9/8 宮城へ

朝、吉野さんのお母さんが朝食を作ってくださった。本当に美味しくて感動した。とても優しい方だった。近所でもらってきた桃もいただいた。切ない話だが、こうした食材の放射線量についても吉野さんは気にしているようだった。ちなみに奥さんと娘さんはすでに疎開している。この話についてもまたあらためて。娘さんの写真が飾ってあって本当に可愛らしかった。

抜けるような晴天。川沿いをドライブして事務所へ向かう。「福島民報」と「福島民友」の2誌を読んだけども、そのほとんど全ページが福島に関する記事だった。さすがに東京都の温度差を感じざるをえない。東京ではすでに福島のことも原発のことも風化しつつあるように思える。みんな、できれば忘れたいようなことだろうから。しかし吉野さんのガイガーカウンターによれば草むらなどの地表は通常の道路より線量が高く、雨どいのように雨水が通るような場所にいたっては通常の10倍以上の数値を示していた。0.6マイクロシーベルト/時を超えると「放射線管理区域」に指定されるらしいのだが、そこは14マイクロシーベルト/時を計量している。まあこのあたりもまたあらためて。

そのあと市内のいくつかの拠点を案内してもらう。まだ19歳だか20歳だかのこの秋からマンチェスターに留学するらしいホンダくんとゆう青年がいた。8月の半ばからボランティアで福島に来ているらしい。山本太郎の活動がきっかけで福島の低線量被爆のことを知り、避難受け入れ先の調査などを手伝っているのだとか。日経ビジネスオンラインで「フクシマの視点」を連載しているフリーのジャーナリスト藍原寛子さんとも少し話をした。


 
 



で、福島に別れを告げて再び青春18切符で宮城へ。仙台に宿をとろうとしたら安い宿はほとんどもう無く、どうやらボランティアや警察関係者など様々な人たちが拠点にしているために宿はどこもいっぱいらしい。とはいえなんとかカプセルホテルが取れたのでまずは牛タンを食べてお腹を落ち着けて、それから懐かしの喫茶店にちょっと顔を出し(これについては詳しく書かない)、仙石線石巻に向かった。

松島海岸駅から先、矢本駅までは仙石線は開通しておらず、代行バスに乗り換えとなる。しばらくのどかな風景が続いていたのだが、陸前大塚を過ぎたあたりから風景が一変した。海沿いの変なところに家が建っていたりして、これは津波のために地形が変わったとしか想像できない。橋げたが崩れたり、街灯がありえない形(90度)にひしゃげたりしている。ぺしゃんこになった家も数多く点在し、たくさんのクレーン車が瓦礫の処理をしていた。震災から半年が経過しているのにまだこの状態なのだ。その中にふと、墓場があった。それまでわたしは比較的無邪気に写真を撮っていたのだが、ちょっとこの場所に来て、これは撮れないな……と手が止まった。バスや電車には地元の人たちも乗っているのだ。ただ、もしもわたしがカメラマンやジャーナリストとして自認していたならば、ここは臆せずに撮るべきだろう。ここを撮れるかどうかが何かの分かれ目だ。わたしには撮れない。わたしは東北の悲惨な状況を伝えるために来たわけではない。ではわたしはいったい何をしに東北までやって来たのか?


 



仙石線の終点・石巻にはたくさんの中高生たちがいて、ラッシュアワー並に大混雑していた。町は潰れた建物が放置してあるし、路面も陥没していたりするのだが、子供たちは目一杯元気だ。この子たちのおそろしいくらいの無邪気な元気っぷりは、決してカラ元気ではない、とは思うのだが、しかし彼らは何かしらのものを背負っているだろう。町にある瓦礫はそれを物語る。何人か、ボランティアとして来たのか、バックパッカーたちの姿も見かけたけれども、子供たちの元気さの前には気圧されていた。

美しい風景を見ながら、今度は小牛田経由のルートで仙台まで帰る。


 
 
 




宿は仙台の繁華街、国分町の中にあった。ひとまずチェックインを済ませてひとっ風呂浴びて、飲みにいく。といっても土地勘がないので、ある程度は食べログでも調べてみたけど、とにかく歩いてみよう、と思ってえんえん数十分間歩いて迷った挙げ句、もっとも鄙びた店に入った。おばちゃんが2人でやっている店で、ビールとホッピーとレモンサワーと酒しか置いてないのだが、ホッピーはすでに売り切れだった。焼き鳥と煮込みのセットを注文する。しかし、これが、美味い! 煮込みは牛タンのテールみたいなアレが入っていて、みょうがが隠し味になっていた。焼き鳥&焼きとんも美味。隣にいたサラリーマンたちがへべれけで帰っていったが会計が2人で8000円で、どんぶり勘定か、と思ったけどわたしは2100円だった。思ったより全然安かった。「東京から来たの?」とか訊かれなくてよかった。そうした紋切り型のやりとりをする気にはどうしてもなれなかった、この夜は。店内では楽天VSオリックスの白熱した試合を展開していたが、おばちゃん2人はまったく関心ないみたいだった。看板の電気を消したおばちゃんがじっとわたしのほうを見ているのでお会計を済ませて店を出た。

それで、2軒目にいく。もうちょっとコジャレた感じの店だけど安くて良心的な店だった。テーブル席に2人若い女がいて、なんとなくこの店の華みたいになっていた。おじさんたちはいささか鼻の下を伸ばしているようでもあった。サクラではないかな、と一瞬疑ったけれども、まあそんなこともないか。

だいぶ酔ったしホテルに戻るかーと思ったところで、そういえばツイッターで仙台出身KA嬢が仙台っ子ラーメンが美味しいと教えてくれていたので食べにいく。それで元気になったので広瀬川を見に行くことにした。昔、仙台に初めてきた時、この川と近くの青葉台公園を見て、杜の都だなあ、とぼんやり感じたのだった。国分町は12時を過ぎてもまだまだ賑わい、好景気を象徴しているようだったけれども、広瀬川のあたりはほとんど人影もなく、ただ静かに水が流れている。片腕のないおじさんが、無いほうの腕で手綱を引っ張って犬の散歩をしていた。Q