南京事件否定派が増殖するメカニズム、そして「水俣」との共通性

トラバいただいたhttp://d.hatena.ne.jp/good2nd/20061030へのコメントのつもりで。

南京事件の場合、被害国(この言い方、あまり好きではありませんが)に現時点で民主主義がない、言論の自由がないという特殊性がありますから、被害国の主張=全てウソくさい、というイメージが成立しやすいのだと思います。


ただし中国=ウソ・極悪・プロパガンダ、日本=ウソがない・イノセント、というわけではない。それは、これまで私がさんざ示してきたとおりです。むしろ、中国=ウソつきというイメージに乗じて、さんざウソやデマや印象操作を並べ立てる、及びそれらが無批判に受け入れられるというメカニズムが顕在化していると思うのですね。


これらが安易に受け入れられる理由を考えると、まず「被害者感情」を持つことが許されるということ。つまり、邪悪な中国に脅されるイノセントな日本人の私、という自己像を手に入れることができる。
もうひとつはかつて日中戦争において「加害者」であったという事実をとりあえず「棚におく」ことができる、「加害者であることの苦悶」からとりあえず逃れられる、解放される。
この2つの動機が潜んでいるのではないかと推察しています。



で、私はこの構図と、水俣病をめぐる企業側と漁民側の構図がだぶるのですね。正確には「チッソ及び水俣市民の一部」と「被害者及び漁民」ですか。詳しくは省略しますが、ある時期に、被害者をあたかも「加害者」に見立てて非難していくような(倒錯した)現象が水俣市内部で顕在化しました。かつて「水俣展」で展示されていた「被害者への匿名の手紙」の内容のすさまじさは、ネット界で頻出するヘイトスピーチを先取りしていたと思います。

乱暴を承知でいえば、あのとき水俣市内で起こった現象と同じことが、いまネット界の内外で「南京事件」や「慰安婦」やその他の問題に関して起こっているのではないか。
もっと乱暴にいえば、私たちは「水俣」から充分に学ばなかったゆえに、「南京事件」においても同じような過ちを繰り返しているのではないか、という問題意識を(私は)内に秘めています。


Apemanさんのここ数日のエントリに刺激されたのか、勢いで書いてしまいましたがこのまま公開します。不明な点は質問してください。たぶん不明な点だらけと思いますが。

追記;水俣病に関して推薦したい本は山とありますが、「常世の舟を漕ぎて〜水俣病私史」http://www.bk1.co.jp/product/1339705とか。