慰安婦像をめぐる大阪市の姉妹都市解消についてBBCの記事


大阪市だけの”ローカルな問題”と思っていましたが、吉村市長の子供じみたサンフランシスコ市との姉妹都市解消の問題は海外紙でも大きく取り上げられて大阪市の反発は世界的にも知られるようになり、その分、慰安婦像はクローズアップされる結果に。

山崎 雅弘
‏@mas__yamazaki 10月6日

BBCも「慰安婦像」の写真付きで紹介。BBCやガーディアンは既に、詩織さんの事件をはじめ、現在の日本社会でどれほど女性の人権が侵害されているか、女性に対する差別や偏見が横行しているかを、大臣の暴言等と共に繰り返し報じてきたこの件も当然、同じ文脈上で理解される。


クーリエジャポンの事『慰安婦像の設置を主導した団体が反論「大阪市長は真実を恐れている」 | ついに姉妹都市の解消に発展…10記/5(金) 15:02配信』 の最後の部分に早速反応する吉村市長。
「我々の先人は国と家族を守るために命をかけて戦いました」というのは、蒙古襲来のことを言ってるの? まさか、侵略戦争といわれている第二次大戦のことではないですよね。あの戦争は日本が始めたのですから「攻める」戦争で「守る」戦いではなかったはず。沖縄や本土がやられたのは日本の戦争指導者の玉砕思想のせいでした。サンフランシスコ市の慰安婦像の問題は、それこそ話し合いで解決すべき問題で、それを「戦う」なんて言葉を使うから、おかしくなってくるんですね。

想田和弘さんがリツィート
盛田隆二
‏@product1954 10月5日
せっかくサンフランシスコ市長が「人々の間に60年以上続いた関係を1人の市長が一方的に終わらせることはできない」と非難しつつも、大阪市との人的交流を続ける方針を示してくれたのに…。相手が大人の対応をしてくれて本当によかったと国民は安堵してるのに…。何言ってるの?原因を作ったのは君だよ

吉村洋文(大阪市長
@hiroyoshimura 10月5日
サ市の日本領事館。安倍総理まで批判されてます。真実を恐れて歴史を否定しているらしいです我々の先人は国と家族を守るため命をかけて戦いました。国としてサ市の慰安婦像について真実を明らかにするため戦う覚悟があるなら僕も現地に入って参戦しますhttps://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20181005-00000003-courrier-pol … @YahooNewsTopics

山崎 雅弘
@mas__yamazaki 10月6日


先の戦争で日本軍人が戦ったのは「天皇天皇中心の国家体制(国体)を守るため」であり、国土や家族を守るためではありません。自分は国土と家族を守るために戦うと言う日本軍人がいれば、非国民として断罪されました。政令指定都市の市長が自国の歴史を歪曲しては駄目です。

・しかも「現地に入って参戦」とは何ですか? 歴史の研究や学習は、事実の探求が目的であり、自国と敵国の戦いではありません。政令指定都市の市長が、「歴史戦」と称する20世紀型の粗雑な政治プロパガンダ戦で頑張れば頑張るほど、国際社会におけるオオサカ・シティの評判は失墜します。

BBCの記事を全文引用です:https://www.bbc.com/japanese/45755385

大阪市、米サンフランシスコ市との姉妹都市解消 「慰安婦」像めぐり

2018年10月5日


米サンフランシスコ市のロンドン・ブリード市長の事務所は3日、日本の大阪市の吉村洋文市長から姉妹都市関係解消を通知する書簡を受け取ったと発表した。像は第2次世界大戦中に日本軍兵士の性奴隷として働くことを強いられた女性を象徴しており、大阪市は設置撤回を求めていた。
大阪の吉村市長は、「慰安婦」像が「両市の信頼関係を破壊」したと述べた。


(像は、朝鮮半島と中国とフィリピン出身の若い女性3人が手をつなぎ円を描く様子を描いている)


軍用買春宿では第2次大戦中、約20万人の女性が働かされていたと推計されている。
サンフランシスコ市に建つ像は、「女性の強さの柱」と名づけられている。当初は民間団体が設置したが、昨年11月、サンフランシスコ市が市有化を決めた。
像は戦時中に軍用買春宿で働いた女性を象徴している。国連の報告書によると、女性の中には料理人や清掃員として有給で働く求人に応募した人もいたという。


大阪市とサンフランシスコ市の姉妹都市関係は1957年に始まった。サンフランシスコ市との姉妹都市を解消するとの吉村市長の決定は、昨年11月に発表されていたが、同年12月に当時サンフランシスコ市長だったエド・リー氏が急死したことを受けて延期されていた。


リー氏の後任に就いたブリード氏は、同市初の黒人女性市長となった。


吉村市長は姉妹都市解消の決定を、理由を記した10ページの書簡でブリード市長に通知した。書簡によると「問題」の一部は、「不確かで一方的な主張を歴史的事実として記した」碑文だという。
さらに書簡は、「『慰安婦』の数、旧日本軍の関与の度合い、戦時中の被害規模などの歴史的事実については、歴史家の間にも見解の相違がある」と付け加えた。


碑文には「この記念碑は、一九三一年から一九四五年まで日本軍によって性奴隷にされ、『慰安婦』と呼ばれたアジア太平洋地域十三カ国にわたった何十万人の女性と少女の苦しみを表しています」と記されている。



(左の4人目の女性像は、自分の経験を初めて公に話した女性を表したものだ)


これに対しブリード市長は声明で、関係は「60年以上」緊密に続いており、両市の絆を断ち切るのは不可能だと述べた。
「我々2都市の市民間に存在している関係を、1人の市長が一方的に終わらせることはできない」とブリード市長は書いた。


若い女性の像のそばには4人目の女性像も建っており、記念碑の一部となっている。この年配の女性像は、朝鮮半島が日本の支配下にあった戦時中の自分の経験を初めて公に語った金学順(キム・ハクスン)氏を表している。


ブリード市長は声明に、記念碑は「奴隷化や性目的の人身売買に耐えることを強いられてきた、そして現在も強いられている全ての女性が直面する苦闘の象徴」だとも記した。


「彼女たち犠牲者は尊敬に値するし、この記念碑は我々が絶対に忘れてはいけない出来事と教訓の全てを再認識させる」


(英語記事 Osaka cuts San Francisco ties over 'comfort women' statue)