Hatena::ブログ(Diary)

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2016-07-29

おだしの本

だし生活、はじめました。
何かを検索していて目についた「だし生活、はじめました。」を読みました。
おだしのきいたお味噌汁、大好きなのに、ついつい粉末で済ませていましたが、
これを読んだら、へぇ〜そんなに簡単でよかったんだ、と気楽になりました。

だしの取り方、ここにメモしておこうと思います。

P72
 ・・・まずは、野崎流かつお節のだしのとり方からスタート。
「分量は、水1リットルに、本枯れかつお節を15グラム。鍋に入れて沸騰したら、大きめのボウルに熱湯を注ぎ、かつお節を入れて1分待ちます。その後ふきんでこして出来上がり」
 あれ、なぜ沸騰した鍋に直接かつお節を入れないの?とまっ先に疑問に思う。ボウルに熱湯を移す理由は、「だしの抽出に適した80℃に下がるから」とのこと。・・・鍋に温度計を入れて計るのは大変だけど、沸騰したお湯をボウルに移すことで、ちょうど80℃くらいまで下がるのだそう。・・・

あと昆布は刻んでも刻まなくてもだしの出方は同じ、という所も、へぇ〜と思いました。

P116
「・・・昆布は刻んだほうがだしがよく出るのでしょうか」
「・・・一般的には刻んだほうがよく出るといわれています。ただ昆布のうま味は断面から出るわけではなく、表面から出ます。ぜひ検証してみてください」
 よし……!わからなければやってみよう。・・・
 10gの羅臼昆布を、そのままの状態で1リットルの水に漬けたものと、出来るだけ細かく刻んで同量の水に漬けたものと、2パターン用意。漬け込み時間は丸2日。これも、関西の昆布屋さんが書いた昆布だしの本には、「数時間〜1日でいいだしが出る」と書かれているのだけれど、わたしの感覚では、数時間では全然出ない。これはどうも関西と関東の水の差にあるようで、京都発のイタリアン「イル・ギオットーネ」の笹島保弘シェフも、「東京の水だと、だしが出るまで京都よりはるかに時間がかかります。2日くらいおいてもいいくらいです」と言っていた。
 丸2日おいて、それぞれの昆布だしを飲み比べてみたところ、特に違いがわからない。おそらく、化学的に分析すると、うま味の出方に微妙な差があるのかもしれない。でも、ここで大事なのは自分の舌。ためしに夫にも両方飲み比べてみてもらったけれど、「うん。同じ」という回答だった。

そしてもう一つ、いりこの頭とはらわたは取らなくていいらしいです。

P138
 料理人や料理家のレシピ本に「こうしましょう」と書かれていると、素人であるわたしは「そうか、正しいやり方はそうなのか。そうしないとダメなのか」とつい思ってしまうけれど・・・
 などと考えていたら、『「分とく山」野崎洋光が説く 美味しい方程式』という本に、「頭とはらわたは品よく仕上げたいときは取りますが、普段はとらなくて結構です」と書かれていた。・・・要は、プロの料理人がお客さんに出す料理と、家庭料理の違いということだ。・・・

2016-07-28

思わず吹き出す

のはなし にぶんのいち~キジの巻~ (宝島社文庫 C い 6-2)

伊集院光さんのエッセイを読みました。
文庫で軽いし、思わず笑ってしまう、満員電車のストレス軽減にぴったりの本でした(^^)
たとえばこんな…

P45
 僕の寝言はひどいらしい。今までたくさんの人から指摘されてきたから相当ひどいのだろう。ちなみに『たくさんの人』というのは、かみさんと実家の家族に男友達とタクシーの運転手などで、愛人からはない。いないから。床屋さんからもある。みっともなくてうかうか寝れたものではない。
『ひどい』のは、その頻度だけでなく、その『質』もらしい。寝言とは思えないほどはっきり、長く、しかもちゃんと内容のある事をいうらしいのだ。いかにも『寝言』の活舌で、いかにも寝言な支離滅裂な内容ならまだ良いが、ちゃんとした寝言ほど厄介なものはない。
 ある時などは、朝起きるとテーブルの上に『豚キムチ丼』が置いてある。丼にかけたラップにかなりの水滴がついているから、おそらく夜中のうちにかみさんが作ったものだろう。さすがの僕も「朝から豚キムチ丼はないだろう」と思ったものの、折角の朝飯だ。とりあえずたいらげた後にかみさんが起きてきたから「おはよう。豚キムチ丼おいしかったけど、朝から豚キムチはないだろう」といったらえらく機嫌が悪いご様子。
 聞けば、夜中の2時に僕から「夜中に悪いんだけど、今から豚キムチ丼を作ってくれないか?本当に申し訳ないけど、頼む」といわれ、しぶしぶ作ったところ出来上がっても起きてくる気配がない。どうしようかと思っていると、今度はさっきの『豚キムチ丼』と全く同じトーンで「夜中に悪いんだけど、今から紙粘土を買ってきてくれないか」と始まったところで「やられた!寝言だ!」と気づいて腹が立つやらあきれるやら。事情を聞いた僕も同情を禁じえないが、加害者が僕とあってはこっちもどうしていいやらだ。
 ある時はタクシーの運転手さんから、降り際に「で、答えはなんです?」と聞かれた。その時はかなりの遠距離だったし、寝不足続きの中だったので自分としては乗った直後から、降りる直前まで寝ていたはずなのだが、どうやら寝言でクイズを出したらしい。
 なぜすぐに『クイズ』だとわかったかというと、『寝言クイズ』に関する苦情を過去数回受けていたから。「あ、それ寝言です」というのも角が立つ話、及び説明に長時間を要する話なので、とりあえず「運転手さんはどう思います?」と聞いてみると「うーん…やっぱり3番かなぁ」との答え。「寝言で(少なくとも)三択クイズを出しているとは…」と自分にあきれつつ「正解!」といって降りた。運転手さんは正解したことにご満悦だったのでとりあえず話のつじつまは合っていそうだが、どんなクイズだったのか気になる。
 ・・・
 かみさんに聞いたところ、過去最悪の僕の寝言は「『寝言じゃないんだ!本当なんだ!よく聞いてくれ!』と哀願する寝言」。もはやかみさんに平謝りするしかないが、かみさんは「もうすっかり慣れた」という。そういってくれるに越したことはないが、おそらく夜中に僕が自宅の火事に気づいても、かみさんは焼けてしまうだろう。

2016-07-27

スーダン

ヨシダ,裸でアフリカをゆく

なんでもスーダンは、アフリカで一番ホスピタリティの高い国で、とにかくみんなやさしいんだそうです。

P159
 砂漠で野宿の準備をしていると、ときおり「外で寝ないで、ウチに泊まりなさい」と声をかけてくれる人がいて、その日はおばあちゃんの家に泊めてもらうことになった。・・・
 「・・・なんだか私、あなたのことがとても好きなの。だから今日はうちに泊まって行って。そして、スーダンにいるあいだは、私のことをママだと思ってちょうだい」・・・
 こんな言葉をかけてもらったのは初めてだ。彼女のやさしい言葉に、私はウルッときた。
 それからママは「スーダンの生活を見せてあげるわ」と、一緒に買い物に連れて行ってくれたり、料理を教えてくれたりした。ママは私のことを本当の娘のようにかわいがってくれた。そして出発の日、ママは泣きながら「あなたに会えて本当によかったわ。あなたは私の娘なんだから、いつでもこのうちに帰ってきてね。私はいつでもココにいるから。必ずよ。スーダンのママのこと忘れないでね」と。
 私も思わずもらい泣きしてしまって、次いつ会えるかわからないママの顔がにじんでしまい、しっかりと見れなかったことを少し悔しく思った。

 人間というものは、少しでも自分と共通点があると、国籍や言語の壁を超えて仲よくなれる。日本ではなかなか友達ができない私に、スーダンはこんな出会いもくれた。
 ・・・ひとりで散歩していた。すると、ひとりの女性が近寄ってきて、アラビア語で話しかけてきた。何もない町ゆえに、外国人が珍しかったのか、興味本位で話しかけてきた様子だった。
 ・・・私はできる範囲のアラビア語で自分の名前と自分が日本人であることを彼女に伝えてみた。
 すると、彼女は私の名前を聞くなり、目を大きく見開いてうれしそうにこう言った。
「あなた、ナギわたしナギーラ!」
 ・・・過去にエジプトナギーという男性と出会って仲よくなった記憶があるが、まさか、ここで"ナギ"がつく名前の女性と、こんなふうにばったり出会えるとは思ってもいなかった。名前が同じ響きというだけで、私たちの距離は一瞬で縮まった。
 ・・・言葉のコミュニケーションがなくとも、彼女とは「ナギ!」「ナギーラ!」と呼び合うだけで、とにかく笑いがこぼれた。・・・
 ・・・彼女は「ナギ!ヘナタトゥー入れて!小さいのでいいから。ねっ、いいでしょー?」と、半ば強引に私の足にヘナタトゥーを入れるように勧めてきた。・・・
 ・・・このヘナタトゥーが、このあとのスーダン滞在をよりいいものへと導いてくれた。行く先々で・・・「・・・あなたは私たちの国の文化を受け入れてくれたんだね」と言ってくれて、みんなが親切にしてくれたのだった。
 もともとスーダン人は穏やかでやさしい人々なのだが、自分たちの文化(ヘナ)を入れている外国人=自分たちを理解してくれていると判断するらしく「とにかくウエルカムッ!!」というような態度を、誰もが示してくれるようになった。・・・
 そんな中、私のヘナタトゥーをみて話しかけてくれた人が、ある小学校の校長先生で、「ぜひ、あなたを私の学校に招待したい!・・・」という話をいただいた。
 私なんかが、彼らにとっての初めての日本人になってもいいものなのか、少々不安はあったが、ずっと行ってみたかったアフリカの小学校!私は「行かせてください!」と即答した。
 ・・・
 私は驚いた。もー、とにかく、驚いた。
 どこの教室も私を見るなり、大はしゃぎだった。しかも!各教室ごとに私の名前を入れた歓迎の歌をプレゼントしてくれたのだ。
 その後は、どこの教室でも生徒さんから日本についていろんな質問をされた。
「日本ってどこにあるの?スーダンより大きい?小さい?」
「日本人って何人いるの?なんでスーダンには日本人いないの?」
「日本人って、みんなナギみたいな顔してるの?肌が黒い日本人っているの?」
「日本人のお家には、何頭くらいラクダとかヤギ飼ってるの?」
 そんな感じで、思い思いの日本への疑問を投げかけて来る生徒さんに対して、ひとつずつ私は答えた。すると、彼らは目をまん丸くして、日本とスーダンとの違いに驚いていた。
 最後に通された最上級生の教室では、黒板にメッセージを書いて待ってくれていた。そして、彼女たちはこんな手紙を朗読してくれた。
「私たちの学校に来てくれてありがとう。日本のことを教えてくれてありがとう。あなたが、私たちの学校に来てくれた初めての日本人であることを誇りに思います」
 な、なんなんだー、
 このサプライズはぁぁぁ……!!!!
 もー、私は涙が止まらなかった。鼻からも目からも水が垂れ流れてしまった。
 スーダンホスピタリティーはすごいとか、本物だよ!という噂は聞いていたけれど……。私はこの小学校でその噂が本当であることを実感した。

 スーダンのこと良く知らなかったのですが、こんな動画がありました。
 AKB48心のプラカードスーダンバージョン♪
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2016-07-26

つづきの話

ヨシダ,裸でアフリカをゆく

きのうの記事に書いたタジボ少年との、つづきの話です。

 ・・・教会を出ると「ナギー!」とひとりの少年が私に飛びついてきた。
 タジボだ。・・・
 ・・・「ナギと一緒にごはん食べたくて!ナギのために僕のママがコーラコーヒーと紅茶とパンインジェラをいっぱい用意してくれたから、今日こそお願い!僕ん家に来て!」と言う。・・・
 タジボの家にお邪魔するにあたって、さすがに手ぶらでは行けないので一度タジボと別れて、私とベイユーは手土産を買いに行った。お菓子やジュース、石鹸や砂糖なんかを買い込めるだけ買い込んで、タジボの家があるサタデーマーケットへと向かった。
 ・・・
 タジボの家は、私が想像していた以上に小さな家だった。4畳半程度のスペースに裸電球がひとつ灯る倉庫のような場所に、タジボはお母さんと兄妹4人で暮らしていた。
 正直、私たちが座るようなスペースも椅子もない。けど、お母さんは自分の商売道具でもあるトウモロコシが入っている袋の上をパッパと叩いて「ここへお座りなさい」と、私とベイユーに席をつくってくれた。・・・横を見ると、わずか4畳半の狭いスペースに30人を超える人が押し寄せていた。しかも、家の外は入りきれなかった人であふれている。タジボ曰く、外国人の来客は非常に珍しいらしく、近所の人が面白がって見物しに来ているという。
 ・・・
 そんな中、タジボのお母さんは私にパンを差し出しながら「なぜ、ウチの息子はこんなにもあなたになついているのですか?」と尋ねてきた。ベイユーは私の代わりに私とタジボの出会いをお母さんに話してくれた。タジボのお母さんは穏やかな表情で、静かにベイユーの話を聞いていた。・・・
 そんなお母さんの姿を見て、私は事前にベイユーに相談していたことを切り出してもらった。
「タジボのために何かお手伝いできること、私にはないですか?」
 タジボと出会ったあの瞬間から"自分がこの子に何かしてあげられることはないものか"という思いがずっとあった。今まで私が出会ってきたアフリカの子供たちはどこかで"お金を持っている者が、お金のない人間に施しを与えるのがあたりまえ"という考えが根本的にあるような感じがしていた。もちろん、アフリカの子供たち全員ではないけれど、かなりの人数が、お金は稼ぐものではなく、もらうものだ、と幼いころから認識してしまっているような気がしていた。
 ・・・
 そんな環境下でタジボという人格が形成されたことに私は驚いたし、ただただ"これからもずっとピュアで正義感の強いタジボであってほしい"と思った。
 ・・・
 私がタジボに何かしてあげたいと感じている気持ちはまぎれもなく本心なんだけど、はたしてこの思いが"偽善とか同情だったら……"と思うと、・・・
 それから、もうひとつ、私には引っかかっていることがあった。
 それはタジボ以外の子供たちのこと。・・・私がタジボだけに何かするというのは、はたしていいことなのかな?と。・・・
 ・・・今の私にはタジボにほんの少しの協力をすることが精いっぱい。とはいえ、力になると言って途中で何もしてあげられなくなるような無責任なことはしたくないし……
 私がひとりで答えを出せないでいると、ベイユーが手を差し伸べてくれた。ベイユーは「・・・自分のできる範囲内で、誰かに力を貸してあげられることはすばらしいと思う」・・・「・・・貧しい人たちほどみんなで協力し合って生きているから、そういう人たちは他人の幸せも自分のことのように喜べるんだよ。確かめてごらんよ」と。
 その言葉どおり、私がタジボのお母さんに「何か力になれることはないか」と切り出したときも、周りにいた人たちのほうが自分のことのように喜んでいて、誰ひとりねたんでいる様子の人はいなかった。私はタジボのお母さんに「私はお金持ちではないので大きなサポートはできないのですが、私のできる範囲で、タジボの将来を少しだけ応援させてもらえたら嬉しいです。・・・」と伝えると、お母さんはこう返してくれた。
「神様が、息子のもとにナギを送ってくださったのだと思います。私たちは貧しい生活には慣れております。だから大金も必要ありません。ただ、しいて言うならばウチの子は半ズボンしか持っていません。朝と夜は寒く、足もケガばっかり増えてしまうので、長ズボンだけいただけたら嬉しいです」と。
 私が彼らに何かを与えるというよりは、私が彼らから学ぶことのほうがあきらかに多い気がした。

2016-07-25

やさしさ

ヨシダ,裸でアフリカをゆく

こういうやさしさを持っていたいものだ…と我が身を振り返ってしまいました(^_^;)

P129
 サタデーマーケットを歩いていると案の定、子供たちから「Give me money!」と、たかられた。こういう子供たちはエネルギッシュ過ぎるので「デハ ネニ(私は貧乏)」と返しては逃げていたのだが、ラリベラの子供たちはかなりしつこい。どんなにお金がないと言って逃げても、平気で2時間、3時間と追いかけてくる。・・・
 ・・・少年は私と目が合うと、少し考える様子でベイユーの袖を引っ張って、ベイユーに話しかけ始めた。
 ・・・話を聞き終えたベイユーは「この子からの伝言なんだけど"僕たち本当に貧乏なんだ。助けて"って言ってるんだけど、どうする?」と、持ちかけてきた。まあ、想定内の内容である。アフリカではよくある話なので「私も超貧乏でベイユーにいろいろ世話してもらってて、お金が本当にないんだ……って、伝えておいてよ」と、深く考えずに返事をした。
 私の言葉をベイユーから受け取った少年は少し考え込んでいる様子だったのだが、突然、大きな声で怒り出したのだ。その瞬間「金くれ」と騒いでいた子たちもピタッと静まった。
(よくわからないけど、私、少年を怒らせちゃったのかな……)
 なんだか気まずい雰囲気になってしまった気がして、少年がなぜ怒ったのかをベイユーに聞くと「この子はナギに怒ったんじゃない。ナギにお金をくれと言っていた子供たちに怒ったんだ。彼は"この白人は僕たちと同じ貧乏なんだ!だから、この子を苦しめちゃダメだ"って、怒ったんだよ。彼は、ナギを守ってくれたんだ」と、なんとも予想外の言葉が返ってきた。
 少年は私の手をギュッと握った後、
「貧乏なら、僕ん家でごはん食べよう!
 僕ん家も貧乏だけど、インジェラならあるから、
 それでもよければお腹いっぱいになるまで
 食べていって!遠慮はいらないから!」
 と、言ってくれたのだ。(*インジェラは、エチオピアの主食。テフというイネ科の植物をパンのように発酵させたクレープ状の食べ物)
 少年の純粋なやさしさに、私は一気に胸がいっぱいになった。
 その後、少年が私と話をしたいと言ってくれたので、ベイユーを介してお互いに少しだけ自己紹介をした。少年の名前はタジボ。年齢は9歳。・・・

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