プラハ −旧王宮・聖イジー教会−(5月9日)
次は旧王宮。
大聖堂の隣にあります。
(写真右。淡い紫の建物)
最初に大広間“ウラジスラフ・ホール”を見学。
天井の格子の曲線がきれいです。
儀礼などの会場だけでなく、馬上槍試合も行われてたとのこと。
それくらい広いです。
(馬が登りやすいように階段の段差も低い)
ホールを抜ける途中、脇にある廊下を渡ってボヘミア官房っていう部屋に入りました。
17世紀頃チェコを治めていたのは神聖ローマ帝国。
キリスト教カトリックの国です。
領内のカトリック化を進める帝国政府の下、対立するプロテスタント派の人々は
厳しい弾圧を受けていました。
そんな中の1618年、プロテスタント派の貴族達がこの部屋に押し入り、
役人達を窓から放り出す事件が起きます。
(第二次プラハ窓外投擲事件。既に誰かが一回やらかしてました)
これを機にチェコのプロテスタント派が反乱を起こすと、徐々にヨーロッパ各地に広がり、
各国を巻き込む戦争に発展。
結局、1648年まで続きました。「三十年戦争」として教科書にも出てきます。
そんな大事件のきっかけになったとは思えないくらい普通の部屋です。
そこに自分が立ってるのも含めて不思議な感じでした。
旧王宮を出て、今度は聖イジー教会に向かいます。
チェコの領主ポジヴォイの妻・ルドミラがモデルです。
聖ヴィート大聖堂のガラス絵にも孫のヴァーツラフ1世と一緒に描かれてます。
(中央左が本人、孫はその右下)
キリスト教の熱心な信者だった彼女は、いずれチェコの領主になる孫を立派なキリスト教徒に
するため一生懸命教育します。
ただ、彼の母親からすれば、いくら義理の母とはいえ、自分の息子に必要以上に干渉してくる
のは面白くありません。
孫(息子)をめぐる嫁姑バトルの開始です。
また、当時はキリスト教自体に反対する人も結構多かったようで、そういった人達は
母親側に味方するようになり、対立はさらに深まっていきました。
そうした宗教、政治、家庭、色んな事情が絡むなかで、ルドミラは暗殺されてしまいます。
首に巻いていた布で絞殺されたらしく、ガラス絵にも石像にも彼女の首には布があります。
その後、孫のヴァーツラフ1世はチェコのキリスト教化に大きな力を尽くしました。
彼も暗殺されるんですが、聖人として今でも崇拝の対象になっています。
ルドミラの教育もムダじゃなかったようです。
今日はここまで。