Hatena::ブログ(Diary)

シェアタイム

2018-12-29

ブログの引越

このブログを、いつも見てくださってありがとうございます。
初めの頃は色々と書いてみていましたが、いつの頃からか読書記録がメインになりました。
振り返ると物心ついた頃から、本はいつもいっしょにいる友だちです。
そばにいて、色々と語りかけてくれたり、面白い世界に連れて行ってくれたりします。
ガイドラインhttps://www.aqu-aca.com/seminar/guidelines/ に参加した時、ガイドさんから、「あなたが読む本、参加するセミナーは、こちらがアレンジしたものがほとんどでした」と聞き、だからそんな風に感じていたのかと気づきました。

最近出会って、まだこれから読むところなのが「コンクリンさん、大江戸を食べつくす」。
コンクリンさん、 大江戸を食べつくす

年末に、今年一年の感謝の気持ちで深川不動にお参りし(ここのおみくじ、辛口のものが結構あって、以前大凶なんて出ちゃったこともあったのですが、この日引いたのはあまりにいいことばかり書いてあってびっくりでした)
で、その帰りに参道にある角打ちで一杯飲んでいたら、お隣で何やら著書にサインしているガイジンさんが…
日本語ペラペラの方だったので「面白そうな本ですね」と声をかけてみました。
そしたら、何冊か持ち歩いてらして、その場で買えるということだったので、サインしていただきました♪
美味しい食べ物とお酒が載ってるようで、お正月休みに楽しく読もうと思います(^^)

ところでこのブログHatena::Diaryというのを使って書いているのですが、2019年の春を目途に使えなくなるということで、Hatena Blog の方に引越しました。
年明けからは、こちら https://ayadora.hatenablog.com/ をご覧ください。
年末年始は数日ブログをおやすみしますが、引越は完了してるので、見ていただけます。
背景などのデザインが、もうちょっと見やすいものないかな?と試行錯誤中です(・_・;)
どうぞよろしくお願いします。

みなさま、よいお年をお迎えください(*^_^*)

2018-12-28

贈り物

ラッキーマン

病気を公表した後、人々の愛と祈りをもらってばかりだったというお話です。
テレビのコメディ番組の収録場面から・・・

P375
 ・・・ぼくは観客に笑ってもいいんだという許可を与える必要があると感じていた。・・・
 数分後、カメラが所定の位置に配置され、ぼくたちはその回のオープニングのシーンを演じはじめた。いつも念のために同じシーンを二度演じることになっている。原則として、笑い声はいつも最初の撮りのときのほうが大きい。二度目の撮りのときには、観客はすでにどこでどんなジョークが出るかわかっているからだ。
 だが、今回は例外だった。芝居はほとんどまったく同じなのに、二度目のほうがずっと反応が大きかった。最初の撮りでは、ぼくが最も恐れていたことが起こってしまったのだ。観客はためらいがちで、自分たちがなにを期待しているのかわからず、ぼくの演技というよりぼく自身を見ていた。だがありがたいことに、二度目の撮りがそういう恐れをなだめてくれた。最初のためらいの後で、笑い声の調子から、観客がぼくの仕事とぼくの現実とをはっきりと区別していることがわかった。ぼくがやっていることがおかしいかぎり、笑うつもりがある、と観客は語っていた。
 その最初の夜にスタジオでぼくを迎えてくれたものは、一般の人がぼくのニュースを知ったときの受け取り方と一致していた。それは例外なく寛容で、共感を示し、気遣ってくれるものだった。・・・実際にぼくが受け取ったあふれんばかりの支持は―それが抱擁のように感じられたときもあった―とても、予告したり、心の準備をしたりできるものではなかった。今後自分はこの病気のために活動が限定されてしまうだろうという恐れは、溶けてなくなっていった。限定どころか、もらってばかりでこちらはなにも取られてないではないか。ぼくはまるで自分が人々の愛と祈りという贈り物で豊かになっていくような気持ちになった。・・・ぼくはまだいままでのぼくのままだった。みんな、ただぼくにパーキンソン病が付け足されただけだとわかってくれていた。それはぼくがいままでにもらった贈り物の中でも最もこちらを謙虚な気持ちにさせる贈り物だった。

2018-12-27

公表した後は

ラッキーマン

病気を公表するにあたって考えたこと、実際の世間の反応など、印象的でした。

P356
 ついにパーキンソン病にかかってからのことを公表する決意をしてから、ぼくはひとつの目標を頭に描いていた。この七年間、いかにしてこの病気を心豊かで生産的な生活に取りこんできたかを正直に説明する、と。自分の楽観主義や、感謝の気持ち、今後の見通し、それからパーキンソン病を抱えての人生のある面を笑い飛ばせる能力(ぼくはコメディ=悲劇+時間というジョーク・ライターの公式の信奉者なので)までをも伝えることが、ぼくにとっては重要だった。ぼくはこの発表を人生においても、仕事の面でも自分が前に進む方法と見ていて、追い詰められた結果とは考えていなかった。
 ・・・
 ぼくの話が『ピープル』のウェブサイトに載ったとたんに大騒ぎになった。・・・
 ・・・
 この連休の週末のあいだ、まさにぼくのことが一大ニュースになっていることが、まもなくはっきりしてきた。ぼくが病気のことを公表したことが、すべてのネットワーク・ニュースのトップニュースとなり、ケーブル・チャンネルでは一時間ごとに内容が更新され、全米とカナダの大新聞の大見出しになっていた。
 コネチカットにこもって、ぼくはテレビと新聞を見ないよう最大限の努力をしていた。発表したことを考えなおしていたという言い方は、控え目すぎるだろう―再考どころか、三考、十考、百考までしたくらいだ。・・・ぼくが最も恐れたのは、悲劇のヒーロー、絶望的な犠牲者というふうに扱われることだった。・・・
 しかし、ついに自分で報道の激流の中に足を踏み入れたとき、ぼくは自分がどれだけ状況を誤解していたかを悟った。・・・レポートの大多数の論調は、驚きはしてもぼくのことを尊重し、そして気遣ってくれていた。・・・さらにいいことは、続報の多くがぼくのことよりもパーキンソン病そのものに焦点を当てていることだった。・・・
 そういうつもりではなかったのだが、どうやらぼくがパーキンソン病についての国民的議論に火をつけてしまったようだ。・・・
 ・・・パーキンソン病関係のウェブサイトをサーフィンすることにした。・・・
 ある人がこう書きこんでいたのをはっきりと覚えている。「今朝スーパーに行ったら、レジ係の人からどうしてそんなに手が震えているのかと訊かれたの。パーキンソン病なのよ、と言ったら、レジ係の人はすごく興味を示してこう言ったわ。『あら、マイケル・J・フォックスみたいじゃない』って。ここ何年ものあいだで初めて、気まずい思いをせずにすんだわ」
 ・・・
 ・・・ここ数日間で初めて、結局はこれでよかったのだという確信に満ちた気持ちになった。病気のニュースをぼくの役者人生の終わりと見る人がいることはたしかだったが、ぼくはもっとずっと深い意味で、これはほんの始まりにすぎない、と感じはじめていた。・・・

2018-12-26

結果を演じることはしない

ラッキーマン

パーキンソン病がプラスされても、ぼくは依然としてぼくなのだ、というお話。
心に響きました。
サムというのは、息子さんです。

P308
 サムがあれこれくよくよ考えずにぼくの症状を子供らしく前向きに受け入れてくれたことは、ぼくに強い影響を与えた。ぼくはそれまで病気の症状に関連して自分自身を厳しく条件づけていて、病気になったことイコールなにかを失うこと、便利さや自由を奪われることととらえていた。だが、サムの反応を見て、他の考え方もあるのではないかと思いはじめた。・・・サムにとってはぼくはまだ「パパ」―ぴくぴくする手をした「パパ」―なのだった。ものごとをこれと同じように見ることはできないだろうか?つまり、ぼくは依然としてぼくなのだ。ただぼくにパーキンソン病がプラスされただけだ、と。
 その春、ぼくは自分が子供だったころのような気持ちになることがよくあった。・・・今日できる可能性を精一杯試していたころのぼくのように。昨日失ったものや、明日来るかもしれない試練のためだけにぼくは存在しているんじゃない。・・・時間が過ぎていくことに脅えたり、不確かな運命のほうに急いで進んでいこうとするようなところが消えはじめた。
「結果を演じることは絶対するな」これは演技の鉄則のひとつだ。演じること自体すべての職業の中でも最も子供っぽいものだと思う。探検ごっこ、「○○の振りをしよう」が、演技の真髄だ。役者にとって結果を演じるとは、登場人物がいまいる、劇中のこの時点にではなく、その登場人物がそのシーンの、あるいはその芝居の最後にどうなるかに集中して演じるということだ。旅や劇的な可能性に満ちた現在のことは―人生でもそうであるように、この時点では将来どうなるかはわからないわけだが―さっさと片付けてしまう、という演技だ。しかし、人生そのものと同じで、どんなセッティングにするか、どんな演技にするかは選択の連続で、そのひとつひとつが次へとつながっていく。どんなに意外であろうと、途中でなにがあろうと―小道具がなくなるとか、共演している役者がどういうわけか脚本から逸脱してしまってアドリブを始めるとか、セットの壁が舞台の上に崩れ落ちてくることさえあるかもしれない―役者はそれを受け入れていかなければならないのだ。・・・

P335
 悲しかったが腹は立たなかった。これが避けられないことは何年も前からわかっていたのだ。ぼくはパーキンソン病にかかっている。これは進行性の障害なのだ。予想されていたことが起こっているだけなのだ。それでは、ぼくはいまなにをすればいいのだろうか?・・・答えははっきりしていた。あれだけいろいろなことがあった後で、いろいろ学び、いろんなものを授かった、これからもぼくはこの何年間か毎日やってきたことをやっていくだろう。つまり、ただみんなの前に出て、自分の目の前にあることに最善をつくしてやっていくだけだ。
 ・・・そしてホテルへと帰る途中で、六年前に酒を飲むのをやめてからほとんど毎日してきたように、お祈りをした。
 神様、自分では変えられないことを受け入れる平静さと、
 自分に変えられることは変える勇気と、
 そしてそのちがいがわかるだけの知恵をお与えください。

2018-12-25

ラッキーマン

ラッキーマン

脳科学は人格を変えられるか?」にあったマイケル・J・フォックスさんの話から興味を持って、パーキンソン病を公表するにいたるまでの回想録を読みました。
どうしても自分の言葉で自らの思いを伝えたいと、ゴーストライターを雇わず、14か月かかって自分で書いたとのこと。
子ども時代のこと、スターとして暮らすこと、アルコール依存からの脱出など、色々と興味深かったです。
ここは、有名人になったら誰も自分に対して「ノー」と言わなくなった、という状況が書かれていたところです。

P172
 ・・・うちの子供たちがみんな最初に覚えた言葉は「ノー」だった。・・・「ノー」によってぼくたちは境界を作り、理解していく。だが、「ノー」は限界のことを言っているだけではない。子供に自分だけの独自のアイデンティティ自我を規定する手段を与えることにより、「ノー」という言葉を発することは自治という道への第一歩を踏み出すことになる。
 ・・・もはやぼくはめったに「ノー」という言葉を聞かなくなった。・・・
 ・・・「イエス」だけの魔法の王国にぼくは行きついたのだ。だが、どれほど自分の出た映画が大ヒットになろうが、視聴率が上がろうが、まともな人間であれば「ノー」という言葉を予想するときというのがある。たとえば「いや、街中の道路で法定速度の二倍のスピードで走ってはいけない」というように。
 これ以上はしてはいけないという境界線がはっきりしない人生とはなんなのか、とぼくが最初に感じはじめたのは、こういうことに出合ったときだった。壁がないということが、すなわち自由を意味するのではないことに、ぼくは徐々に気づきはじめた。壁がないということは、同時に傷つきやすいということをも意味した。しばらく時間がかかったが、ぼくはついにふたつの恐ろしい質問を自分に対して発し、そして答えはじめた。つまり、ぼくはこういうことをしてもらうに値するのか?それから、もし値しないのなら(いったい誰がこんなことに値するというのか?)みんながそのことをみつけだしたらどうなるか?というふたつの質問だ。それで、ぼくはこの長く続いてきた「イエス」の道の先に、嫌らしい、人を侮辱するような、ぼくの出世を妨げるような「ノー」が待っている場合にそなえて、自分を守るために三重の戦略を用意した。
 第一に、だれもぼくに対して「ノー」とは言わないのだから、我が身に忍び寄る罪悪感を軽減するために、ぼくもその言葉を自分のボキャブラリーからもほぼ消し去ってしまった。・・・いい人でいて、みんなとうまくやっていこう、というわけだ。
 ・・・
 ・・・
 肝心なことは忙しくしつづけることだった。建設的であろうとなかろうと。当時のぼくの信条―一生懸命働き、たくさん飲み、イエスとだけ言う(そして聞く)―は、いかなる状況にあろうとも、ぼくがいつも忙しくしていられできるだけいろいろ考える時間を持たないでいられることを保証するものだったのだ。おそらくぼくの成功があまりに突然で法外なものだったので、自分はなにかよくないことをまんまとやりおおしているのではないかという気持ちになっていたのだ。・・・

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