東京大空襲訴訟をめぐって:「軍人=100、市民=0」というシェア比率は妥当なのか?


東京大空襲については、議論しながら(レスに応じるなかで)考えが整理されてくる、という状態です。

以下のところで議論継続中です。
http://d.hatena.ne.jp/F-I/20070309

子供が母親といっしょに居る時に、暴漢に襲われ傷を負ったとする。その後、子供が暴漢より弱かったと母親を責めるのか?

責められ責任を問われるべきなのはなにより暴漢であろう。(東京大空襲は明確なジュネーブ協定違反で、非戦闘員の殺害=虐殺にあたる犯罪行為。もちろんヒロシマナガサキも。)

そもそもなぜ今頃訴えているのだ?良識的な同世代が減って恥ずかしくなくなったからか?日本の右傾化への対抗策?

実際は報道する価値すら無いナンセンス。

苦労は人を肯定しない。たとえ命がけであったとしても。

裁判官は如何なる言葉でこの手の「弱者権主張者」(勝手ながら良い定義を思いつかないので作らせてもらいました)を予め抑止出来る判例を作っていくのか注目。


日本テレビ

東京大空襲 被害者112人が国を提訴

 10万人ともいわれる死者を出した東京大空襲から、10日で62年。空襲の被害者が9日、国に対し、謝罪と約12億円の賠償を求めて提訴した。

 東京地裁に提訴したのは、1945年3月10日、東京大空襲の被害に遭った人を中心とした空襲被害者112人。原告は「国には戦争を早く終わらせ、犠牲を避ける義務があったにもかかわらず、それを怠った」として、国の責任を明らかにした上で、謝罪と12億3200万円の賠償を求めている。

 空襲による民間の被害者が、集団となって国の責任を問うのは初めて。


ここで即コメントしてしまった理由は、F-Iさんの以下の発言に対して反応してしまったためだ。

実際は報道する価値すら無いナンセンス。

裁判官は如何なる言葉でこの手の「弱者権主張者」(勝手ながら良い定義を思いつかないので作らせてもらいました)を予め抑止出来る判例を作っていくのか注目。

青狐の最初のコメント。

# bluefox014 『はじめまして。
東京大空襲の起こった45年時点で「国家総動員法」が施行されていたことを前提にしますが、

>責められ責任を問われるべきなのはなにより暴漢であろう。

原告団の主張を読みましたか? 米軍に殺された兵士や兵士の遺族に恩給が支給されているのに、米軍に殺された空襲被害者の遺族には何ら補償が行われないのは不公平である、という主張だと思いますが。兵士も「暴漢」である米軍に殺されたわけですが、日本国が恩給を支払うべきではなく、暴漢(米国)に補償を要求するべきだ、とお考えですか?』

最後の質問は、今読み直すと我ながらダメダメである。


F-Iさんのレスはリンク先を読んでもらうとして、それ以降の青狐のコメント。

それはさておき、東京大空襲で死んだ人も、空襲時に消火活動に尽力するよう命令されていました。「国土防衛」のためです。そして3/10空襲の被害が甚大な一因は、住民が「国土防衛」のための消火活動という義務に忠実だったゆえ、避難が遅れたという面があります。(ちなみに4/3空襲では、同じような量の焼夷弾攻撃が行われましたが、住民が「義務」を放棄してとっとと避難したため死傷者は3/10より少なくなりました)

「国を守るため」「危険を引き受けた者には共同体の庇護があるべき」という考えにたてば、空襲で死んだ人間も「共同体の庇護」があってしかるべきだったでしょう。

もう少しまとめましょう。45年時点で「軍人」と「市民」のあいだに、国防という「サービスを提供する者」と「サービスを享受する者」という絶対的区分が成立していたか、ということです。「国家総動員法」は、全ての国民が「サービスを提供する者」であることを命じた法律だといえます。ではサービスの享受者は誰か。この答えは「国民」ではない。「天皇」、あるいは実体不明瞭な「国体」だと思います。実際、「一億玉砕」を辞さず、という指示のもとにあり、竹槍訓練まで強いられていたわけですし。
そういう状況を鑑みたうえで、軍人への補償と市民への補償が、片方が「ゼロ」ということがありえるのか、補償に使われた国家予算(たしか2兆円だったと思いますが)のシェア比率が、軍人と市民で「100対0」ということがありえるのか、という問題だと思いますが。』

私がここにコメントを入れた主動機は「実際は報道する価値すら無いナンセンス」という言葉に対する違和感でした。
今回の訴訟は、補償予算のシェア比率が、軍人と市民で「100対0」で妥当なのか、という問いを孕んでいると思います。
「報道する価値すらない」ということは、シェア比率は「100対0」でしかありえない、という考え、ということでしょうか。