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2017-12-16

同じ人?

ピダハン―― 「言語本能」を超える文化と世界観

実は私たちは瞬間瞬間生まれ変わっている…というようなことをバシャールの本で読みましたが、ピダハンにとってはそれは普通のことのようで…?ちなみにカピオイアイとは精霊の呼び名だそうです。

P195
 またピダハンは時折わたしのことも話している。夜わたしが川で水浴して出てくると、「これは川に入って行ったのと同じ人間か?それともカピオイアイなのか?」と言い合っているのである。
 川に入った前後で同じか違うかをピダハンが議論しているのを聞いたとき、わたしはヘラクレイトスの問答を思いだした。時間の経過によって物質の本質は変化していくのか思索したヘラクレイトスは、まったく同じ川に人が二度にわたって足を踏み入れることができるかと問うた。初めに川に入ったときの水はもうそこにはない。岸も水流で形が変わっている。だからまったく同じということはできない。となるとわたしたちはどうやら違う川に入っているようだ。しかしそれは必ずしも満足のいく結論とは言えない。たしかに同じ川なのだ。では、ある事物や人間がいまこの瞬間と一分前とで同一であるというのはどういうことなのか。いまの自分とよちよち歩きのころの自分とが同じ人間であるとどうして言えるのか。体内にある細胞は全部入れ替わっている。考え方も変わっている。ピダハンでは、人は人生の区切りごとに同じ人間でなくなる。精霊から名前をもらう、ということが精霊を見ると時々あるが、そうなるとその人はかつてのその人とまったく同じ人物ではなくなるのだ。
 ・・・コーホイビイーイヒーアイのところに行き、いつものように言葉の勉強をしてもらおうとしたとき、頼んでも返事がなかったことがある。そこでわたしはもう一度呼びかけた。・・・それでも返事がない。そこで今度は、どうして口をきいてくれないのか尋ねた。すると彼は「おれに話しかけてるのか?おれの名前はティアーアパハイだ。コーホイはここにはいない。おれは以前コーホイと呼ばれていたが、そいつは行ってしまって、いまここにはティアーアパハイがいる」と答えた。
 だから、川に入ったわたしが違う人間になって出てくるとピダハンが考えるのも不思議はない。

2017-12-15

ピダハン語

ピダハン―― 「言語本能」を超える文化と世界観

ピダハン語はとても独特で、実体験に密着しているというか、説明しづらいのですが、「イビピーオ」という単語をめぐるその辺りのお話です。

P184
 イビピーオは、ぴったりと重なる英語の見つからない文化概念ないし価値観を含意していると思われる。もちろん「ジョンは消えた」とか「ビリーがたったいま現れた」という言い方をすることはできる。しかしこれはイビピーオと同じではない。第一に英語では「消えた」というときと「現れた」というときに別々の言葉を用いるのだから、両者は別々の概念だ。またここが肝心なのだが、われわれ英語圏話し手は、現れたり去って行ったりする人物の方に焦点を当てていて、誰彼がわれわれの知覚の範囲に入ってきたとかそこから出ていったという事実に着目しているのではない。
 最終的にわたしは、この言葉が表す概念を経験識閾と名づけた。知覚の範囲にちょうど入ってくる、もしくはそこから出ていく行為、つまり経験の境界線上にあるということだ。・・・
 ・・・
「アイピーパイとは?」
「アイピーパイは寝ているとき頭のなかにあるものだ」 
 わたしはやがて、アイピーパイが夢であることを理解したが、それはただの夢ではない。現実の体験に数えられるのだ。人は、自分の夢の目撃者である。ピダハンにとって、夢は作りごとではない。目を覚ましているときに見える世界があり、寝ているときに見える世界があるが、どちらも現実の体験なのだ。・・・
 夢は、直接体験されたことだけを語るというイビピーオの法則からはずれていない。・・・夢と覚醒のどちらも直接的な体験として扱うことで、ピダハンは、わたしたちにとってはどう見ても空想宗教の領域でしかない信仰精霊という存在を、直接体験として扱うことができるわけだ。・・・
 ・・・
 一方これと並行して、わたしは直接体験の重要性を支持してくれそうなあれこれも思いだしていた。たとえば、ピダハンは食料を保存しない。その日より先の計画は立てない。遠い将来や昔のことは話さない。どれも「いま」に着目し、直接的な体験に集中しているからではないか。

2017-12-14

ピダハン

ピダハン―― 「言語本能」を超える文化と世界観

古武術で有名な甲野義紀さんが対談の中で、最近読んだ本の中で一番おもしろかった、と言っているのを目にして読んでみました。
アマゾンに住む少数民族ピダハン。
こんな文化もあるんだー…と、とても興味深かったです。

P113
 わたしは次第に、ピダハンは未来を描くよりも一日一日をあるがままに楽しむ傾向にあると考えるようになっていったが、ピダハンの物質文化には、その説を裏づけてくれる特徴がほかにも数々見られる。将来よりも現在を大切にするため、ピダハンは何をするにも、最低限必要とされる以上のエネルギーをひとつのことに注いだりしない。

P384
 ピダハンの言語と文化をもっとよく見ると、同様にわたしたちには教訓となりそうな事実がまだある。ピダハンには、抑うつや慢性疲労、極度の不安、パニック発作など、産業化の進んだ社会では日常的な精神疾患の形跡が見られないことだ。だがピダハンが精神的に安定しているのは、抑圧がないからではない。心理的抑圧を受けるのは先進国だけだとか、精神的な困難は先進国特有のものだと断じるのは独善的というものだ。
 たしかにピダハンは請求書の支払期日を気にする必要はないし、子どもをどの大学に行かせればいいかという悩みとも無縁だ。だが彼らには、命を脅かす疾病の不安がある(マラリア感染症ウィルス、リーシュマニアなど)。性愛の関係もある。家族のために毎日食料を調達しなければならない。乳幼児の死亡率は高い。獰猛な爬虫類哺乳類、危険な虫などに頻繁に遭遇する。彼らの土地を侵そうとする侵入者の暴力にもさらされている。村にいるとき、わたしの暮らしはピダハンたちよりはずっと気楽なはずなのだが、慌てふためくようなことがいまだに多い。違いは、わたしは慌てふためくが、彼らは慌てないということだ。
 わたしはピダハンが心配だというのを聞いたことがない。というより、わたしの知るかぎり、ピダハン語には「心配する」に対応する語彙がない。ピダハンの村に来たMITの脳と認知科学の研究グループは、ピダハンはこれまで出会ったなかで最も幸せそうな人々だと評していた。・・・わたしも過去三〇年余りで、アマゾンに居住する二〇以上の集団を調査したが、これほど幸せそうな様子を示していたのはピダハンだけだった。・・・

2017-12-13

あほになる

ココロのはなし (単行本)

こちらは刀匠の河内國平さんとのお話です。

P144
河内 ・・・今「無」だとか、なんか難しい言葉使うたけれどもな、僕はそんなの使うたことないねん。使うたことないというのは、そういう言葉を使うとえらい難しい話になんねん。

堂本 うーん。

河内 僕、大阪弁で非常にいい言葉があるなと思うのは、「あほになる」ちゅうことや。

堂本 「あほになる」。

河内 こんな楽なことないで。

堂本 アハハハ、そうですね。

河内 ほんまに。それはね、結局は「無」なんや。

堂本 あ、結局は「無」だと?

河内 と思うで。そやけど、その言葉、僕は使いたくない。難しいわ、「無」なんて。誰でも難しいて。違うなあ、あほになんねん。これ「ばか」ちゃうで。大阪弁の「あほ」というのは、いい言葉や。

堂本 はい。いい言葉ですよね。

河内 「あ」いうたら、平仮名の「あ」は「安」という字からできていて、「ほ」は「保」やんか。だから、「安心を保つ」みたいなもんや、あほというのは。日々の生活の中で、ときどきパッとあほになれたら、ものすごく暮らしやすいで。

堂本 なるほど。パッと、ときには「あほ」になって。

河内 難しいこと考えたらあかん。簡単な例を言うたらな、朝起きるときから、それやねん。「ああ、眠たいな、寝てたいな起きならんか」と思わんとくねん。「あほ」になって、なんにも考えやんとふっと起きんねん。楽やで。

堂本 アハハハ。

河内 ええ言葉や。たとえば、漢字で「あ」という字は、「阿」を書く人もおるわ。「阿吽」の「阿」。一番初めの「阿」や。あれでもええねんけどな。僕はね、「阿保」というのは、「阿を保つ」「最初を大切にする」こと。物事をすることのその始まりだろうと思うねん。

堂本 あほになる、ですね。

河内 それ重ねてみ。ものすごい人生過ごしやすいと思う。気が楽になると思う。

2017-12-12

ココロのはなし

ココロのはなし (単行本)

堂本剛さんがいろんな方と対談してる「ココロのはなし」を読みました。
おもしろかったです。
印象に残ったところをまた、書きとめておきます。

こちらは登山家竹内洋岳さんと。

P53
堂本 ・・・実際、竹内さんは山を登るとき、何を考えて登らはるんですか?

竹内 想像している。

堂本 考えるとかじゃなくて、なんか想像する?

竹内 もちろん、頂上に立っている自分も想像してますけど、死んでしまうことも、いろんなパターンを想像するんです。

堂本 パターンがいっぱいあるわけですね。

竹内 それをいかにたくさん想像できるかどうかを自分で競っていくわけ。たとえば、一歩踏み出した先に何が起きるかっていうのを、いかに多方面に、多重的に想像できるかっていうのを自分で競うんです。

堂本 なるほど。

竹内 その想像を繰り返すことで、私達は危険を回避しているんです。

堂本 予測ではない想像なんですね?

竹内 予測ではない。

堂本 自分もライブをやるときに、想像することによって、自分が立つかもしれない未来というものに、一度旅に出るんですよ。本当にそのイメージですよね。

竹内 でもきっと、音こそが想像じゃないですか。

堂本 たしかに、そうですね。

竹内 想像した音が実際の音になるんだと思うんです。それと同じように、私は山に限らず、すべてのものの始まりは想像だと思う。

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