カエサルが書きたくて…

今朝はNHK-BSで塩野七生のロングインタビュー番組が放映された。彼女ももう相当いい年だと思うが、舌鋒は鋭く老いを感じさせない。つい最近も「十字軍物語」を書き終えたばかりらしい。でも彼女は以前に聖ヨハネ騎士団の事を確か3部作で書いている。何れも激しい戦闘の記録であり、戦いを描く女流作家の面目躍如である。「レパントの戦い」「ロードス島戦記」「コンスタンチノープルの陥落」の3部作だったか?

とにかく彼女は継続、持続する作家である。例の「ローマ人の物語」も一年に一巻、15年で15巻を書き上げた。でも今日のインタビューで彼女は初めは「カエサル」の事を書きたかったらしい。でも完璧主義?なのでその前後も書かなければならない。すると「ローマ人の物語」全15巻を書く事になる。文庫本で45冊にもなる。僕も出だしの3巻位は読んだが最後まで続かなかった。読むだけでもしんどいのに、書くほうのしんどさは如何ほどであろうか?でも彼女は諦めずにしぶとく机に向かう。女性本来のしぶとさだろうか?男性ならば途中で投げ出したくなるだろう…。

でも彼女の著作はギリシア・ローマ世界、地中海世界を網羅する。「海の都の物語」もヴェネツィア共和国1000年の歴史を克明に描いていく。その全体を通じてヴェネツィアのしたたかさ、賢牢さ?が解き明かされる。日本が歴史に学ぶとすれば、大国ローマを参考にするのではなく、中規模商業国家ヴェネツィアを参考にすべきかも知れない。彼らは中規模都市国家だが戦いにも強かった。彼らの船団は度々大国オスマントルコの海軍も破った。しかし普段は平和な貿易商業国家であった…。

僕も以前にこのブログでマックス・ガロの「カエサル」の事を書いたが、多分読むんだったら塩野の「カエサル」の方がはるかに面白いだろう。このインタビューで塩野は「ローマ帝国1000年の歴史」について、こんなに長期間世界に君臨できたのは、ローマのクレメンティア?、寛容の精神のせいではないかと言っている。それとローマは多神教で、一神教が持っている他を許さない偏狭さを持っていない。さらに彼女はカエサルに関連し、リーダーの資質を五つあげた。知力、説得力、耐久力、持続する意思、自己制御能力の五つである。

確かに現代の政治家でも、これだけの資質を併せ持つ人間は少ないかも知れない。しかしこの五項目は皆普遍的なものである。それをバランスよく持ち合わせ、行政手腕に生かしていったカエサルでも、最後は暗殺の刃に簡単に倒れてしまう。彼を倒したものは多分彼の才能に対する嫉妬だろう。だから幾ら優秀な人間でもその存在価値は相対的なものである。カエサルも信長も事業半ばで命を奪われる。でも彼らは死の直前まで暗殺の危険を感じていない。というか自分の命をあまり大事に考えていない。あまりに無用心と言おうか?歴史のアイロニィと言うべきか?

塩野がギリシア世界、地中海世界にのめりこんでいくきっかけは、日比谷高校時代「イリアス」に出会い、アキレウスに魅せられたからだという。なるほど彼女の感性は出だしから違う。僕は70才を前にしてやっと「オデュッセイア」を読み終わり、今は「イリアス」の上巻で逡巡している。聖なるイリアストロイアの地でアルゴス勢、トロイア勢の両軍が長々と戦いを繰り広げる。その冗長さ、その緩慢さ。でも彼女はそうは感じなかったんだ。だから僕はまだ下巻のアキレウス出陣のところまで辿り着いていない…。なるほど彼女の戦記ものの執拗さ、微細さは「イリアス」のそれと共通しているのかも知れない。彼女の感性はイリアスの戦場に同調するんだ…。


考えてみれば僕はまだまだ塩野の著作に数多くは触れていない。「ローマ人の物語」も、今度の「十字軍物語」も我慢強く且つ執拗に読みこなさなければならない。だから単なる読書と言えど、ほどほどの熱意と執拗さが必要だ。こうなると多分数年がかりで読まなければならないだろう…。