新刊紹介:「歴史評論」6月号

★特集「第48回大会報告特集/歴史における社会的結合と地域2」
・なお、詳しくは歴史科学協議会のホームページ(http://www.maroon.dti.ne.jp/rekikakyo/)をご覧ください。興味のあるモノ、「俺なりに内容をそれなりに理解し、要約できたモノ」のみ紹介する。
 大会は2日間にわたっているが「2日目テーマ」はうまく紹介できないので紹介は省略する。


第1日目テーマ『現代日本の「危機」と地域社会:平和・教育・生命』
■「ポスト高度成長期の地域政策と地域社会」(高岡裕之*1
(内容要約)
 高度成長期以降(ポスト高度成長期*2)の「政府の認識とそれに基づく政策」は「都市と地方の格差」「地方の過疎化」を克服するための地域政策であり、それは理念としては「地方の都市化、近代化」であった。具体策としては、たとえばそれは「地方への工場誘致」であった。
 いわゆる土建国家、土建行政も単に利権行政と理解するのではなく、「地方の都市化、近代化」という側面を見ることが必要である。
 都市化、近代化のためには「道路や下水道」と言ったインフラ整備が必要だったということである。
 ただし、こうした地域政策は必ずしも、格差縮小や過疎克服に役立たず、「限界集落」などといった否定面が云々され、現在、安倍政権も「地方創生」を打ち出している。


■「なぜ、教育委員会制度改革か?:教育委員会制度廃止論を構造改革の文脈で考える」(中嶋哲彦*3
(内容要約)
 地方首長によるトップダウン改革を展開させるために、安倍政権は「地方教育行政法」を改正し、「教委への首長の影響力」を強めた。しかし、一方で「教委が廃止されたわけでもなければ」「教委の独立性が完全に失われ、首長の下請け機関化したわけでもない」点に注意が必要である。
 そこには「左派などによる『教育のトップダウン改革』批判への一定の配慮」があると同時に、「首長が暴走したときの保守派の恐怖」「教委廃止論による文科省や文科族議員のパワーダウンへの恐怖」もあると考えられる。
 「地方首長が、中央政府や地方議会を無視して暴走したとき」のことを考えると自民党政権としても、「首長の権限を強化すること」には躊躇せざるを得ないと言う事である。
 とはいえ、「安倍政権によって首長の教委への権限が強まったこと」は事実であり、こうした「教育への政治介入の恐れをどう排除していくか」、「その為に教育委員会制度はどうあるべきか」をきちんと論じていく必要がある。


■「権威主義的「教育改革」と学校・地域:大阪の場合」(仲森明正)
(内容要約)
大阪市において橋下市長が展開する「教育改革」について論じられる。
 橋下教育改革の特徴として、「日の丸、君が代の強要」「右翼的歴史教育の推進」といった「復古主義的な部分」が指摘される。
・こうした橋下改革が当初、市民に「それなりに受け入れられた理由」として仲森氏は3点を挙げている。
1)大阪の深刻な経済的落ち込み
 貧困の深刻化によりうまれた怨念が橋下の「既得権益(教員、公務員)攻撃」を蔓延させたのではないかとしている。
 ただし私見だが「橋下が生活保護バッシングに親和的なこと」を考えるとそうした見方が適切が疑問に思う。また貧困層に橋下支持が多いと言うデータも別にないのではなかろうか?
2)与野党(自公民)相乗り体制への不満
 確かにこれはある程度あるかも知れないが、その場合
A)そもそも橋下は自公が府知事候補として担いだ人間であり、維新メンバーも自民離党組がほとんどであることを橋下支持者はどう考えているのか
B)当初、大阪の自民、公明が事実上の橋下与党だったことを橋下支持者はどう考えているのか
C)与野党相乗りへの批判が共産に向かわずに橋下に向かったことをどう評価するか
は気になるところではある。
3)批判勢力の弱体化
 時代の違いがあるので単純比較はできないかもしれないが、共産党の得票率の低下や、労組加入率の低下などからは黒田府知事を産んだ1970年代と比べ批判勢力のパワーが落ちていることは否めないだろう。なお、こうしたパワーダウンの原因をどう評価するかは難しい問題であり、仲森氏は論じていないし小生も論じない。
・もちろん「橋下が退陣し、維新が崩壊しても」彼らを生み出した構造が一挙に変わるわけではない。
 しかし「橋下と維新の展望」については「小生や仲森氏のようなアンチ橋下の願望込みではあるが」明るい未来はないと見ていいのではないか。潮目が明らかに変わったのは「堺市長選での維新敗北」だろう。堺市長選では「話題づくりと確実な勝利のため」松井府知事や橋下大阪市長が立つのではないかとも言われていたが結局陣笠候補が立ったこともあり、維新と対立する現職・竹山市長が「自民、民主、共産の支援」「公明の自主投票」により維新に勝利した。
 その後も「公募校長のスキャンダル発覚」などで往事のパワーを失い、都構想は議会で否決され、中原・大阪市教育長は辞任に追い込まれた。「それを挽回しようと橋下が打ったばくち」が「都構想住民投票」である(拙エントリの日付は5/17の住民投票後の5/20だが、実際には、5/13に書いている)。
 このばくちに橋下が勝つか負けるかは現時点では分からない*4が、「一時は飛ぶ鳥を落とす勢いだった維新」が「勝敗が分からない事態」にまで追い込まれ、「露骨に菅がてこ入れしようとしている」のはやはり潮目が変わったと言うべきだろう。
 橋下と維新がいなくなれば大阪がたちどころに良くなるわけではないが、まずは「橋下と維新を倒すこと」が大阪市政正常化の第一歩だろう。いろいろな思惑はあるのだろうが大阪自民が反橋下で民主、共産と共闘し、中央の圧力を蹴ったことはそれなりに評価したい。


■書評「戦争と和解の日英関係史」(小菅信子*5、ヒューゴ・ドブソン編著、2011年、法政大学出版会)(評者:岡田泰平*6
(内容要約)

http://www.h-up.com/bd/isbn978-4-588-37709-9.html
 第二次世界大戦期、アジアを舞台に戦火を交えた日本と英国。とりわけ、泰緬(たいめん)鉄道建設時の日本軍による英軍捕虜虐待をめぐっては、いまなお両国のあいだで燻り続けている大きな問題である。本書は、大戦期から今日にいたる日英和解のプロセスを国際的・国内的なさまざまなレヴェルで問い直し、「敵」から「友」への関係性の構築に向けて日英独の研究者が共同で探求する。

というのが出版社の内容紹介である。 
 ただし評者は「日英和解」という言葉に「何をもって和解というのか?」「大東亜戦争聖戦論が未だに全国紙の端くれ・産経で展開される、中韓と和解できずに敵対する日本に真の和解などあるのか?」「単に大国・英国を敵に回せないだけではないのか?*7」「和解も何も、教育の場でもメディアでもあまり取り上げないこともあってほとんどの日本人は英国人捕虜虐待問題を知らない、あるいは知っていてもあまり意識していないのではないか、和解以前の状態ではないか」と懐疑的である(まあ本書出版時には安倍政権誕生は予想されてないし、安倍政権誕生後の出版なら小菅氏らも無邪気に日英和解を取り上げることはしなかったかも知れないが)。
 評者も勿論「大東亜戦争聖戦論が未だに流通する日本ではどんな形の和解(日本政府による謝罪や賠償)でアレ、真の反省ではなく無意味」とまで言う気はないだろうが、「戦争に無反省な極右安倍政権が誕生した今」、日英和解に対する批判意識があまり感じられない本書を手放しで褒める気にならなかったと言う事だろう。
 なお、本書からは「日本が戦争をやらかし、被害を与えた国は当然ながら欧米諸国も入るが日本人がそれをあまり意識していないこと」が伺えると思う。だからこそ「靖国参拝を非難するのは中韓だけ*8」といったアホ発言が産経辺りから飛び出すわけだが「バターン死の行進アメリカ」や「泰緬(たいめん)鉄道の英国」にとってもああした戦前賛美は到底容認できるもんではない。

*1:著書『総力戦体制と「福祉国家」:戦時期日本の「社会改革」構想』(2011年、岩波書店

*2:筆者は高度成長が終了した1970年代から構造改革がスタートする2000年代までをこう呼んでいる

*3:著書『教育の自由と自治の破壊は許しません。:大阪の「教育改革」を超え、どの子も排除しない教育をつくる』(2013年、かもがわブックレット)、『教育委員会は不要なのか:あるべき改革を考える』(2014年、岩波ブックレット

*4:勿論小生は大阪のためにも日本の為にも橋下に負けて欲しいと思っている。安倍の側近・菅が露骨に橋下応援アピールをしていることで分かるように橋下の敗北は安倍政権にも一定のダメージを与えるからである。

*5:著書『戦後和解:日本は〈過去〉から解き放たれるのか』(2005年、中公新書)、『ポピーと桜:日英和解を紡ぎなおす』(2008年、岩波書店)、『歴史和解と泰緬鉄道:英国人捕虜が描いた収容所の真実』(共著、2008年、朝日選書)など

*6:著書『「恩恵の論理」と植民地:アメリカ植民地期フィリピンの教育とその遺制』(2014年、法政大学出版会)

*7:まあ中韓なら敵に回せるかといったらそんなことないんですけどね。

*8:もちろんそんなことはない