『心脳問題』談義:お返事(未遂)

八雲さん曰く:

本日、10年勤めたゲーム会社(コーエー)を退職した。

ΩΩΩ<な、なんだってーーーーっ!!!
音楽制作の仕事紹介してもらおうと思ってたのにーっ!?

お、おぃ、勝手になにを....。
とととととととりあえず退職おめでとうございました。


といったことはともかく。『心脳問題』ASIN:4255002770)談義。
八雲さんからお返事をいただきました:

と言いつつあらかじめ申し上げますると、私の読解が及ばず contractioさんの疑問を理解・共有したとはいえない状態なのです(スミマセン > contractioさん)。
http://d.hatena.ne.jp/yakumoizuru/20040702#p1

あぃ。こちらこそ、中途半端な問いを投げてすみません。

やり取りのうちの、私が書いたものについては、カテゴリ [Sin-No] を辿ってください。>奇特な閲覧者

[略]
・このように社会のなかで脳科学がどのように機能するか(どのようにわれわれの生きる条件を改変するか)、ということを考えるさいには、「政治的」な視点が欠かせないのではないか。[略]
──という次第。だから「政治(的)」という言葉をユルく使っていると言われれば、たいそうユルく使っているのだな、と思いました。



  このように社会のなかで脳科学がどのように機能するか(略)、ということを考えるさいには、
  「政治的」な視点が欠かせないのではないか。
と述べられる=問われるとき、おおまかにならば私にも、「それはそうかもしなれないなぁ」というふうには 思えます。なので、私がこだわっているのは、もう少し些細でささやかなところ、なのです。すなわち:

  • 【A】「社会のなかで脳科学がどのように機能するか」ということを考える

という課題設定を、

  • 【B】「政治的」な視点(が欠かせない)

という表現と結び合わせるときに生じている(ように私には思われる)、その「飛躍」、これである*1
つまり、もっとも簡単かつベタに問いを定式化すれば、問いたいのは、

  • 課題【A】に対して、「政治的」という形容詞を付し(たくなっ)たのは、どうしてか
    • ex. 「哲学的」でも「宗教的」でも「道徳的」でも「倫理的」でも「規範的」でも「公共的」でも「経済的」でも「法的」でも「科学的」でも「科学論的」でも(中略)なく、どうして「政治的」、なのか。

ついでに言えば、前段で使われている「社会の中で」をそのまま展いて、「社会的」という言葉も使えたはず。するとこういう文章になる:
  • 社会のなかで脳科学がどのように機能するか(略)、ということを考えるさいには、「社会的」*な視点が欠かせないのではないか。
そしてこの文章は──なるほど──ほぼ「トートロジカル」にみえる。ということは逆に/やはり、ここで(「社会的」ではなく)「政治的」という言葉を「選んだ」ことには「価値」がある、ということでもある。とすれば同時に/やはり、「どうして政治的という形容を選ぶのか」と問うことには、意味がある。
* ちなみに社会学者であれば、おそらくこの語「社会的」を選んだだろう**。そしてこの場合、「社会的」は、超越概念的に使用されているわけである。つまり「政治的」と「社会的」はどちらも「超越概念」として使用しうる。さらにいえば、「倫理的」も「道徳的」も「経済的」も「法的」も「規範的」も「公共的」も(中略)、そうなのだ***。──職能神たちFunktionsgötter の争い****。
** あるいは、「批判的」かもしれないが(藁。:「社会のなかで脳科学がどのように機能するか、ということを考えるさいには、「批判的」な視点が欠かせないのではないか。」──うん。いかにもありがちな文章であるw。
*** 「位置価」は違うが、「批判的」もまた、超越概念として使用されているようだ。──特に社会学の文献で出会う例はそうであることが多い。
**** cf. 馬場靖雄「ルーマンの68年」#3[2001(関西社会学会第52回大会@桃山学院大学報告原稿)]
ということなんですが、この問いはこのままでは、「言葉遣いの問題」にしか聞こえない、──ですよね。たぶん。
それにやっぱり、「政治的って言葉を、超越概念的に使ってるよね。」で「言ってること理解しろ」というのは、無理がありましたなw。(笑うところじゃないか。すみませーん。)


いずれにしても、この問いが「どんな問い」であるのかをちゃんと示すためには、もう少しテクストに即した形で──「第2部」で、何がどのように扱われているのか、ということについて──の検討をしないと無理ですね。10日までにそれができると良いのですが....。うーむ。どうかな。 とりあえず、現時点では、頑張ってみようと思っております。(ぐはっ。書いちゃった。)

*1:© 渡辺二郎。ちと無理があった。

マクマーチン裁判

下記書籍の著者、フクライさんの講演会から帰宅してみたら、謎の親切な書き込みが。ありがとうございます。

# herb2003mi 『マクマーチン裁判についての学習会は、7月9日です。お待ちします。』 (2004/07/02 18:39)

ほかにもなんかイベントがあるんですかね。その、「学習会」というのは存じ上げませんでした。よろしければ詳細情報希望いたします。



おぉ。
google:マクマーチン裁判+7月9日 で検索したら、これ↓がヒット。イソターネトーてすばらしい。

陪審裁判を考える会:連続講座「市民による司法参加 :陪審裁判」

  • 日時:2004年5月14日(金)、6月11日(金)、7月9日(金)の3回。(開場:午後6時、講義開始:午後6時15分)
  • 主催 陪審裁判を考える会
  • 場所  横浜開港記念館7号室(横浜地方裁判所正面)
  • 参加費 無料(参加申込不要です)
  • 定員  40名程度(最大48名)当日定員になり次第締め切り



第3回(7/9)