かってたくせに。トレーニングの補助してやぁ。そんな事望んでないくせに。そうや、トレーニング一緒にしよっか。なんでだよ。
自分でも嫌になるような無理矢理な会話は、冷たくて暑い部屋に響くだけだ。君の心には響かない。
君は朝に見せた笑顔を僕に向ける。ねえ、なんでそんな顔してるんだよ。本当に口にしたい言葉は、それだけ。でも出てくるのはいつも違う言葉だけだ。
別に無視してるわけじゃない。僕のジョークで君が笑う。でも笑うだけ。そこで終わり。何も続かない。それは狂った僕のフィルターを通せば、終わって行く僕らの姿を想像させた。
乾いた音を立てる歯車が、噛み合わないままゆっくり回る。そんな時間だけが過ぎていった。
レーニングを終えた僕は、お先、とだけ言い残して、更衣室に逃げた。逃げた。吸える空気が欲しかった。後ろで君が、お疲れ様でした、と平坦に発音したのが耳に残った。
着替えを終えた僕は携帯電話を取り出して、ボタンを押した。メールなんかで気持ちは伝わらない。そんな事を恥ずかしげも無く言っていた男の滑稽な姿だった。雲か霞のように掴み所の無い気持ちを、少しでもかき集めて小さな液晶の中に押し込めてゆく。
『今日、なんか変じゃなかった? 目とかあわせてくれへんかったし。俺、なんかしたか? もし俺の事嫌いになったんやったら、悲しいけど怒ったりせんから、ちゃんと言って欲しい。どっちかの「好き」が消えてんのに別れへんのは、どっちにとっても不幸にしかならへんし』
送信ボタンを押す指が震えた。でも確かに、僕はそのボタンを押した。
『送信中です』液晶画面に浮かぶ。
時間は早送りが出来る。つまらない授業は寝ていればあっと言う間に終わる。でも、巻き戻しは出来ない。絶対に。
『送信完了しました』
つづく。

君と僕の今日3

それから一時間三十六分待っても、返信は無かった。早送りできるはずの時間は、まるで歩くのに疲れたように、ゆっくりしか進まなくなった。音楽はどこか遠くで鳴り、テレビはいつにも増して下らない。そんな時間を、僕は数分ごとに携帯のメール通知が届いてないかチェックする事だけで過ごしていた。
そろそろ部活も終わる。君がもし部活中に携帯を持っていなかったのだとしても、もうメールを見ているはずの時間だ。そう思った一時間三十七分後にもやはりメールは届かなかった。だが、代わりにドアをノックする音が、それまで無意味なだけだった部屋に響いた。
「入っていい?」
なんで。また浮かんだその言葉はやっぱり口にする事が出来ず、僕はドアの外に立っていた君を中に入れた。なんで。普段連絡も無しにいきなり部屋に来る事なんて無いじゃないか。なんで。いつもと全然違うじゃないか。なんで。なんで。
なんで、そんな泣きそうな目をしてるんだよ。
僕は自分の送ったメールを思い出す。その中に、君とのメールで使った事の無い文字が妙に目立っていた。『別れ』モノクロ映画の中に真っ赤な服を来た少女が立ちすくむように。その言葉は、無機質な文字の中で唯一、鼓動を響かせていた。
僕の送ったその言葉の返事を、君はしにきたんだろうか。なんで、メールじゃなく。なんで、直接会いに来た。答えは考えたくないが、自然に浮かんでくる。『別れ』浮かんでくるたびに消し去ろうとする。それでも、消えない言葉。
「どうしたん?」
しばらくの無言が続いた後、僕はようやく口にした。圧し掛かる空気を伝わって、その音が君のところへ届く。君は泣きそうな目をしたまま、俯いていた顔を上げた。
もちろん、これから何を言われるのかと思うと、怖くて仕方が無かった。だけど、僕が先に口を開こう。もしかしたら、君に送る僕の最後の優しさになるかも知れないのだから。
「何でも話してや。ちゃんと聞くし」
君が口を開く。でも溢れて来たのは言葉じゃなく、涙だけだった。君はその涙を隠すように、コタツの隣に座っていた僕の胸に顔をうずめて来た。
僕は遠慮がちに君を抱きしめ返す。君は何も反応せず、ただしゃくり上げるばかりだ。
僕はまだ、君を抱きしめていいのか? もしそうなら。
遠慮がちに伸ばしていた手を一度解き、もう一度抱きしめる。強く。強く。「抱きしめたい」その思いが君に伝わるように。
君は顔を胸から肩に移動させ、やっぱり無言のまま泣き続けた。僕は君を抱きしめ、時には髪を撫でながら、君の言葉を待った。やがて、しゃくりあげる声が小さくなり、君はポツリと言った。
「ごめん」
耳元でビブラート。
「ええよ、泣きたい時は胸ぐらい貸したるわ」
僕は冗談みたいに言う。だけど、彼女は笑顔一つ見せずに、首を振った。
「違うねん。泣いたんもごめんやけど、いつも迷惑かけて、ごめん。ホンマに、この頃自分で自分がイヤでしゃーないねん。前にも言ったけど、純の事束縛するつもりなんて全然無いし、他のコと遊びに行ったりしたっていいよ、って思ってるねん。ホンマに思ってるねん。やけど、実際には他のコと喋ってるの見ただけでも嫉妬してまう。なんで…って思うけど、束縛せぇへんとか言っといて、妬いて、それで不機嫌になったり、迷惑かけて。もうホンマ最悪やん。自分がこんな性格やなんて思って無かったのに」
君は時々しゃくりあげ、涙を拭きながら、自分を責め続けた。
胸が痛かった。「しっかりした考えを持っているが、実際にはしっかりしていない。そのギャップに将来苦しむ事にならないだろうか」だなんて、以前ネットに書いた事がある。そこまで分かっていながら、なぜ気付いて上げられなかったのか。ならないだろうか、だって、何言ってるんだ。今まさに僕の目の前で苦しんでいたんじゃないか。
僕は君にとっては初めての彼氏だ。君はそれまでの十九年間、自分に対して高い理想を掲げてきたのだ。それが実際の自分とのギャップになって、自己嫌悪に繋がった。当たり前の事なのに、それを拒絶したがった。なんで、分かって上げられなかったんだ。
謝りたかった。だが、今謝る事は、君を責める事と同義だ。僕は謝る代わりに、気持ちを吐き出し終わってまたしゃくりあげる君の髪を優しく撫でた。
「なあ、俺の事好きか?」
唐突に僕は聞く。君が小さくうなずく。
「俺も好きや。なら、まだまだ、ずっと付き合って行けるやん。Coがしっかりした考え持ってんのは知ってる。でもな、理想の自分になんて、今すぐなれるわけない。時間はあんねんから、今の自分がイヤや思うんやったら、その間に理想に近づける努力したらええ」
「でもそれじゃあ純に迷惑かける」
「それが一番の間違えや。迷惑なんて思った事一度もあらへんで。それどころか、すげぇ力もらってんねやから」
「じゃあ、こんなウチでも嫌いにならへん?」
「当たり前やんか。もっと俺を信用してええねんで。Coが思ってるより、ずっと俺はCoの事好きやから」
それでもまだ自分を否定しようとする君に、僕はありったけの言葉で気持ちを伝える。きっと君は僕に守られるだけの自分なんて嫌うだろう。でも、苦しい時は人を頼ったらいい。僕を頼ったらいい。誰にだって弱い時はある。弱いとこはある。君のそんな弱さを、守るのは僕だ。強くなる努力はすればいい。でも今すぐなんて誰も出来ない。だからそれまで、いくらでもそばに居て、守ってあげるから。
君はようやく泣き止み、ほんの小さな笑顔を見せた。でも今朝見た違和感のある笑顔じゃない、いつもの、僕の好きな君の笑顔。
「さあ、そんならメシ食いに行こか! 泣いたら腹減るやろ!」
僕がそう言って立ち上がろうとすると、君が袖をひっぱって、僕を止めた。
「ありがとう」
「おう」
僕がそう答えると、君は少し俯き加減で、思い出したように言った。
「そう言えば、最近な、幸せそうなカップルとか見ても、きっとウチの方が幸せやなーって思うねん」
思いっきり照れながら、君が満面の笑顔。
僕がどれだけ言葉を重ねても、君の笑顔と言葉に一瞬で負けてしまう。ちくしょう、大好きだ。
僕は君を抱き寄せ、思い切りキスをした。さっきまで泣いていた君の唇は、少ししょっぱかった。


はい、結局原稿用紙十五枚分もかけたノロケけでした、って言うね。
でも、本気で振られると思った。嫌われては無い感じやったんで、他に好きな人が出来た、とかで。そういう事思うってのは、僕も彼女を信じ切ってないって事で、僕が彼女に言った言葉は自分にも言って聞かせよう。僕は彼女をもっと信じていい。彼女は僕が思っているより僕が好きだ。
ちなみに日記ですので、セリフとかは覚えている限り完全再現しております。
最後の方の自分のセリフとか、文章にしたらすげぇはずかしい。実際は関西弁のイントネーションも相まって、そこまで臭い感じでも無かったのですよ、マジに。