はや「本日」ですが。
メモ:Ian Watt
注文していた『イギリス小説の勃興』が届く。
表紙に著者名のカタカナ表記がなく、また訳書のどこにも原著の書誌が書いてない。なんだかちょっとめずらしい翻訳本。(あんまし私には関係ないことではあるけども──2001年には「New Edition」というのが出てるようでもあり──そういうのはちょっとだけ気になる。)
- 慶応大学文学部英米文学専攻>【Ian Watt以降の小説発生史関連の重要文献】
http://www.flet.keio.ac.jp/~englit/bibl/bibl_18.htm
Ian Watt, The Rise of the Novel: Studies in Defoe, Richardson and Fielding (Berkeley: University of California Press, 1957)
18世紀のイギリスで小説という新しいジャンルが発生した背景と理由については、この著作を端緒として、特に80〜90年代に汗牛充棟、様々な論考が発表されている。20世紀後半から21世紀初頭の今日に至る18世紀イギリス小説研究は、Wattが示した「定説」をいかに発展させ、いかに乗り越え、いかに覆すかという試みの連続であったといっても、過言ではない。Wattの視点の確かさと論の説得力は、いまだ輝きを失ってはおらず、すべての18世紀イギリス文学研究者が一度は熟読すべき必須文献である。そして、今日、18世紀小説を学ぶものは、Watt以降の小説発生史をめぐる議論の変遷を、ひとつひとつの文献を参照しながら丹念に追い、その上で自らの立場と視点を定めることが必要である。そこで、1980年代以降、学界に強い影響を与えた小説発生史関連の重要文献を、以下出版年順に列挙して行く。
日本語で読めるのは、これだけですなぁ。
海保真夫 『文人たちのイギリス18世紀』 (東京: 慶應義塾大学出版会、2001) :演劇と政治、文学と法律、あるいは同性愛、賭け事、ポルノグラフィーといった、極めて18世紀的なトピックに焦点を当ててSwiftやGayなど18世紀の主要な文学者たちの諸相を論じた研究書。18世紀イギリスとその文学を知る格好の入門書であると同時に、研究テーマや研究の方法論についても有益な示唆を与えてくれる。
- 海保真夫、『文人たちのイギリス十八世紀』、慶応義塾大学出版会、ISBN: 4766408586、2001/07、2,625円
王制復古期から18世紀のイギリスに生きたさまざまな文人と彼らの作品について論じたエッセイ集。階級・宗派間の対立が激しく、「自由の国イギリス」と唱われながら、その実不自由であった時代を、苦闘しつつ生きた人々の姿を描き出す。 『ガリヴァ旅行記』のスウィフト、『ローマ帝国衰亡史』のギボン、英国初の本格的ポルノグラフィー『ファニー・ヒル』の作者クレランドらが登場。当時の同性愛観、賭事観も語られる。
実はわたくし、社会学者みたいなものなんです…
世の中にはほんとにいろんな人がいるなぁ。社会ってフクザツー。
id:morutanさんのブログ、5月27日分エントリのコメント欄にて、あさ(@逃避日記)さんの曰く:
ルーマンなので、ちょっとだけ出てきてみました(伏せてますが、実は社会学者みたいなものなんです…)。
まず主体性の話なんですが、ルーマン本体のなかには主体性がむちゃくちゃ入ってる気がします(ルーマンは「創発性」と呼んでますけど、そんな気取りは無視です)。
ある意味では、ルーマンは最初から最後まで主体性の人だといっても良いくらいでして。
ていうのは、まあ社会学の発展史と関係があるんですが、70年代くらいまであった「システム対個人」の対立を、一応統合したのがルーマンだということになってるんです(ただ、このあたりは危険地帯なので理論屋さんたちは一っ言も言いませんけど)。
それから、あともう1点、こっちの話なんですが、官僚的システムってのはタテマエ的なルールであって、世の中の大部分(ってか見えない部分の重要なところ)ってのはコネクションとかそういうもので決まってる場合が多い
・・特に日本の場合は
(ex.地方選挙における談合・集会の実質的力, 会社内部の意思決定のフロー, ボトルネック独占...)これは、多分入ってます(少なくとも、最初の頃は入ってましたし、最後の方の話に入れても、論理展開には全く困りません)。20世紀初頭のドイツ社会学ならオモテの話ばっかりしたと思いますが、アメリカ社会学の台頭以来、そういうことはなくなりました(コネクションの話だと、ブラウの交換理論なんかがおもしろいですね。これも、ルーマンの行為論に繋がっていく話だと思います)。
それと、システム論の話なんですが、社会学のそれはあまり真剣に考えない方がいいんじゃないかと僕は思っています。
社会学者って、面白そうな話は何でも使っちゃう人種ですから。
「たとえ話のひとつ」というあたりの理解が、一番穏当なのではないでしょうか。ルーマンだって、システムの専門家じゃないです。社会学者にとっての勝負は、人間にまつわる現象をいかに説明するかというところですから(そして、他の説明と読者獲得を競うわけです。「読者がいる」というのが、社会学にとての最上の存在理由なのではないかと、僕は思います)。
まあ、本当は、たとえ話なんかない方がいいんですけどね。誤解のもとですし。
あと、ルーマンに関しては、「ルーマン社会システム理論」あたりかおすすめかと。ドイツ人が書いた解説書で、比較的まともです。
日本人が書いた西洋の学者の解説書って、本当の所あんまり良くないと思うんですよ。社会学っていうのは、大体のところ「社会現象論+哲学(+もろもろ)」だと思うのですが、日本人が解説すると、後のほうに偏る傾向がある気がするんです。異議を過度に強調しますし(いや、それはそうしたほうが学会で生きていきやすいからなんですけどね・と社会学的解説をしてみる)。
えーと、そんなかんじでしょうか。とりあえず、今後ともよろしくお願いします。
- あさ (2004-05-28 20:46:01)
どこで「伏せて」いるのやら。
ていうか。ルーマンって「主体性の人」だったんだ。しかも「最初から最後まで」! へー!
で、「むちゃくちゃ入ってる」らしい、その「主体性」って、いったいどういうもんのことですか?
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- 橋本 治、『上司は思いつきでものを言う』集英社新書、集英社、ISBN: 4087202402、2004/04、693円