2003年、ハーバード大学のマーク・ザッカーバーグ(ジェシー・アイゼンバーグ)は、天才だが人付き合いが苦手。そんな性格が災いし、彼女にフラれた彼は、勢いで大学中の女子生徒をランク付けするサイトを作り上げる。このサイトはなんと2時間で2万アクセス以上に達し、マークの悪評はハーバード中に知れ渡ることになる。
そして彼の頭では新たなアイディアが浮かぶ。ネット上での社交場をつくりあげることだった。これがフェイスブックの誕生。
しかしマークは、ハーバード大の学生から「アイデアを盗用された」と訴えられる。そして、サイトが大きくなり、設立当初からの親友のエドゥアルド(アンドリュー・ガーフィールド)もマークから離れて行く…。
観賞日
2011年1月19日
【85点】
この物語は、単なるサクセスストーリーではない。
むしろサクセスの部分は驚くほどあっさりと描かれる。
こういったサクセスストーリーのたぐいでは、
少ない会社のメンバー同士が友情と話し合いの中で人間ドラマを成立させることがよくある。
普通は全世界に拡がっていく努力の過程を見せることで人々の共感を得て、達成感を共有させるだろう。
だが、デヴィット・フィンチャー監督は(『ファイトクラブ』、『セブン』)、アーロン・キーソン脚本、は「そう」はしなかった。
スピード感溢れる激動のネット時代を描いた映画だが、
仕上がったのは、
普遍的要素を含む、青春群像劇的映画だ。
だからこそ世間でコレだけの大絶賛か。
だれもが求める、人との繋がりへの憧れ。
”理想郷 -- ネット上でコミュニティをつくる”を完成させるというひとつの目標へと熱中すること。
この普遍の二つの要素が軸となり、青春の感情の揺らめきが混ざり合って映画が構成される。
ただぼうっと観ているだけでは、ジェシー・アイゼンバーグ演ずるマーク・ザッカーバーグの頭の中は理解しがたい。というのも、彼の描き方が”周辺的”だからだ。
視点がいくつかあり、彼が主役という割には彼自身が見えてこない。
これにはマーク自身や友人のエドゥアルドに取材できなかったという裏事情もあるのだろう。
だが、結果として冷静な視点の映画として成立した。
ここが、この映画の肝であると思う。
それは、全編に渡って展開される洪水のようなマークのしゃべり方にも代表されている(とにかく早い!)。
洪水のような台詞が流れ込んでくるのは、私達が普段ネット上に溢れる情報に晒されているのにも似ている。
特に冒頭の、
彼女としゃべるシーンでは、マークの皮肉屋・天才的なところが強調されるが、その文字量に圧倒される。
オープニングの導入だけで、「正直すげぇなこれ…」という印象。
成功を収めるためには犠牲がつきもの。
自分の理想の為に、何かを裏切ったり何かを切り捨てるという選択も必要になる。
それは大企業の、急成長する会社のトップには必要な非情さなのだろう。
事実、ビル・ゲイツやスティーブ・ジョブスも使えない人間は切る。
だが、その非情さこそが残酷な真実だ。
熱中してフェイスブックを作り上げていく中で経営のスピリットをマークは当然のごとく備えていた。
この点で、観客が彼に反感を持ったとしてもしょうがないのだが、自分としてはぬるい友情劇よりもリアリティあると思わず感心。
非リア充からフェイスブックを立ち上げるまでに至ったマークだが、
成功を収めても彼自身の根底を変えるまでに至らず、
彼もまた私達と変わらない、「つながり」をも純粋に求めた人間だということをラストシーンで納得させられた。
人間の孤独に対する不安という普遍的感情。
マークのコミュニケーション不全が、映画的脚色によるものだったとしても、このシーンは監督・脚本からのメッセージだったのだろう。