あじーる!宣言

あじーる宣言!


 日本において「少数派」というお化けが出ます。多数派はこのお化けを祓うために、「KY」と名づけたり、「おかしな人」「危ない人」などとレッテルを張り排除しようとします。そして最悪の場合、国家権力を使ってまで排除します。

 少数派とは何か?それは多数派ではない人達全てを指します。多数派によって様々な不当な扱いを受けたり、周りの価値観と自分は違うなと感じていたり、周りに一応合わせているけど違和感を感じたりしている人達でしょう。また、自らの生命以上の価値を持っている者たちであるともいえるでしょう。生命以上の価値を有するものが「忠」であるかもしれないですし、「愛」であるかもしれないですし、または「信仰」なのかもしれません。それは人それぞれでしょう。日常においてはこれらの価値を生命よりも大切にしているのか分かりませんが、危機の時にそれは現れるでしょう。かく言う私も危機の時に生命を差し出せるかわかりませんし、皆さんもそうなれるか分からないでしょう。しかし、日々貴方が価値のあるものだと思っているものについて、考えることにより、その価値の価値が上がり、生命以上のものに洗練されていくのではないのかと思うのです。多数派という数の暴力に対して対抗するには少数派は強くなければならないし、自らの鍛錬が必要だと思うのです。

 それに対して多数派の多くは、多数である、みんなと同じであるということに価値を置いている人々です。自らの価値を持っていない「事ながれ主義者」のことを示します。また、命を最も大切に思っている人々でしょう。仲間を売ったり、精神を売ることを平気でできるでしょう。戦前においては敬っていたA級戦犯を含めた軍や政府首脳陣を裏切ったようなことを平気で出来る人達ですし、戦前から戦後への極端な変質など自らの価値観があるのであればできない行いではないでしょうか?そういう意味で多数派はアメーバつまり形を容易に変えられる人々と言えると思います。

 我々と多数派は相容れません。そして我々は究極的には彼らと同化するか、決別するかしかないと思います。多数派の正義、価値観が当然な世の中において、我々少数派は異端なのです。しかし弾圧されるからといって、個別で彼らと対決しても排除されるだけです。数の暴力に対して我々は無力なのです。個別で強い抵抗を示しても国家権力も使って彼らは弾圧しようとします。そう多数派が権力を握る体制が民主主義であるが故に国家権力は多数派の道具に過ぎません。
 
 なぜ我々は弾圧されてしまうのか?それは各々の少数派が各個で戦っているからです。なぜ我々が耐えなければならないのか?それは無視出来る程度の数しか見えないからです。ただでさえ数が少ない我々がバラバラでは蹴散らされるだけ、または、排除しても特に影響がないのです。我々は非力なのです。だからといって我慢し続けていいのでしょうか?

 我々は対決でも同化でもない策を取らないとならないのです。

 それが「アジール」の再建、つまり、逃避場の再建です。無論、昔のものをその通り再建するわけではありません。近世にあったような形つまり国家権力が黙認した自治地域を再建しようとしているのです。そしてそこの住民のアジール権つまり不当に遇されない権利を獲得しようとしているのです。今でもアジール的なものがあります。例を挙げれば「飛田新地」や「雄琴温泉」などのような「性風俗地域」や、「秋葉原」や「日本橋」などのような「オタクの聖地」と言われるような場所、「新宿二丁目」などのような「セクシャル・マイノリティーの歓楽街」でしょうが、それは常に弾圧の危機に晒されています。現に弾圧された所も幾つかあります(沖縄の宜野湾市の真栄原社交街や横浜・黄金町、東京・町田などの売春街アジールがその実例で市民団体が警察権力の尻を叩き弾圧させました。警察権力は今まで黙認していたのにです。)。また、このようなものにカテゴライズされないものの、各々個人で戦っている人ややむおえず同化している人もいるでしょう。哲学や思想、大衆的でない政治を考え、語ろうとする人間などは我々の同志だと思います。多数派に向けてそれらの話題を振っても答えてくれないのがいい例でしょうし、奇っ怪な人間扱いされたりするでしょう。

 我々は潜在的な同志であることに自覚しないとならないし、少数派であるという一点で仲間であるという意識を共有せねばならないと思います。そして弾圧するのがめんど臭いぐらいの数を揃えればいいのです。数が少なすぎたら簡単に圧殺されてしまいますが、こちらがそれなりの数を揃えれば対話をしてくれる事が可能だと思うのです。我々がいることを多数派に見せつけないといけないのです。セクシャルマイノリティーの方々が徐々に認められてきているのは、存在を高らかに示して、見える形で数を揃えてきたからだと思います。彼ら、彼女らの前例に習う必要があると思います。また、我々は強くなければなりません。それは精神的な強さも必要でしょうし、自らの価値観を鍛えて強くする必要もあるでしょう。
 
 まずは我々少数派が集う場所や逃避する場、仲間づくりとなるキッカケとしてこの同人誌「あじーる!」がなることが出来れば幸いです。そして、これを読んで一人ではないことを感じてくれれば良いです。

 『共産主義宣言』を参考にして書いたこともあり、ちょっとラディカルに書きすぎた面もあると思いますが、普通は言えないような意見やいつも考えているけどなかなか言えない意見を発表する場と軽く考えていただければ大丈夫です。

                 
あじーる!主催 やま、