[社会]卒業式におもう。

長女Kは18になったばかりですが、11日都立高校を卒業しました。ひとまづ、親としての役割は解任されたと思っています(やれやれ)。というより、すでに以前から、「あなたに口出しする権利はない!」と言い渡されておりますが(^-^;
そのことは、さておき、卒業はしたもののその卒業にまつわるもろもろがなんとも釈然としないままなのです。もう、卒業したのだから関係ないといえば、そうなのですが、東京都の公立学校に通う、これから通おうとしている人たちには関係のない話とは思えません。
何が?といえば、卒業式ではなく、学校長による卒業証書授与式のことなのですが。学校全体で、卒業生を祝うのではなく、校長が各クラスの生徒代表に証書を授与するための学校長主催の会。つまり、校長の決定した形式にのっとり、遂行されるものなのだとか。卒業授与式って。そこには教職員や生徒たちの意向は反映されているとは思えません。結果、なんとまあきれいさっぱり形式だけのものだったのです。そればかりか、体育館の壇上の正面には日の丸と東京都のマークが貼られています。なぜ、日の丸と東京都のマークなのか分かりませんが。校旗は机の横に立てられていました。校長や事務長が壇上に上り下りするたび貼られた旗に向かってお辞儀をするのには、閉口してしまいました。一年前に赴任してきたというか送り込まれてきた紋付袴の校長は証書授与、式辞、卒業生の答辞のために壇上に上がるたび礼をしていました。なんだか、ご真影に向かっているみたいです。あの2枚の旗は桐の箱にでもしまわれているのでしょう。きっと。
とにかく、司会者のかけ声に、式が始まってすぐに全員起立、礼。空っぽの壇上に向かって、礼をします。うっかり礼をしてしまいました(笑)。はい。それから、そのまま「国歌斉唱」。そこで座る人はわずかです。立っている人も歌っている人はわずかでした。地域によっては君が代斉唱の音量まで調査していると言いますが(笑)。いったい、なぜ、ここまでして日の丸や君が代をするのでしょうか?なぜ?
つまりは従わせるためにやっているとしか思えないのですね。

実は前日、学校へ出かけました。長年お世話になった先生方にお礼と親からのメッセージを伝えるためです。卒業式前日で、予行演習をしていることもあって、この日をおいて渡せる日はないと思いました。高校生になると親が学校に関わるということもほとんどありません。まあ、なんとか楽しくやっていてくれればいいというくらいで、特に2・3年になってからは子どもから学校への不満を聞くこともなく、遅刻や自主休講(サボリ)はしていたもののそれなりに学校生活を楽しんでいるようでした。自分の好きなことはするけれど、したくないことへの拒否反応の強いKがなんとか卒業できたのも、制服もなく、校則というものもほとんどない自由な校風ゆえだったと思います。お弁当を作る以外はノータッチ、お任せでこれたことをほんとうに感謝しています。ひとつにはそういう感謝の気持ち。そして、もうひとつは東京都が日の丸掲揚、君が代斉唱に関して、教師を大量に処分しているが、強制的なやり方に反対し、先生方が自己の意思に従い行動されることを支持するというメッセージを伝えるためです。なにしろ、生徒たちに「君たちが日の丸掲揚、君が代斉唱をしなければ、教師は教師としての指導をしていないということで、先生たちが処分される」という言説がまかり通っているのです。生徒たちは、先生のために従わなければならないところに追い込まれています。
それ以前に、教師たちは公務員である前に、日本国民であり、思想・信条において、不利益をこうむることがあってはならないはずです。東京都が処分すること自体が憲法違反です。
前日に急遽書いたA4の原稿にはおなじ卒業生の保護者2名の賛同を得ましたので、連名にしました。それをコンビニでA3で2枚つづりにコピーし、学校の事務室で裁断機を借りて切りました。鋏で切ると綺麗に切れないのですもの。事務の人は裁断機を貸してくださいましたが、何のために必要かというので、「卒業生の保護者です。先生にお礼のお手紙を書いたのでそれをお渡しするのにコピーしたものを切りたい。お忙しいこととは思いますが、校長先生はいらっしゃいますか?」というと、事務長が出てきて、「校長は予行のため体育館にいます。副校長を呼びますのでしばらくお待ちください」とのこと。しばらくして副校長が来て、
「学校の配布物に関してはすべて学校長の許可がいるということに今年の1月からなりました。前半は構いませんが、後半の東京都教育行政を批判した部分を削除していただければ配布できます」
「先生に検閲を受けるつもりはありません。これは、配布物ではなく、親からお礼とともにお渡しするお手紙です。配布物に関する公式文書があるというならみせてください」と私。
公式文書は「学校から生徒及び保護者に配布する文書にかかわる取り扱い基準」。つまり、生徒、保護者に配布するものに関してで、教師への配布物ではありませんでした。
「配布物に関してはすべて校長の許可がいることになっています。今は予行中なので、お預かりして検討しますから、どうぞお引取りください。そうでなければ、校長が戻るまでお待ちください」
「これは、先ほども言いましたように私的なお手紙ですので、私が直接お渡しします。副校長が許可できないと言うものを校長が許可するとは思えず、たとえお預けしても先生にはおわたしできないでしょう。どうもありがとうございました」
と言って、事務室を出て、各教員室(教科ごとに教員室が分かれています)に出向きました。構内を迷いながら、社会科、英語科、家庭科の教員室をみつけて入ってゆくと、予行に出ていたり、出講日ではないので欠席していたりで、少人数でしたが、いらした先生にお礼と手紙を渡し、いない先生の分は受け取っておくといってみなさん、とても快く受け取ってくださいました。家庭科を出たところで再び、副校長に出くわして、
「これ以上、構内を歩かれては困ります。しかるべきところに連絡します」というので、
「しかるべきところというのは?教育委員会ですか?」
「それだけではなくて・・・」
「警察ですか?」
「・・・そうです」
「ああ、どうぞ連絡なさってください。しかし、先生、おかしいとは思いませんか?このようななんの強制力もない親からのお礼とメッセージ一枚、先生にお渡しできないなんて。学校がそんな現状なのだということにあらためて驚きました。恐ろしさを感じます」
「都の教育行政を批判する文書が構内で配られたら困ります。先生たちを誘導しないでください。先生たちが困るんですよ」
「(副校長)先生のお立場はわかります。でも親からの手紙で、先生たちが態度を変えるなんてことがあるのでしょうか?こどもじゃあるまいし・・・。これは、ただ単に「意思に従って行動されることを支持する」と書いてあるだけですよ。生徒たちには、日頃先生たちは自分の意思で行動するようにと指導されているのではないのですか?当然のことを書いているだけです。それなのに、同じ教員として、先生たちを処分していることをどう思われていますか?」
「・・・・・・私もこれから出張に行かなければならないので、〇〇さんに構っているひまはありません。とにかく、校長の許可を得てください。校長は許可をするかも分かりません。もうすぐ戻りますから事務室の前でお待ちください」
「構ってくださらなくていいんですよ〜。どうぞ、お出かけください」
以上が、だいたい、廊下で交わした会話です。
校長が戻るというのなら、いずれは校長と話しをしなければと思い、事務室前に戻ることにしました。今思うと、各教員室を廻ってから校長にあえばよかったと思います。
事務室前で待っていてもなかなか校長はやってこない。事務室の人に「もうすぐ来るから、待っていてくれと言われたのですが、だいぶかかるようでしたら、置いてこようと思うのですが」というと、体育館まで連絡に行った。そのうち副校長が出張するため玄関で靴を履き替えながら「もうすぐ来ますので、お待ちください」と言って、出て行った。校長室でおまちくださいくらいいえないものかと思う。校長が遅くなったのは、副校長に渡したコピーをもっていたことでも分かるように、事前に協議していたのだろう。
校長はやってくるなり、
「日の丸、君が代の件ですね」と言って、時計を見ながら「私も忙しいので、30分以内にしてください」と言った。
「お忙しいところ恐縮です。副校長さんが校長に会ってくれというものですから。30分どころか、10分あれば充分ですよ。日の丸、君が代のことというのではありません。子どもにかかわることです」
(略)主旨を説明
「教育というのは強制をともなうものです。生徒には予行でも言いましたが、国旗や国歌はどこの国のものでも敬わなければいけないものだ。サッカーの試合などスポーツでもそうだが、相手の国の国旗や国歌を敬わなければいけないのはとうぜんで、自国の国旗、国歌を大事にしなければならない。だから、ほんとうにイヤだと思うひとはしかたがないけれど、みんなも協力してくれよ。といったんですよ。また、私は、生徒が立たなかったとしてもその担当教師を処分するつもりはありません。」
それは自国の国旗・国歌に誇りを持てばこそでしょう。自国の国旗・国歌に疑問をもつのであれば、自国民がそのことを考えていかなければいけないし、だからこそ思想信条にかかわってくる。
「教育であるわけですから、強制を伴うというのはたしかにそうですね。私が来ましたのは、お礼の気持ちと先生たちが思想信条に従って行動することを支持すると言うことを伝えるだけで、日の丸を掲揚するな、君が代を歌うなと言っているわけではありませんよ」
「でもここには『このような東京都の違法な強制に抗議するとともに・・・』となっていますよ」
「自身の思想信条に従って行動した教師を大量処分することは憲法違反ですよ」
「あなたがそういうお考えをお持ちになることは構いませんが、日本は法治国家で、私は公務員として公務員法にのっとって職務を遂行しています。あなたは手紙と言われますが、これを手紙だとは思えません。都の教育行政を批判した文書です。そういう文書を構内で配られては困ります。お断りします」
「批判した文書を構内で配ってはいけないと言うのならば、そういう規定の文書をみせてください」
「私が許可しないということです。私に委ねられています。私が公権力です」
「ようするに、校長先生の裁量の範囲なのですね。なんの強制力もない保護者からの手紙一枚先生にお渡しできないということですか」
「私には私の思想信条があります。しかし、私は公務員ですから、学習指導要領にのっとって指導しています。また、都からの指導にも従う義務があります。これは、都を批判しています。先生たちに個人的に自宅に届けるのであれば問題はありません」
「怖いと思いませんか?そこまで、すべて外部を拒否して。私はナイフを振りかざすわけでも、儲けようと思って先生に勧誘に来たのでもありません。お礼の気持ちとメッセージを伝えるためです。先生たちは保護者が『思想信条に従って行動することを支持します』と書いたからといって、自分の思想信条を曲げて行動するというのですか?先生だというのに。なにをそんなに怖れる必要があるのでしょうか?いちばん弱いところ、教育という場がいちばんに標的にされると言いますが、今の学校現場がほんとうに恐ろしい状況になっているということを今日あらためて思いました」
「私は公務員ですから、職務に従います。今の都政に反対ならば、そういう運動をおやりになればいい。すべて、政治は戦いですからね。今はこういうことになっているのです。あとのことは、歴史がすべて判断してくれるでしょう」
「歴史が判断してくれるでしょうって、歴史を作るのはあなた自身ですよ。校長の裁量の範囲だというにもかかわらず、手紙一枚先生に渡すことを拒否するというのは、自主規制以外のなにものではないでしょう!自分の首を自分で締めているようなものですよ。そう思いませんか?」
(オフレコ部分あり)
「構内で配ることをお断りします」
「先生の裁量の範囲だというのに、そこまでなぜ拒否されるのですか?先生の許可を得るつもりはありません。これは配布していただく文書ではありませんので。個人的に先生にお渡しするお手紙ですので、失礼します。ありがとうございました」
「校長の権限で、構内の立ち入りをお断りします」

とうとうでました(笑)。拒否権発動。
私の書いた手紙に、なぜこれまで拒否反応をおこさなければならないのでしょう。
何の強制力もない、保護者3名連記の一枚の手紙に。
しかし、ある程度予想していたことでもあります。どんどんひどくなっている状況は、いろんなところで耳にします。
立ち入り禁止を発動されてしまったのでは仕方ないと思いました。私以外の2名の人のことも頭をかすめました。
「歴史がすべてを判断する」という一見カッコいい言葉に教育者としての責任が感じられません。歴史に任せて教育者としての責任を放棄しているだけでしょう。校長は教育者というより管理者になっているのだと思います。

もしかしたら、ここまでして教師に手紙を届けようととしたことを不思議に思う向きもあるかもしれませんね。
しかし、私は個人的なメッセージであれ、反対意見であれ、さまざまな意見があってこそ、バランスが保たれるのだと思います。一方の力だけが動いている今の教育の現場が少しでも、バランスをとれるように、そのためにこそしなければならないと思いました。また、傾けば傾くほど、自主規制という形で傾いていきます。そして、その危惧は現実のものになっていることを実感しました。

以上が、前日の顛末ですが、形式だけの卒業証書授与式とはいえ、救われたことはありました。ひとつは生徒たちの姿です。制服がないので、卒業式にも生徒たちはさまざまな格好をしています。ジーパン、トレーナーでいつもと変わらない人からパーティードレスのような肩を出してショールを巻いている人、スーツ、和服、羽織袴、
Kは黒のレースのチュニックに黒のサテンのスカート(私からの借り物)黒のカーディガンに花柄刺繍入りのジージャン、ピアス、ブローチ、といういでたちでした。いつものジーパンで行くはずだったのが前々日に洗ったのに乾かない(苦笑)。
みんなニコニコうれしそうです。
在校生は全員出席ではありませんが、部活やサークルの先輩たちに最後のお別れをしにきていました。
そして、前生徒会長が答辞を読むのに司会用のスタンドマイクを自分で持って、壇上にあがり、事前の打ち合わせではすべて、壇上の机に立って答辞を受けるはずの校長に「これから答辞を読みます」といってから、くるりと校長に背を向けて、司会用のスタンドマイクで、卒業生、保護者、在校生、教師、来賓に向かって読み始めたのです。学校を愛し、ともだちを愛し、さまざまな体験を積み重ねた高校生活に思いをはせた教師たちに感謝の気持ちをこめた堂々とした答辞でした。
しかし、なぜか、そこにはこれからでてゆく社会への思いや期待や未来への展望がなく、それがなにかとても印象的で、象徴的に思えてきます。