生活保護

震災とか不況がどうとかでなく、これからどんどん高齢化に社会が向かうんだから増える一方だろうな。
日本の全世帯5190万に対して151万世帯が受給。100世帯集まったらそのうち3世帯は受給していることになる。
確かに多い。

年金が少なくてやっていけず生活保護に切り替えるパターンもあるらしいので、年金制度の代替措置として受給者が
増えているという現実もある。。表向きの数字の増加の裏には年金制度の機能しきれていない問題もひそんでいる。
高齢者の生活保護と中高年の生活保護は意味合いが違うわけで、今後制度的に分割していったほうがいいんじゃないかな。

どっちにしろ消費税は増税するしかないよね。
子供持ってると思うもん、次の世代に負担を残せない、って。

芥川賞の

田中慎弥さんの受賞会見での個性的な振る舞いなどが話題になっている。

MSNニュースでも、「絆はやっかい」というコラムを出していたが、氏らしく斜にかまえた内容で、しかし私は清々しく感じた。
NHKの紅白で日本中みんなひとつだよ!みたいなムードをことさら演出して(国営放送だからそうならざるを得ないから、いいけども)るのに軽く冷めてた私はなんだか氏のコラムに共感してしまった。

東北地震後、募金もあちこちでしたし、東北産のお米・野菜をできるだけ買おうとしたりしてきた。
それでも、私は個人の生活を守っているだけで、被災地の人たちに何ができていると胸を張れることもなく、自分を生きている。

みんな仲良しなんて思い込みと妄想の産物だといちいち茶々を入れたくなる私みたいなひねくれた人間にはなんだか氏のたたずまいは
一種軽快に響くのである。

人は一国一城の主なわけで

野田聖子さんの50歳での出産と、お子さんが障害を持っていたことについて、ネット上で凄まじい賛否が繰り広げられている。(ほとんどは否定)

同じ子を持つ母として、なんとも言葉にできない。
私も、自然に子供を持ちたいと思っていたし、子供が授かればそのほかは何もいらない、自分の命と引き換えても、と思うほどだった。
だから、野田さんのなりふり構わない「母になりたい」という欲求はわからないでもない。

結局、その人の心のひだに踏み込むような部分まで、他人はあーだこーだ言うことはできない。
野田さんのブログがあまりにKYだ、能天気だ、と批判されている。
しかし、あくまで表の顔しか私たちにはわからない。
本当に、あのブログの通り、常識を欠いた人の神経を逆なでするような人なのかもしれない。
逆に、自分の弱みを見せないよう強く生きてきた彼女には人生の試練に打ちひしがれた自分を見せることはできないのかもしれず。
陰で泣いているかもしれず。心を裂かれながら、笑うしかないのかもしれず。

人は自分の人生の王様。
前向きに生きていくためには他人から不快に思われようが、思いこまないと生きていけないことが多々ある。
客観的に見たら、自分はみじめだとわかっていても、
「でも○○だから、○○だったから」
「だって○○だったんだもん」
正当化しながら、自分を美化しながら、生きていく。
誰だってあるだろう。

ときに、自分の人生観が思い込みだったと気が付かされて打ちのめされるときもある。

ただ野田さんは医療技術と倫理という視点にとても大きな問題提起をしたわけで、
それを彼女が自ら選び取った以上、はねかえってくるものは彼女がこれからの人生で受け止めていくしかない。
それがわからないほど、バカでもないだろう。

ひさびさ〜

ひさびさの日記だ。
どうも、自分の中にあるものを吐き出したいとか、表現したい、っていう欲求の大小は人によって差があるみたい。
毎日ブログ書ける人ってそーいう自己発現欲求みたいのが高いんだと思う。

ま、なにはともあれ。

大阪の橋下知事、強気な言動で何かと話題になってるけど。
香山リカが著書(共著)で知事は精神の病気だとかいうようなことを書いたとか。
んで、それに知事激怒して、ツイッターで反撃したとか。

そら、怒るわね。

私は香山さんのスタイル自体は嫌いじゃないんだけども
今の世の中のすぐこうやって「正常」「異常」、「ビョーキ」「非ビョーキ」って分ける風潮が嫌い。

橋下さんが異常とは思わない。
ああいう人、いくらでもいるよ。
橋下さんはキャリアや立場的にストッパーを外しやすいだけ。

そもそも全く異常性のない、すべてにおいて正常と判断されうる人格なんてものがあるとしたら、その方が異常だと思うわ。

そもそも、人をビョーキ、非ビョーキと診断してるのはあまり挫折を知らないエリートたちである。
おそろしい。

努力できるのは才能

「努力すれば報われる」
というけれど、「努力できれば」という条件が人類が普遍的に持っているものだとしてるなら、嘘だ。

努力は誰でもできるものじゃない。
ここでいう努力というのは、朝ちょっとグレードの高いご飯を食べるためにちょっと時間をかけていつもの目玉焼きにベーコンを焼いてみるとか、人見知りだけどちょっと頑張って初対面の人にあいさつしてみたとか、そういう日常的なことではなくて。

一日10時間机に座ってひたすら勉強できる、という努力だったら、その段階で9割以上の人が無理だし。
この手の努力というのは先鋭化された意志や、精製された意識や、高いモチベーションを持っていないとむずかしい。

「努力できる」のは立派な才能だと思う。

というのは、うちの旦那を見ていてそう思うから。
旦那はいちおう「士」業だけど、まさに努力の人だった。

自分の目的に向かって純度の高い労力・時間・思考を捧げることができる。
それは配偶者ながら、尊敬している。

問題は、「努力できる」という才能が誰にでも与えられた標準スペックだと思っている挫折を知らないエリートが
そこを基点に自論を語り出しちゃったときなんではないだろうか。

とにかくピュアな

発達障害で連想した。
私が今まで一番泣けた本です。

小学生の頃「レ・ミゼラブル」でかなり泣いて、それを超えたのがこの本で。
恥ずかしいけども号泣しました。

愛に撃ちぬかれし者

愛に撃ちぬかれし者

この本は、境界性人格障害(だと自ら公表している)の方が書いた「小説」です。(ここで「小説」としたのは、私たちが一般的抽象的に認識している小説とは概念として分けたいからです)
意地悪く言えば、人格障害の人の考え方や、世界観を分析するテキストとしても優れています。
論理的に整合性の合わない箇所があります。(それは「健常者」が書いた小説でときどき批判される「現実味がない」「飛躍しすぎ」とは構造が違うものです)
小説としては荒削りで、人によっては小説ではないと言うでしょうが、それでも出版社が「これを「小説」として出版しよう」と心を動かされたのはよくわかります。

それは、小説としては未完成なのに、小説として一番大切な(ピュアな)部分が突き抜けているからだと思います。

市川拓司さんも言っていたのですが、発達障害の方といのは脳が子供のままなんだそうです。(発達障害人格障害はまた別なのだろうが)
脳の化学物質の分泌が子供のまま大人になってしまった人たち。それはリアルすぎる夢を見るという体験に現れています。

この「小説」を読んだ時も、家でいうならば、土台も骨組みも歪んでいて、何かおかしいのはわかるのに、感情をものすごく揺さぶるのです。
「むきだしの感受性」とか「むきだしの神経」と表現したらいいのか、
そのむきだしの感性が外界に触れて痛くて痛くてたまらないのが、胸に迫るんです。

尾崎豊境界性人格障害だったと言われています。
作家というものも、境界例パーソナリティの範囲か、否かは別として、結局「境界例的な世界を演出するのが上手い」のです。

私たちが大人になっていく過程で、生きていくために覆ってしまった、蓋をしてしまったピュアな感受性というものを、この小説はある意味稚拙ながらも、強烈な形で提示していたと思います。(といっても読んだのが7年くらい前で、今読むとまた違う印象を持つのかもしれません)

自分が忘れかけていたものを心の奥から有無を言わさず引きずり出されて、その鮮やかな自分自身の反応に泣けたのだと思います。

発達障害ってありかも。

NHK福祉ネットという番組で、発達障害の人たちの座談会のようなことをやってました。
作家の市川拓司さん、
NPOで活動している笹森理恵さん
女社長のアズ直子さん
の3人。

発達障害者の中では健常者(という分け方もどうかと思うけど)と引けをとらない肩書きを持ち、社会に適応している側の人たちだと思う。
私は今まであんまり、発達障害というカテゴリー、いや、診断ってものを信じてなかった。懐疑的でした。
発達障害と診断された人々」に冷たかったかもしれない。

だって、目に見えて奇異な言動を取る統合失調とか、自閉症ならわかるんですけれど、やれアスペルガーだ、発達障害だ、ってしょせん健常者と連続的な途上にある症状をそんな「やっきになって細分化して」どうするのか?と思ったのです。
健常者だって発達障害の人が抱える【失業・孤独・不和・分裂】という「状況」は同じように抱えるわけで、発達障害という逃げ場を本人が得ることをよしとするか、しないか、それだけの差ではないか、と思えたのです。

でも、この番組のこの回を見てて、「うーん、あるのかも」って思った。

それは「夢のはなし」のときにね。
3人が3人とも、「現実と区別がつかないような夢を見る」というところで一致して盛り上がっていたのです。
これは、今まで「健常者と何が違うのか」と懐疑的に構えていたわたしにも理解できないもので。
なんでも、
「寝付くとすぐ夢の中にはいって」「まるで、パラレルワールド」「あちらの世界で目が覚めるという感じ」なんだそう。
そしてびっくりしたのが、夢の中で走ったりすると、目が覚めると本当に足が痛いのだそうです。
夢の中で人に会うと、目が覚めると人とやりとりしたダメージが心身に残っている。
夢の中の記憶と、現実の記憶の区別がつかなくなる。

これが、3人とも同じとは。
うーん発達障害、「ありかも。」

ちなみに私はこの番組に出演している市川拓司さんがあの有名な
いま、会いにゆきます」や
「そのときは彼によろしく」の作者だとは知らず・・・。

夢の話を聞いて、
「あれ、あの小説に似てるじゃん、「そのときは彼によろしく」。あの作者も発達障害なのかな」と思って調べてみたら、作者本人でした。

そのときは彼によろしく (小学館文庫)

まあ今でも
発達障害=不適応、うまく生きられない
健常者=適応、うまく生きられる

なんて図式は信じてません。これらが混然一体となって、人間社会はもっと複雑です。
だって、私は発達障害ではないけれど、自分が「うまく」生きてるなんて思わないからね。