ふらごぽっきー


「ここをご覧の方でフランス語のわかる方、歌詞の発音&意味を教えていただけませんでしょうか…。」(おうち。


ということなので,id:yskszk氏にこっそりリファを投げて反応を期待するものです。ネットで視聴もできるようですし,ここは一つ。


それとは別の話題だけど,婦人科に行ったところで大して期待は……というのはわたしのケースだけか。病院,苦手なんですよね(婦人科に限らず)。して欲しいことを言い出せなくて,言われるがまま煙に巻かれるまま。ただ,何らかの区切りはつくので,一安心はできるかな。それでいいんだけどさ,何事もないに越したことはないし。わたくしが不正出血疑惑で訪れたときには,なんだかんだ検査されつつ,それら病気が原因ではないということが判明しただけで原因については明らかにはならず。基礎体温つけていれば,とは言われたけれど,どうかなあ。実際には出血ではなかったっぽいし,ストレスかなんかなんじゃん? と軽〜くね。


む。あの時の騒動を思い出してちょっと厭な気分に……。ちなみに思い当たるストレッサーは特になかった。


話は逸れるけれど,不快な経験の記憶というのは,その経験をした時には著しい不快ではなかったことでも,後から思い起こす度に「あれは不快な経験だった」と認識票をつけて記憶し直すという行為を(無意識にしても)繰り返すことによって,いつのまにか「とっても不快な経験の記憶」に変容しているような気がする。忘れるのが一番ですよね。……はぁ。あ,婦人科の話ではありません(婦人科の記憶もそのタイプではあるけれど)。


そんなわけで(どんなわけだ),職場で,希望者のみ若干名が臨床心理士と面談できるという募集がかけられていた。一人の持ち時間40分ということだから,そこそこ長いのか(相場がわからん)。申し込みは希望者が直接先方に行い,総務・経営は一切関知しないとのこと。「だから安心して相談してみてね」というようなことが書いてあり,どんなもんかと応募要項の詳細を見てみたが。


はぁ(嘆息)。申込用紙にさ,内線番号を書く欄があるわけ。応募者多数の場合抽選になるし実施日時を決める必要もあるから,先方から連絡が来るそうなのね。でもさ,うちの職場の内線番号って,一人ずつに振られてるんじゃないんだよね。小さな単位ごとに1つ番号があって,代表の電話だけが鳴る仕組みになっているわけ。


そこの電話に連絡が入るということは,よほど運良く自分が電話を取らない限り,近くの席の人たちの耳に(少なくとも電話を取った人の耳に)入るわけじゃん。狭い範囲で共有する内線番号だから,転送だって「保留ボタン押して,口頭で『○○さん,△△さんから◆番にお電話です』」だし。


あ〜〜〜。それって,さぁ。どうなん?


メールでの連絡ができないんだろうなとは思うけど,これなら総務が間に入ってくれた方がいい。相談の内容を第三者が関知しないのは当然だろう。だからって,やりとりの仲介もしないというのは,気遣いからではなくどちらかというと投げやりというか忙しくて手が回らないというか,そんな感じがする。根本的な問題として総務と経営はイコールじゃないし,総務の人間は社員の個人情報山のように把握しているわけだから,今更ねぇ。それが守秘義務ってもんだろう。


臨床心理士と相談しようとした」という事実を周りの人には知られたくないと考える人もいるだろう。気にしなきゃ済むのかもしれないけど,わたしはダメだなぁ。


幸い,今のところ相談したいようなこともないですけどね。例えば「顔みるだけでむかつくしたまに滅多刺しにしたい衝動にかられるんですけど,あ,滅多刺しじゃなくて後ろから袈裟懸けに斬りつけたい衝動のこともありますけど,どうしたらいいでしょう」とか相談してもどうしようもないでしょう。さすがに本当に刺しちゃうことは(9割9分9厘)ないだろうし,そこまで思い詰めるぐらいなら全部やめてしまえばいいと思っているから(幸いそれが可能な状態なので),切迫感は薄いよね。


わたしは実際に相談した経験もないので実態は知らず,これは憶測でしかありませんが,このケースであれば,放り投げないまま滅多刺しにしたい衝動がなくなればいいだろうとは思いますが,本人がその方向に解決することを切実には望んでいない(解決のために努力する意欲がない)場合は,手の打ちようがないんじゃないかと思う。相談にならないというか相談されても困るというか。どういう形であれ,最終的には本人しか解決できないことだから,「どうしたらいいでしょう」なんて本心ではどうする気もない人間に口先だけで相談されるのはエネルギィの無駄遣いで意味がないだろうな,と。ええ,あくまで例えばの話ですよ……あくまでね。

所用で朝渋谷に寄ったのだが


あそこの駅前(ハチ公口側)はとことん分かりにくい。駅前から伸びる道がでたらめなので,どの道に進めばいいのかわからないのだ。持っていた地図が略地図っぽかったこともあって記載情報が少なく,うんうんうなって選んだ道は,幸い方角だけは合っていたものの1〜2本違っていたので,最後に収拾つけるところでしっかり迷子になった。そもそも地図では西武百貨店の間を進むことになっているのに109横の文化村通り(だっけ?)に突入する時点で間違ってはいるんだけど。西武百貨店に行ったことはあるけれどその時は逆方向からだったので,駅から見てどこに西武百貨店があるのかわからなかったんだもん。


そんなこんなで20分以上彷徨ってしまった。駅に着いた当初はわたしらしくもなく余裕たっぷりだった筈なのに,最後は遅刻確実になって先方に遅れる旨の電話連絡を入れ,そこから道案内していただいたところ……実は交差点を挟んだ目の前のビルが目的地で,信号渡ってとことこ歩いて,2〜3分遅刻したでしょうか。情けなし。といっても帰りも10分ちょっと歩いたような気もするから,もともとそれほど駅から近くもないようですが。


目的地は東急ハンズの少し先だったんだけど,まず東急ハンズに行けないし。駅→ハンズコースは,行ったことがあったとしても高校の修学旅行以来だからね(それも確実に行ったかどうかは覚えていない)。うぅむ。こないだかおりさんと渋谷行ったときにハンズ横→西武→駅と歩いたんだけど,その道ではなさそうだった(ちょうど建物の反対側にあたる道を通れれば正解だったのかな,よくわからん)。そして帰り道も途中で「こっちが駅への近道かも」と勝手に判断してふらふら車線変更(?)かけてしまったので,次に行くときもまた,やや迷子モードから始めなくてはならない。


それにしても平日午前10時過ぎの渋谷駅周辺って,空いてるのねぇ。あんなに人の少ない渋谷駅前(ハチ公口)って初めて見たわ。

歳月と成長


某所で某氏と某氏が誰かのことをさして成長したとかしていないとか言ったとか言わないとかだそうですが,突発的単独行動は今に始まったことではないようですよ。2000年の春先,まだ京都に住んでいた頃,「急に思い立って」ぐらいの勢いで,夜行バス(手配が遅かったので京都発は既に満席で,なんばのO-CAT発)の片道切符とお茶の水辺りの宿を手配して東京に出かけたことがあるようです。まともに就職活動しなかったので,夜行バスを利用したのはそれが最初(で今のところ最後)。宿泊は大学受験を除けば初めてでしたか。チケットの手配も,なんかいい加減(ネットで個人譲渡)だったような記憶が。


で,それぐらいだろうと自分でも思っていたのだけれど更に遡れば1996年の春先,まだ岡山に住んでいた頃,用意周到に一人で大阪日帰りしたこともあったようです。高校卒業後の春休みに一人で大阪日帰りなんてちっとも大それたことではないかもしれませんが,取りあえず,合格発表待ち中の3月20日場所は大阪城ホールで某バンドのライブ(知らずに当該団体を言い当てられる人はいないだろう),当然のように終了は21時を大きく回り,帰りは……新幹線だったと思うんだけど(よく覚えていません)。一応,大阪城ホールは2回目だったので(1度目は友人と一緒に行った。定期テストの真っ最中でしたが)冒険的ではないんですけど。でも,今から考えればどってことなくても,当時は環状線の外回りと内回りの区別もついてませんでしたし,帰りの新幹線はダッシュでぎりぎりな感じだったし,よくもまぁ。


あのときは,その直前に1泊か2泊で中学時代の友人と総勢4名で佐世保ハウステンボスに行ってたんだよな。試験が3/13,14で発表が23日だったから,ほとんど家にいなかった,と。その間実家では着々とわたしの引っ越し準備が整えられていたわけで,それを見たくなかったという繊細な精神状態がわたしをして外向きに駆り立てていたのです,というのは順序が違うから嘘だけど。


逆に言うと,その2つぐらいしか思い浮かばないということでもあるのだけれど,ここに来て頻度が増えているわけでもないような。


閏年だからじゃないですかね。なにやら珍しいことをしてしまうという。


そういえば在カナダの友人に初めて会ったのがその2000年@東京でしょう。その時は会いに行ったのとは違うけど。

ケイ先輩に指摘されるまで気づかなかったのだが


24日のブログのコメントで一人称に「僕」を用いているのが、すごく意外だ。初出、って感じではなかろうか。」


わたしもそのコメント見ていたので,スルーしていた自分が悔しい。さすがケイ先輩,kuro氏のことをよくごらんです。


kuro氏,聞くところによると,直接会ったことのない人に女性だと思われていたこともあったようですが。吸っている煙草の銘柄にしろ職種(今はそうでもないか)にしろ。一人称代名詞は特別女性的ではないと思いますが。


文章だけでなく,プライヴェートで会って話すときも一人称「ワタシ」なのにね。一体どういう風の吹き回しかはたまた何らかの心境の変化なのか。


どうでもいいけど,普段一人称代名詞に「僕」を使わない男性とサシで話をしていてふとした拍子に「僕」と言われるとはっとします。なんていうのかなあ。焼き肉を食べるカップルみたいな。ものすごい喩えですけど。他の人には見せない一面を見せられたようであり,気を許されているような感じがして,なんとはなしに嬉しいものです。


ただし,残念なことにこれはわたしの一方的な解釈であって,おおかた,当の男性本人はそういった深い意図を持って発しているものでもないのでしょう。自分では一人称代名詞を使い分けないのでピンとこないけれど,さまざまな一人称代名詞を使い分けている人にとっては,普段その相手に対しては使わない代名詞を用いたからと言って,うっかり口をついて出ただけで特に何かあるというのでもないんじゃないかとも推測されますが,この辺は一人称使い分けをなさっている方々のご意見を伺いたいところです。(0:49)