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2016-12-11

実有から仮有へ

教えて、お坊さん! 「さとり」ってなんですか
色の世界のことはかまわなければいい、読んでたら「なんくるないさ〜」って聞こえてきました(笑)

P150
堀澤 枠の中にいる限り、人間の発想の仕方っていうのは、どうしたって損得打算に縛られ続けてしまう。生物っていうのは、みんな自己保存の本能があるから生きているという事実があるんだ。それがなければ死んでしまいますよ。あるいは滅びちゃう。それが生命なんだな。自分だけが良ければいいなんていう考えはけしからんと思ってしまうけれど、それは生命としては、ある意味当然なんだね。・・・「色」(実有)の世界は相対関係だから。そこには「自」と「他」っていうのがかならずあるわけだ。だからその世界で好きなものを手に入れるとなると、我勝ちに取ろうとするんだね。取るものがなくなったら、相手のものを奪う。・・・そこから出なければ、争いを根本的に止めることはできない。
 お釈迦さまの出家動機もそこにあったんだよ。人生は「苦」だと。生老病死、どれを見ても「苦」だと。こんな「苦」の中に生きている人間っていったいなんなんだと。・・・そういう大疑問を持ったところから彼は出家していったんでしょう。そして最終的には見事に解脱した。菩提樹の下でさとったときは、お釈迦さまは、生老病死を苦しまない人間になっていた、ということだね。

小出 生老病死それ自体は、いくらお釈迦さまでもあるんですね。でも、一度「空」を通ったのちは、もうそれが問題にならなくなっていた。

堀澤 そういうこと。肉体を持つ人間として、生老病死そのものから逃げることはできません。だけど、自分のこの肉体というものを「実有」として見ていたものが、空を通ることによって「仮有」として見ることができるようになった。そうすることで、彼は完全に枠の外に出たんだね。だから、生老病死、あってもかまわない、と。そういう心境になった。だから我々もお釈迦さまにならって「色」の世界のことはかまわなければいいんだよ。

2016-12-10

気づきの大切さ

教えて、お坊さん! 「さとり」ってなんですか
こちらは三千院門主の堀澤祖門さん。
どうして気づきが瞑想になるのかというお話…なるほどです。

P140
小出 どうして「気づき」が瞑想になるのでしょう?
堀澤 人間っていうのは、ふつうは、心(意識)と身体がバラバラになっている場合が多いわけや。・・・
 集中っていうのは、心(意識)と身体がひとつになること。いま自分がなにをしているのか、そのことに気づいているときは、やっていることと自分とがひとつになっているんだね。これが瞑想ということです。お釈迦さまがそういうことをやっていたっていうのは、昔から言われているんですよ。
小出 なるほど・・・・・・。
堀澤 こんな話も伝わっているよ。ある人がお釈迦さまを訪ねてきた。そして「あなたがどんな修行をしているのか知りたい」と言った。それでお釈迦さまは、朝起きて顔を洗って、歯を磨いて、瞑想をして・・・・・・ってはじめたわけよ。ずーっと一日、ふつうに生活をしている。そうしたらその人はしびれを切らしてこう言ったんだ。「私はそんなことを知りたくてやってきたわけじゃないんだ。あなたがやっている特別なことを知りたいんだ!」と。
 それに対してお釈迦さまはこう言ったんだ。「私は、顔を洗っているときに顔を洗っていると気づきながらやっています。気づきながら歯を磨き、気づきながらお茶をいただいています。それが他の人と違うところでしょう」と。

2016-12-09

菩薩のあり方

教えて、お坊さん! 「さとり」ってなんですか
こちらは曹洞宗国際センター所長の藤田一照さん。
このお話、わかりやすかったです。

P45
藤田 どんなところにでも自由自在に入っていけるような存在が仏教菩薩のイメージなんですよね。
小出 自由自在。妙なこだわりがない、という感じですかね?
藤田 うん。『維摩経』にもガチガチのお釈迦さんの弟子たちがからかわれているような描写があってね。
 天女が地上に向かって花を降らせるのね。真面目なお釈迦さんの弟子は「こんなけばけばしいものは自分についちゃいけない」って言って振り落とそうとする。でも、そういう風にすると余計にくっつくわけだよ。ところが菩薩にはなんにもつかない。さらーって落ちちゃうわけ。
 どうしてかというと、菩薩は分別を超えているから。綺麗、汚いっていう判断がないから。菩薩にとっては、それはただの花なんだよ。それ以上でも以下でもない。「お前たちは、花を汚いと思うから余計くっついてしまうんだよ」っていう教えをもってそのお話は終わるんだけど、・・・

2016-12-08

夢であると気づいて、夢を楽しむ

教えて、お坊さん! 「さとり」ってなんですか
夢を楽しもうという姿勢、そうしたいです(^^)

P93
横田 ・・・できるだけいい映画を観てね、泣いたり喜んだりすればいいじゃないですか。人生もそう。夢だとわかったからと言って、そこから逃れて山にこもる必要はないのです。夢だとわかった上で、夢をたのしめばいいでしょう、と、こういうことなんです。
 映画って安心して楽しめるじゃないですか。そりゃあ、観ている間は思わず泣いちゃったりしますよ。あるいは腹が立ったり、敵に対してこんちくしょうと思ったりもしますよ。でもね、それは全部映画だから、根本のところで安心してやっていられるんですね。
 そういう気持ちで、いい夢を見るように、いい映画を観るように、この世の中を生きていこう、夢であると気がついて、その上でたのしく夢を見ていきましょう、と。こういう生き方でいいんじゃないかということを、申し上げているんですね。・・・夢を終わらせる必要はない。放っておいてもやがて終わりますから(笑)何十年後かはわかりませんけれど。でも、まあ、それまでは、身体に気をつけて、職場でも家庭でも、自分のそれぞれの役目、自分の配役を務めて、いい一幕のお芝居にして、終わりゃあいいんじゃないかな、と思っていますよ。そう思うと、なんか楽な気がしませんか。

2016-12-07

いつも「いま」

教えて、お坊さん! 「さとり」ってなんですか
今を生きるんだ、なんて力まなくて大丈夫なんですね(^_^;)

P84
小出 ・・・禅というのは、とにかくいまを生きることなんだ、みたいな話を聞いて。それで、なるほど、確かに、過去も未来もここにはないな、と。じゃあいまを生きてみよう、と思ったんです。・・・・・・そこまでは良かったんですけど、でも、どうにも力んじゃって、いま!いま!いま!いま!いましかない!って、ものすごく頑張っちゃったわけです。
 でも、どうしたって過去への後悔は頭の中にモヤモヤしてくるし、未来に対する不安からは解放されないし・・・・・・。どんなに頑張ってもいまを生きられない自分っていうのが見えてきてしまって、ああ、こんな私はやっぱりだめだって、余計に苦しくなっちゃったんですね。
 でも、あるとき、はっと気づいたんです。過去や未来のことを思い浮かべているのは、まぎれもなく、「いま」だよな、って。

横田 そう、そういうこと。過去や未来を捨て去る必要はないんですよ。どのみちいまからは一瞬も離れていないんだから。・・・だからね、いまに生きようと力むこともなければ、いまに集中しようと無理にがんばることもないんですよね。いまから離れていたというのも妄想であるし、いまに集中しようというのも、結局は妄想なんでしょうね。

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