9月 わたしたちの生き方を通してキリストを映す

キリスト再臨のために備えよ

 「祝福に満ちた望み、すなわち、大いなる神、わたしたちの救主キリスト・イエスの栄光の出現を待ち望むようにと、教えている。このキリストが、わたしたちのためにご自身をささげられたのは、わたしたちをすべての不法からあがない出して、良いわざに熱心な選びの民を、ご自身のものとして聖別するためにほかならない。」(テトス2:13, 14)

 この聖句は、福音を信じると公言する多くの人の言葉の内にあらわされている教訓とは非常に異なった教訓を教えている。わたしたちは現世でまじめに、正しく信心深く生きるよう、そして大いなる神であるわたしたちの救い主イエス・キリストの栄光の出現を待ち望むようにと熱心に勧められている。ある人々はわたしの働きに反対しているが、それは天の雲に乗って来られるキリストの出現を個人的に待ち望むのがわたしたちの義務であると、わたしが教えるからである。この人々は、「キリスト来臨に関してホワイト夫人が語る主の日はすぐだとあなたは考えているが、ホワイト夫人は過去四十年間同じ主題を説教してきた。そして主はまだ来ておられない」と言ってきた。
 この大きな反論はキリストご自身の言葉に対しても反対を述べるものである。キリストは愛された弟子の口を通して「見よ、わたしはすぐに来る」と言われた。そしてヨハネは「主イエスよ、来たりませ」と応じている。イエスはこれらの言葉をご自分の民に対する警告と励ましの言葉として語られた。そうであれば、なぜわたしたちがその言葉に聞き従わないのであろうか。主を待ち望み、見張っているのを見られる人は忠実な人であると主が言われた。「わたしの主人は帰りが遅い」と思って、その僕仲間をたたきはじめ、また酒飲み仲間と一緒に食べたり飲んだりし始める人々は不忠実な僕であると言われた。
 キリスト再臨の実際の時は明らかにされていない。イエスが、その日その時は誰も知らないと言われた。しかしこのお方はまた、ご自分の再臨のしるしを与えて「そのように、すべてこれらのことを見たならば、人の子が戸口まで近づいていると知りなさい」と言われた。ご自分の来臨のしるしが明らかにされる時には「身を起し頭をもたげなさい。あなたがたの救が近づいているのだから」と命じられた。そしてこれらのことを見て使徒は「兄弟たちよ。あなたがたは暗やみの中にいないのだから、その日が、盗人のようにあなたがたを不意に襲うことはないであろう。あなたがたはみな光の子であり、昼の子なのである」と述べている。わたしたちはキリストの再臨の時間を知らないのであるから、「祝福に満ちた望み、すなわち、大いなる神、わたしたちの救主キリスト・イエスの栄光の出現を待ち望みつつ、」この世で慎み深く、信心深く生活しなければならない。……
 神の民はこのお方の代理者として、特有の品性を保つべきであり、一人一人になすべき働きがある。もしも神と共なる有用な働き人でありたいのなら、金持ちは自分の財産を、名声のある人は自分たちの影響力を、学識のある人は自分たちの知恵を、貧しい人は自分たちの徳を、それぞれに携えて来なければならない。彼らは神と正しい関係にならなければならないが、それは、イエス・キリストのみ顔に輝く神の栄光の光を反映することができるためである。……彼らは来たるべき審判について、人々に警告をしなければならない。彼らは人々にキリストを代表しなければならない。(サインズ・オブ・ザ・タイムズ1889年6月24日)

よろしくお願いいたします。

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